「選挙至上主義」を脱せ 原点に立ち戻り自己修正
世論調査のたびに鳩山由紀夫内閣の支持率は低下を続け、5月末には政権危機までがささやかれるありさまである。長年、民主党を軸とする政権交代の必要性を説いてきた筆者にとって、この政権の「敗因」を論じることはつらい作業である。しかし、鳩山政権が何を達成し、どのような限界にぶつかったのかを明らかにしなければ、日本の政党政治は前進しない。
この政権がマヒ状態に陥った最大の理由は、民主党が政権交代を自己目的としたこと、あるいは実体的な政策転換について十分な展望を持っていなかったことに尽きる。半世紀以上も続いた自民党政権を倒すことがそれ自体目的となったことは仕方ない。しかし、それは政界関係者にとっての話である。政権交代がよりよい社会をつくり出すことにつながらなければ、それは民主党の自己満足で終わってしまう。
もちろん、民主党も昨夏の衆院選に向けて政権公約(マニフェスト)をつくり、自民党政権が進めた政策を大きく転換することを訴えていた。だがそれは明確な理念に基づく体系というより、スーパーの開店記念セールのチラシのように、様々な項目を羅列していたにすぎない。地球温暖化防止と揮発油税減税や高速道路無料化など、相矛盾する項目も併存していた。目指すべき政策に関する確信が内閣と与党の指導部に共有されていなかったことが、後に混乱をつくり出すこととなった。
◆◆◆ ◆◆◆
ここで改めて、政権交代の歴史的意義と、民主党が目指すべき政策の方向を整理したい。それは筆者自身の考えであるが、民主党の政策にも表現されていることである。
筆者は、民主党政権の樹立を戦後日本政治の第三の段階として位置づけている。第一の段階は、かつての自民党と官僚の連合体による再分配政治であった。日本の場合、制度的再分配、つまり社会保障は貧弱で、官僚のさじ加減と政治の圧力で左右される公共事業補助金、護送船団方式による業界保護が政治の焦点となった。これらの裁量的政策により競争力の弱いセクターで雇用が確保され、結果として貧困、失業等のリスクから個人や地域社会が守られた。
しかし、第1段階の裁量的政策によるリスクの社会化は、無駄、腐敗、既得権を生みやすい。その弊害が顕著になった2000年代から、第2段階としての新自由主義改革が現れた。これは、規制緩和、社会保障や地方交付税の支出を削減することにより、リスクを個人や自治体に転嫁する政策であった。
改革の当事者は、公正な市場を目指したのかもしれないが、先の事業仕分けで明らかになったように、裁量的政策による既得権は残された。その意味で、第2段階は図の第三象限に位置する。族議員と官僚の横暴に辟易(へきえき)した国民は当初この改革を歓迎したが、2000年代の後半になって貧困、不平等の拡大という結果を認識するに至った。
◆◆◆ ◆◆◆
民主党の目指す政策は、第3段階としての制度的な再分配の強化だったはずである。子ども手当てや高校無償化もその一環である。国民に対して公平に政策的恩恵を配分し、生活不安を解消するとともに、内需主導の経済をつくり出すことが、「生活第一」路線の中身である。
かつての自民党政治におけるバラマキは、政治過程のインサイダーへの裁量的な恩恵給付であった。これに対して、民主党は公明正大な再分配を目指す――。「バラマキ批判」に対してはそう反論すればよいだけの話だが、民主党の指導部が明確な理念を共有していないために政策の骨格の議論においてブレが目立った。
民主党が本来目指すべき理念は、3つの「ポスト」として表される。
第一は、ポスト冷戦である。その中身は、米国の一極主義的な軍事行動への追随を見直し、アジアで平和をつくり出すという方向性である。鳩山政権は、核軍縮への積極的な姿勢、東アジア共同体構想、米軍普天間基地の海外移転など、この方向のアジェンダを打ち出した。
