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難民問題
中村 研一
 
 

男の子は少年兵、
女の子は“結婚”の連鎖で
生き延びる

 1990年ごろ、東アフリカを子どもだけの集団が流浪していた。親も保護者もいないティーンエイジから幼児まで男女約300人が、男子数名をリーダーに、集団で野宿し、自営し、食料を調達する。大人は「敵」であり、まったく信用しない。近づく危険を偵察する仲間の情報をもとに、深夜でも緊急に野営をたたみ、安全な場所、水のある場所に逃げる。彼らこそ難民の典型だ。

 秩序が壊れ、強者が弱者を襲い、軍隊が私兵と化し、少ない資源の奪い合いと暴力が蔓延するとき、どうやって子どもたちは生き延びるのだろうか。生き延びるためには逃げなければならない。

 暴力から逃げたのが難民である。虐殺、レイプ、強制収容、空爆など、危険が難民に近づく。ナチ支配下のユダヤ人、インドとパキスタンが分裂した際の少数者、1948年のパレスチナ人、化学兵器攻撃を受けたクルド人、2001年10月米軍の空爆を受けたアフガン人など、みな、家も生計手段も家族の一部さえも捨て、着の身、着のまま逃げる。その難民の半数は子どもたちだ。

 難民の男の子たちは殺されるだけではない。殺す側にもなる。現在、世界の紛争地帯には30万の少年兵がいる。その多数は孤児、難民出身だ。難民の子はほとんど保護されず、飢餓・病気・性的虐待にさらされ、死と直面し、非人間的な暴力のなかに生きる。自らで身を守るしかない。

 そんな子どもが武装集団に加われれば、保護と食料と家族の代理となる人間関係、そして武器や麻薬が与えられる。教育もなく、感じやすい少年たちは,「解放」とか「正義」をとなえるイデオロギーを簡単に信じてしまう。カラシニコフやM16機関銃は、10歳の子なら、操作、分解、組み立てが可能だ。そして、何も知らずに殺し、殺される。

 他方、難民の少女たちはどこへ逃げるのか。ソマリアの少女アマン、母、祖母の三代の生涯は、逃げる行為の連鎖だった。1890年、エチオピアとソマリアの部族対立によって、彼女の祖母の家族・親類の男性は全員殺されてしまった。保護者を失った女性たちは逃げた。逃げた先は“結婚”の連鎖である。少なくとも祖母は4回、母は7回“結婚”した。

 アマン自身、12〜17歳のあいだに4回の“結婚”(うち2回は外国人)を通過手段として、苦闘し、そして生き延びた。もう2回の“結婚”を経て、アマンは、現在、米国で暮らす。アマンら女性三代は、少なくとも15人(うち3人は外国人)もの“結婚”相手たちを通り過ぎた。

 彼らは長期的難民だ。アマン、母、祖母の三代は1世紀間、難民を生きた。パレスチナ人の多くは半世紀以上難民となっている。アフガニスタンでは、ソ連侵攻の1979年末から2002年現在まで、難民、国内避難民が300万〜800万の間を上下している。いずれも世代を越えた長期的現象だ。最終的な逃げ場はない。

 難民が生き延びるために
 “結婚”は暫時的な「隠れ家」となった

 一般に、難民問題は「母国・常居住地への帰還」か「受け入れ国への帰化」が解決策とされる。しかし、帰還も帰化も不可能で、母国も受け入れ国も存在しないからこそ、長期的難民が存在する。「国を最終的な逃げ場にする考え方」からは、長期的難民の存在は捉えることができない。

 アマン、母、祖母の家系は死に絶えなかった。彼女たちが逃げ続けることが出来たのは、国や援助団体に助けられたからではない。“結婚”という生きる基盤を自力で次々と発見できたからだ。この“結婚”は、彼女たちが生き延びるための暫時的な「隠れ家」の役割を果たした。安全が保障されず、明日の食料もなく、いつ暴力にさらされるか不安な「自然状態」の大海のなかで、“結婚”は、しばしの安息・安全を与える小島であったのである。“結婚”の連鎖は、家族や地域社会の機能を不十分ながら代替するネットワークだった。長期的難民はこのネットワークに支えられることでかろうじて生き延びる。難民救済機関は“結婚”の連鎖に匹敵する力があるだろうか。

 長期的難民が市民状態を享受できてこそ、地球市民社会の名に値する。母国が危険だから、難民はそこから逃げ出した。そこでは、政治主張を行うこともできず、権利も享受できない。他方、他国も難民を積極的には受け入れようとはしない。

 このように難民とは、「さまざまな権利を得るための権利」を保障する市民権」、および生計を立て人間関係を築く市民状態を国から拒絶された状態をさす。難民とは市民の反対概念だ。そのような国のシステムから振り落とされ、国とは別の国家を超えた関係に不十分ながら支えられて生き延びる難民が、市民状態を享受できるような社会構想こそ、地球市民社会と呼ぶにふさわしい。

Column ニューデリーのネパール孤児たち

 ニューデリーの冬。雑踏を歩く私の靴に、埃だらけの小さな手が伸び、ペンキを塗った。逃げるチビの後ろ姿。すると靴磨き(10代に見える)が「インド人のチビが汚した。インド人が磨く」と言う。足を出した途端、靴を脱がされた。しまったと思った。さんざん靴をいじった靴磨きが「80ルピー」(ホテルの1泊の価格)と言う。それを合図に周りを無数のチビが囲み、「80ルピー」と合唱する。怒りの交渉の末、靴磨き(実はネパール人で24歳)は、私を「隠れ家」に導いた。倉庫の屋根裏から嬌声が響く。その闇から浮かび上がったのは80人の子どもたちの目、目、目。「みなネパール人の孤児。夏はカトマンズで稼ぎ、冬はデリーでビジネス。連中をお前が養う?」寝ていた子が起き上がり、宇宙飛行士を見たような眩しい目で見つめ、「日本人」とつぶやいた。10ルピー寄付し、この子たちに嘘でない地球市民社会を考えようと思った。



AERA Mook 「平和学がわかる。」
朝日新聞社 2002年9月10日発行