発足から2カ月が経とうとしているが、鳩山政権の政策形成手法は、まだ試行錯誤が続いている。最大の問題は、政府与党の一体化という掛け声の下で、民主党を、政権を運営する政務三役と、その他大勢に二分したことである。政務三役は過労死するくらい多忙な日々が続いているのに対して、その他大勢は暇を持て余している。政治家としてそれなりの経験を積んだ議員が政策論議に参加できないまま無聊をかこつというのは、いかにももったいない話である。
また、地方や団体からの陳情を幹事長室に一元化して受けるという仕組みも始められたが、これが実際に十分機能するとは思えない。幹事長は聖徳太子ではない。一部政治家に能力を超えて仕事や情報が殺到するという現在の状況を改めなければ、この政権は持続不可能になるであろう。
最近、ふと明治維新直後の政治状況を思い浮かべている。多くの指導者がそれぞれに思いや理想をもって維新の成就に協力したが、新政府の運営をめぐっては内部対立が続いた。こんな政府を作るために倒幕に命をかけたのではないという不満が生じ、佐賀の乱、西南戦争などの内戦がおこった。今の民主党政権でも、様々な不満がたまっている。民主党きっての農政通である篠原孝議員のメールマガジンでは、彼自身が手掛けてきた農家戸別補償が来年度から米作農家を対象に部分的に実施されるという方針に対して、厳しい批判が展開されている。当の篠原氏は、財政金融委員会の筆頭理事として、金融モラトリアム法案についての審議を差配しなければならないが、これについても十分な情報が来ないとのこと。これなど、人材利用のミスマッチの典型例である。
政権交代に期待していた市民の間にも、疑念が広がっている。先日、ある友人からメールをもらった。事業仕分けの民間人の顔ぶれを見て、自民党政権時代に小泉改革の尻馬に乗っていた「有識者」が再び登用され、彼・彼女らが笠にかかって事業の廃止を迫っていることに愕然としたとのこと。私も同感であった。大きな理念や政策の枠組みの次元ではなく、細かいところで目に見える成果を上げようとするから、昔の名前を使って官僚を恫喝することになる。神は細部に宿るという真理もわかるが、それは全体に関する明確な理念があった上での話である。仕分けチームは地方交付税も聖域ではないと気炎を上げていたが、彼らは交付税を一方的に削減されて気息奄々となった非大都市圏の自治体の苦労を知っているのだろうか。
政治主導の具体化についても、課題が浮かび上がっている。いくつかの省で、大臣は官僚に洗脳されることを嫌って「天岩戸」に閉じこもり、副大臣、政務官は役所の課長レベルの仕事を大量に抱え込んで過労死寸前という現象が起こっている。政治家が一度は課長レベルの仕事を経験し、外部の視点から役所の非常識を洗い出すことには意味がある。しかし、それはいつまでも続ける仕事ではない。政治家が本来判断すべき事柄と官僚に任せる事務を仕分けしなければ、政治主導は実現しない。
大臣レベルの指導者が、細かい話は別として、明確な理念と方向性を持っていれば、官僚との接触を断つことなどしないはずである。そして、政治家が自信を持って政策の方向を指示するためには、それぞれの分野に精通した政治家たちによる議論の積み上げが不可欠である。思い付きしか言えない大臣だからこそ、引きこもるのであろう。
学者として改めて内閣と与党による政権運営の仕組みについて、再考してみたい。民主党は政治主導やリーダーシップの発揮を阻害するからと、政調会を廃止した。そもそも、自民党政権時代の政調会はなぜリーダーシップの不在や官僚支配をもたらしたのであろうか。一般論としては、政治家が特定の政策分野に精通することは、悪いことではない。ただし自民党政権時代は、専門的な政治家の育成を官僚に依存したことが、諸悪の根源となった。政策に関する知見の蓄積が、対応する官僚組織の権益の擁護と一体化したからこそ、政調会が官僚支配の温床となった。自民党の族議員とは、霞が関の官僚機構が平行移動し、自民党を植民地化した結果であった。
与党の議員が専門分化し、実質的な政策論議を行う仕組みを作りつつ、同時に官僚組織から自立するという工夫こそ、民主党が新たに取り組むべき課題ということになる。まずは、政務三役の定数を大幅に増やす法改正をすべきである。ただ、それにしても与党議員の議論の場を確保することは必要となる。
では、具体的にどうすればよいのか。1つは、前回の本欄でも書いた国会の委員会を活用するという方法である。与党議員が政務三役に厳しい質問をして、政策論議を挑むことは、質問される側の政治家の能力を向上させる上でも、有意義である。与党主導の法案修正があってもよい。
2つ目は、やや中期的な課題となるが、民主党自身がシンクタンクを作ることである。たとえば、ドイツ社会民主党はエーベルト財団という大きなシンクタンクを持ち、国内的な政策研究はもとより、国際的な交流も活発に行っている。脱官僚支配と言うなら、政党はそれくらいの知的資源への投資を行う覚悟を持つべきである。党務は選挙と国会対策だけというのでは、政治主導の看板が泣くというものである。自立したシンクタンクにおいて政治家が民主党の政策戦略を論議し、その中で官僚とも議論を戦わせるということになれば、自民党政調会の弊害を繰り返すことはない。
初めての政権交代には試行錯誤がつきものである。大事なことは、1つのドグマにとらわれず、柔軟に工夫をするというプラグマティズムである。
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