普天間基地移設をめぐる紛糾の末、社民党は連立を離脱し、鳩山政権は崩壊した。事態の展開はあまりにも急であったが、政治における責任の取り方について、重要な教訓を含んでいる。
まず社民党の動き方について考えてみたい。福島瑞穂大臣があえて罷免の道を選んだ時、私は一九九四年の政治改革国会で、当時の参議院社会党左派が造反して選挙制度改革法案を否決した時を思い出した。またやったかというのが最初の印象であった。あの時の造反は最初の非自民連立政権である細川政権の死期を早めた。そして、社会党にとってより不利な選挙制度の成立に道を開いた。今回も、鳩山政権がさらに弱体化するだろうと予想した。そして、今でも沖縄に犠牲を押し付ける現在の体制がより長く続くことになるだろうと予想している。
福島氏が、連立離脱というカードを切ることによって小鳩体制を崩壊に追い込むという野望のもとに罷免の道をひた走ったのであれば、彼女は社民党党首にしておくにはもったいないくらいの政治家である。しかし、実際は三振するつもりでバットを振ったらボールが当たってしまい、長打になったということであろう。
社民党の身の処し方について、主義主張に殉じた潔いものだという好意的評価もあるかもしれない。しかし、主義主張を純粋に貫くことは、政治家にとって美徳であるとは限らない。
政治家の最大の使命は、結果を出すことである。普天間基地の県外移設という大目標に照らすならば、社民党が節操を貫くかどうかなど、どうでもよい問題である。野党の立場から日米合意を撤回せよと叫んでも、屁の突っ張りにもならないことくらい、与野党を両方経験した福島氏自身が知っているはずである。
鳩山政権が泥縄式にまとめた日米合意なるものによって普天間基地移設問題が決着したと考えるのは、大間違いである。鳩山氏が県外移設を主張したことにより、沖縄における反基地感情のマグマは吹き出した。この変化は不可逆なものである。地域振興予算と引き換えに基地を受け入れさせるという常套手段については、地元経済界も沖縄県庁も拒絶する姿勢を示している。辺野古沖への基地建設には海の埋め立てが不可欠であるが、許可権限を持つ沖縄県知事がそんなことを許すはずはない。問題の決着までにはこれからいくつもの山を越さなければならないのである。その時、社民党が政権にいるのといないのでは、同党の影響力には雲泥の差がある。
政治的判断の下し方は、そう複雑な話ではない。自分がある決断を下す時、誰がそれを最も喜ぶか、誰に最も不利益が及ぶかを考えればよい。社民党の政権離脱を最も喜ぶのは、民主党内のタカ派である。それによって最も損害を被るのは、社民党が代表すると称してきた弱者や沖縄の人々である。
政治家は権力を使うことによって良い政策を実現し、国民から評価を得ようとする。しかし、その場合の称賛は、権力を行使することに伴う批判や攻撃と表裏一体である。称賛だけをいいとこ取りしようとする点に、日本の左派の甘さがある。今回の社民党の行動はその典型例であった。現実主義をわきまえ、責任感を持った左派こそ、日本の政治に必要である。
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