第二は、ポスト物質主義である。すなわち、成長の限界を踏まえ、持続可能性を鍵に経済のパラダイムを組み替えることである。鳩山首相は温室効果ガスの25%削減を打ち出し、この方向に踏み出すことを公約した。
第三は、ポスト権威主義である。つまり、市民の能動性を強化し、開放的な多文化社会を作ることである。民主党は、かねてより夫婦別姓や市民活動の支援などを唱えてきた。
これらの理念に関して、当初は民主党も的確な方向感覚を示した。同時に、これらのビジョンは旧時代との決別を打ち出すものであり、冷戦時代や権威主義を懐かしむ側からは強い反対を受ける。そこでこそ、政府与党の指導者の確信の度合いが問われることとなる。
残念ながら、この点でも、民主党の信念は不十分であり、反対に遭うとブレが目立つこととなった。また、大局的な理念を具体的な政策につなげる知恵や戦略にも欠けていた。
政権を失速させた大きな要因としては、政治とカネをめぐる疑惑もある。資金疑惑そのものより、疑惑解明の姿勢や方法に関して民主党らしさが発揮されなかった点に、不信の原因がある、と筆者は考えている。民主党が野党時代に言ったことを今の野党が要求してくるなら、それは受けるしかない。疑惑に蓋(ふた)をして逃げ回る姿勢も、民主党の言う政治の刷新が口先だけでしかないという失望を広めた。
◆◆◆ ◆◆◆
では、これからいかにして政権の立て直しが可能なのであろうか。
最大の前提は、仮に米軍普天間基地移設問題が5月中に決着しなくても、鳩山首相が政権を投げ出さないことである。国民が選んだ政権が1年も持たずに瓦解すれば、政党政治に対する国民の期待も雲散霧消する。自民党政権末期と同じ混乱を繰り返してはならない。
その上で、民主党は8カ月の政権運営を虚心に点検し、人事、政権運営、政策の各面で、どのような点で見通しを誤ったのかを自ら明らかにする必要がある。大きな期待を背負って就任した閣僚の中にも、無能さをさらけ出し、霞ヶ関で呆(あき)れられている政治家もいる。政権運営に関して政治主導の名の下に、政策調査会を廃止し、内閣と政務三役で政策を決定すると意気込んだものの、重要問題で内閣がまとまらず、幹事長の裁定を仰ぐ結果となった。
しかも、陳情は幹事長室が取り次ぎ、公共事業費の裁量的配分という旧体制に回帰した印象さえ与えた。政策面では、野党時代につくったマニフェストをすべて実現することなど不可能であるにもかかわらず、その実現のプログラムについて筋道だった議論がない。
初めて政権を取ったのだから、試行錯誤があるのは当然である。問題は、錯誤を自ら認識し、それを修正する能力があるかどうかであろう。民主党の指導部が参議院選挙後の再編に関心を向けているとすれば、それは政治家の身勝手であり、国民に対する背信にほかならない。民主党は衆議院の圧倒的多数を基盤に、政策転換を実現する義務を負っている。
政権交代の経験を無駄にしないために、民主党は次のような課題を自ら解決しなければならない。第一に、この政権は何をするために生まれたのか、民主党はこれから何をしたいのか、理念を共有することが何よりも肝心である。そして、政権獲得後の現実も踏まえて中期的なビジョンを打ち出すべきである。
第二に、政策調査会を復活させ、与党の政治家の総力を結集する体制を構築する必要がある。税制や社会保障の改革など、基盤的な政策転換を進めるためには、与党の力を結集し、議論を蓄積した上で国民に提起すべきであろう。
ここで述べた課題を実現するのは政府与党のリーダーの役割である。指導部が選挙至上主義に陥ればかえって有権者は民主党から離れていく。政権の危機を迎えた今、政権交代と政策転換という原点に立ち戻り、自己修正を図ることこそが民主党の唯一の活路である。
(日本経済新聞「経済教室」2010年05月14日)
|