菅直人氏が民主党代表に返り咲いたが、民主党は誰が代表になっても立て直すことは難しいであろう。菅氏の代表選挙における公約が「党内融和」ということからして、この党の問題を象徴している。民主党の政治家が仲良くしようが喧嘩をしようが、国民には何の関係もない。
九〇年代の政党再編の中で社会党が没落して以来、野党の非力さは深刻になる一方である。野党の混迷の原因は、野党の政治家が野党の任務を明確に自覚していない点にある。議会政治では所詮、数こそすべてであり、少数政党はつねに負ける運命にある。少数意見に耳を傾けよなどと権力者に説教をしても意味はない。政府の腐敗を追及しても、独自の議員立法を進めようとしても、野党の主張は実現しないのが当たり前である。その意味での非力さは決して責められるものではない。野党の役割は、政府の政策が間違ったものであり、それを実現すれば国民にどれだけ害が及ぶかを説くことと、自分たちが多数派になったときに世の中をどう変えるかを国民に訴えることの二つに尽きる。
その点で今の野党は役割を果たしていない。小泉政権の構造改革が国民にどれだけの犠牲を強いるものかは、最初から分かりきった話であった。しかし、鳩山由紀夫民主党前代表は、空前の小泉ブームにうろたえて、構造改革を支持すると述べた。その意図は、自民党の中に政策的な亀裂を作り出し、政局の混乱、さらには自民党の分裂による政党再編をねらうというものであった。
こうした再編願望は、政党政治における野党の役割から逸脱するものであると同時に、政治的にもきわめて稚拙なものである。仮に小泉首相や竹中平蔵氏に代表される構造改革に賛成ならば、さっさと民主党の旗を降ろして小泉与党に入ればよい。しかし、それでは国民が不幸である。今の政府、与党が失敗したときに、国全体が失敗、破滅することを防ぐためにこそ、野党による政権構想が必要なのである。与党の中にもチェック能力はあるが、彼らは権力の座を守るという発想でしかものを考えられない。小泉政権の誤った改革路線が与党内の抵抗に遭い、ますます支離滅裂になっているというのが政治の現状である。
今の野党に必要なことは、小泉政権の構造改革に対抗する政権構想を描くことである。政府の経済失政が明らかになっている現状は、野党にとっての好機である。支持率の低さなど気にする必要はない。痛みに直撃されている人々の共感を得ることができれば、支持はおのずと広がるはずである。もう一つの日本をどう描くかについて、議論を避けてはならない。また、政権を取って何をするかが分かっていない政治家が頭数をそろえる相談をしても無意味である。菅新代表が政策面でも党内融和を優先させるならば、政権交代は遠ざかるばかりである。
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