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「国際エコツーリズム年と地理学」
小野 有五
 
 

特集のねらい

2002年は国連の決めた国際エコツーリズム年と国際山岳年にあたっている。この特集では、とくに「国際エコツーリズム年」に焦点を絞り、その課題と、地理学とのかかわりをさまざまな視点から論じることにした。

まず渡辺悌二氏には、2つの国際年が、どのようないきさつで決定され、現在、どのような取り組みがなされているかといった点を概観していただいた。ともすれば2つの国際年はばらばらに扱われがちであるが、それらを「山岳エコツーリズム」というキーワードで結べば、より意味のある取り組みが可能になる。日本は、まさにそうした独自の取り組みをするにふさわしい地理的環境にあるわけで、7月に予定されている大雪山を中心としたシンポジウムやモデル・エコツアーでは、地理学と「山岳エコツーリズム」とのかかわりが、より具体的な問題に即して検討されることが期待される。


マレーシア・キナバル山への登山を案内する先住民のガイド

昨年秋に広島大学でエコツーリズムに関するシンポジウムを主催されたカロリン=フンクさんと淺野敏久氏には、エコツーリズムの定義や概念についての検討をお願いした。そもそも何がエコ(ロジカル)ツーリズムか、という根本的な点に関する問題が依然としてあることをまず知るべきであろう。ツーリズムには常に、観光する側、させる側、される側という3つの側面がある。それぞれの利害は必ずしも一致しないどころか、むしろ相反することが多い。この意味では、3つの異なる視点にたった分析が要請されるのである。

本特集では、エコツーリズム先進国といわれる地域を選び、ドイツのエコツーリズムにかかわる行政・市民・旅行業者それぞれの取り組みを調査してこられた今泉みね子さんと、オーストラリアで実際にエコツーリズムを運営している立場にある小林寛子さんに両地域での分析をしていただいた。お2人とも地理学の研究者ではないが、ここで述べられ、分析されている内容は、「地理学研究者」が研究や分析と称しているものに勝るとも劣らないであろう。エコツーリズムだけでなく、地理学が対象としているすべての事象は、たんに論文の上に存在するのではなく、生きた現実である。いくら高尚なことを論じようとも、それらが実際に生かされ、現実をよりよい方向に変えていく力になるのでなければ、それらは単なる知的遊戯にすぎない。

エコツーリズムの研究は、自然と人文・社会・経済といったきわめて広い視野を必要とするゆえに、まさに地理学が他の学問分野に先んじて貢献できる分野である。しかも、その研究成果や主張が直ちに現実によって試され、批判されるという意味で、また、それらがまったく新しい価値観や観光・地域の形態を自らつくり出していくという意味で、もっともスリリングな分野といえるかもしれない。


アメリカ・ヨセミテ国立公園での自然ガイド
(地質・地形のインタープリテーション)

2001年10月、私たちは日本地理学会の秋季大会(秋田大学)で、国際山岳年への対応をめざしたシンポジウム「山岳地域の自然保護と利用」を開催した。そこでは山岳地域の自然保護と観光とのかかわりがひとつの重要なテーマであったが、とくに、世界遺産として指定された白神山地での問題を論じられた牧田肇氏ほかの発表は、エコツーリズムとのかかわりも深いものであった。

エコツーリズムと自然・環境・先住民

21世紀の最大の問題は環境と民族であるといわれる。「国際エコツーリズム年」が提起した最大の問題も実はこの2つに他ならない。そもそもエコツーリズムの定義をめぐっては、カロリン・淺野論文が指摘しているように、何が「エコ(ロジカル)か?」という問いをめぐって議論が続いている。今泉論文が述べているように、自然のなかに入っていく旅ならエコ(ロジカル)だという定義は、環境保護の立場からすれば初めから否定されているのである。「アウトドア」という言葉もよくエコツーリズムと混同されるが、四輪駆動車で山奥まで分け入り、ゴミを散らかし、魚を釣りまくる「アウトドア」がエコ(ロジカル)でないことは明らかであろう。その意味では、自然や環境にとっても持続的であることを目指す「持続可能なツーリズム」が、ともすれば自然志向だけでよしとする傾向を帯びやすい「エコツーリズム」という言葉にとって代わるのは当然ともいえる。グリーンツーリズム、ソフトツーリズムなどの言葉も、厳密には「持続可能」でない限り、本来の「エコツーリズム」とは区別されるべきであろう。

「持続可能」という意味は、自然や環境への負荷(インパクト)が、もはやそれから回復できなくなる限度(環境容量:carrying capacity)を超えないということである。過度の利用(overuse)が常に問題になるのはそのためであるが、ここで忘れられがちなのが先住民の問題である。エコツーリズムが目指す地域は自然が豊かで、まだ開発されていない、あるいは自然が保護されている地域であることが多い。これらの地域は、同時に先住民の生活の場になっていることも多いわけで、観光が彼らの生活環境や彼らがよってたつ自然を壊してしまえば、それはけして「持続可能」でも「エコ(ロジカル)」でもないことになる。カロリン・淺野論文が指摘しているように、また今泉が「グローバルネット」誌でさらに詳しく論じているように、先住民へのインパクトやその生活環境の破壊という面をもつ「エコツーリズム」は新たな植民地主義であり、また先進国の論理や経済が観光の名のもとで開発途上国の住民、とくに先住民を圧迫する一種の南北問題でもある。

