今まさに、沖縄の基地移設問題をめぐって、民主党が新しい日米関係なるものを本気で目指そうとする気があるのかどうか、問われている。一部の閣僚からは、普天間基地の県外移設について断念したかのような発言が聞こえてくる。しかし、基地問題で民主党がどこまで真剣にアメリカを説得しようとするかに、鳩山政権の真価がかかっていると思う。もちろん、交渉事だから、結果としてこちらの言い分が通らないということもあり得よう。それにしても、自らの主張を明らかにしないことには、話し合いは始まらない。また、民主党の政権公約を信じて投票した日本国民の気持ちは収まらない。
沖縄の基地問題は、日米両国がどのような価値や目的を共有して同盟関係を結んでいるのか、根本から考え直す機会である。自民党政権の時代、日米は価値観を共有しているといわれてきた。彼らが言う自由と民主主義とは何だったのか。所詮、共産主義に反対すればアメリカの仲間と認めてもらえるという安易な護符が、冷戦終結後も日米間だけでは通用したという話である。
昨年11月の米大統領選挙を見て、アメリカ国民に劣らず、多くの日本人も興奮、感動した。そして、今年自ら主権者として行動した。オバマ大統領の当選によって触発されたのが、日本の政権交代だった。今年8月の総選挙と政権交代によって、日本国民は民主主義という言葉にようやく内実を伴わせることができた。国民の意思によって、国の方向性を決定するという民主政治の基本原理を、日本人は初めて現実のものとした。まさに戦後初めて、日米両国民が民主主義という価値を共有する時が来たのである。そのような実質的な民主主義の原理は、日米間の話し合いにも発揮されるべきである。
外交交渉は、自らの主張がどれだけ普遍的な価値に裏付けられたものかを論じ、競う場である。オバマ大統領は、ヨーロッパにおいて核廃絶を訴え、ノーベル平和賞に輝いた。ブッシュ時代の一国主義と異なり、オバマ政権の下でアメリカは人類共通の価値を追求する姿勢を示し、称賛を浴びている。ならば、日本政府はアジアにおいて、普遍的価値を提示し、日米の協力によってこれを追求するという能動的な姿勢を明らかにすべきである。
民主主義によって示された国民の意思によって政府が行動すること、人間の尊厳を尊重することこそ政治の最大の使命であること、後世にかけがえのない自然環境を残すこと。こうした普遍的価値に照らすならば、普天間基地を辺野古に移設することも、普天間基地をそのまま存続させることも、決して容認できない。
今こそ鳩山首相自身の言葉で、日本としての主張をオバマ大統領に示す時である。辺野古移設案の形成過程を検証するとともに、東アジアの将来をどう構想するかを論じる中で、基地の位置づけについて日本としての理念を語ることは、新政権の発足というこの時期でしかできないことである。
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