鳩山政権が発足して1か月あまり、新政権が何を目指すのかが大体見えてみた。何よりも強調したいことは、政権交代によって日本人も初めて、「政治は可能性の芸術」という言葉の意味を体感しているという点である。自民党政権の時代にはできないに決まっていると思われていたことが、ともかく実現しようとしている。途中の経過には問題があるにしても、八ツ場ダムの中止など、その最たる例である。出来るわけがないと思わせるのが政治の力なら、実際に出来るようにするのも政治の力である。そして、その力は国民が選挙で行動を起こすことによって生まれてくる。
もう一つの大きな変化は、従来政治家や官僚から無視されてきた人々の主張や利益が政策決定に反映されるようになるということである。湯浅誠氏が国家戦略局の参与に任命された。それで政策が劇的に変わるわけではないが、彼の経験や知恵が政府の中枢に直接伝わることで、貧困対策は今までよりはるかに速く進むことは期待できる。ジェンダーフリーバッシングについても、その種の思想に共鳴するような政治家は民主党では今や完全な少数派である。政権の顔ぶれを見れば、基本的な方向性は明らかである。また、鳩山政権は各種の審議会について、今まで政官業学の利権を守ってきた人々を排除するはずである。
本誌の熱心な読者は、民主党を第二自民党くらいにしか思っていなかったであろう。しかし、それが間違っていることははっきりした。民主党の出自がどうであれ、政権を取れば前の政権とは異なったことをしなければ自分たちの存在理由はない。自民党政権が犯した明白な間違いは、それこそ掃いて捨てるほどあるので、民主党政権はそれを片づけることさえ出来ればよいのである。政権交代の意義とは、その程度のことである。
市民運動には、権力をチェックするという重要な機能がある。もちろん、民主党政権といえども完全無欠ではないので、批判も必要である。しかし、たまには政府に対して支持する側から提言をしてみるのもよいではないか。
たとえば、エネルギー政策を考える時に、民主党政権には脱原発をやる気がないと批判する人が大勢いるのは当然である。その種の批判を外側から浴びせるのも、必要である。他方、鳩山首相が温室効果ガスを一九九〇年比二五%削減すると大見得を切ったことを奇貨として、この際自然エネルギーの開発を一挙に進めようという発想の下で、政策提言を進めることも必要である。民主党の中にはグリーンニューディールを進めたいと思っている人は多い。その人々は、旧態依然たる経済産業省の官僚と衝突することになる。その時、官僚の壁を壊すためには、それぞれの分野で実績を積んだり、国際的なネットワークを持っていたりする市民が政策論議に参加することが必要となる。
いま、民主党の本質を議論することには意味はない。この政権が続く中で憲法改正などに着手することはあり得ないのである。むしろ、民主党政権が使えるかどうかこそ問題である。新しい政策決定過程の中で、多様な市民参加が広がることを期待している。
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