最も人気の高い「エコツーリズム」の例としてヒマラヤのトレッキングについて考えてみよう。その大部分はネパールで行われている。ここでは一部の幹線道路やローカルな航空路を除けば、旅の手段はひたすら歩くだけである。安い賃金のおかげで、重い荷物はポーターに背負わせられたとしても、自分の足だけで歩く旅というのは基本的にエコロジカルであり、その意味ではまさに「エコツーリズム」にふさわしい。表紙に示すように、地域の人びとが暮らす村々を通り、人びとの日常を目の当たりにしながら旅は続く。泊まる場所が民家の一室であれば、村人と同じものを食べ、モンスーンの季節なら、家々に巣くうノミや南京虫ともつきあうことになるだろう。消費するエネルギーを最小にするとともに、遠くから飛行機やトラックを使ってもってくる食材、はるばる送電線を介して運ばれてくる電気といったものを極力使わないのがエコツーリズムの基本である。また、観光客の落とすお金が、大都市や大資本ではなく、それぞれの地域に生きる人びとの懐に入るという意味でも、本来のトレッキングは、かなりな程度までエコツーリズムの理想を実現していたといえるであろう。

しかし、現実には、増加するトレッカーによって現地では燃料とするマキのための伐採が急増し、トレッキングのエージェントも首都のカトマンズに集中して、大部分の利益はそこで外国資本や大手業者に吸い上げられてしまう構造ができあがっている。貨幣経済の急速な浸透は村の伝統的な生活様式を破壊し、さらには、自然保護の名のもとに、村人を居住地から追い出そうという動きまで生じている。私たちがかかわってきたランタン村でも、国立公園化に伴って、ヤク移牧で生活してきたチベット系の住民が、立ち退きを迫られるというできごとがあった。さいわい、これは阻止することができたが、ヤクを襲う雪ヒョウ(snow leopard)の保護をめぐる村人とネパール政府との軋轢はカンチェンジュンガ地域などで今も続いている。


ヨセミテ国立公園にある先住民の集落の復元展示

ヒマラヤ登山が始まった頃から、ヒマラヤ高地の先住民であるシェルパ族は、高所に強いポーターやガイドとして活躍してきた。しかし問題は、山頂を目指さず、山麓の自然や高峰の展望を求めてやってくる大部分のトレッカーに対するガイドが、地元ではまだ育っていないことである。この意味では、国立公園の入り口ですべて登山登録を行わせ、ガイドとして地元の先住民を雇ったうえで初めて登山を許可するマレーシア・サバ州のキナバル山国立公園のようなやり方がすぐれているといえよう。先住民のガイドの英語能力はけして十分とはいえないが、それでも登山道沿いの植物や動物などについての説明については訓練を受けており、原則として道案内しかしないヒマラヤのガイトとは異なっている。

先住民であるネイティヴ・インディアンを、開拓時代にすでに追い払ってしまったカリフォルニアのヨセミテ国立公園ではどうであろうか。大部分の自然ガイドは先住民ぬきで行われているが、それでもヨセミテがかつては先住民の生活の場であったことを示す野外展示やガイドは忘れられていない。なお不十分とはいえ、こうした環境のなかで、先住民による語りやダンスを伴うインタープリテーションを可能にする道が開かれているのである。

ガイドライン

以上に述べたように、「エコツーリズム」が本当にエコ(ロジカル)であるかどうかを判断するためには、それが「エコ」であるために最低限、守るべき規範、すなわちガイドラインの検討が不可欠である。国際エコツーリズム年が批判されているのは、まさに、この規範をあいまいにしたまま言葉だけが一人歩きしているからに他ならない。

私たちは4年前に「北海道のエコツーリズムを考える会」を設立し、北海道でのエコツーリズムの確立を目指して活動を続けてきた。文末に示したのは2001年1月の時点でまとめた北海道でのエコツーリズムに関するガイドラインの一部である。全体は、(A)訪問者向け、(B)ツアーガイド・ツアー企画者向け、(C)宿泊施設向け、(D)自治体向けとなっているが、ここでは(A)、(B)だけをのせた(ただしこのホームページでは省略)。いうまでもなく、先住民であるアイヌ民族がエコツーリズムにどのようにかかわり、エコツーリズム自体が、アイヌ民族の、とくに若い世代にどのように寄与できるかが、基本的な問題としてある。それは、開拓や開発を全面的に肯定し、先住民の生き方や暮らしを破壊してよしとしてきた20世紀的文明を見直すための作業でもあろう。「エコツーリズム」が地理学に投げかける問いは深く重いのである。

(雑誌「地理」(岩波書店2002年3月号(47巻3号))