鳩山由紀夫前民主党代表が、自由党との新党構想を打ち出し、党内の反発を受けて代表の座を降りた。その後の民主党の代表選挙で、戦前の予想を覆して菅直人氏が勝利したと思うと、今度は熊谷弘氏が離党して保守新党を作るというニュースが伝えられた。野党の離合集散はとまらないようである。
党首に返り咲いた菅氏は、政治家としての最後のチャンスを得たということができる。しかし、民主党の再建から政権交代へという可能性はきわめて低いと言わざるを得ない。菅氏は代表選挙の公約に党内融和を掲げた。そのことからして、民主党の限界は明らかである。民主党がまとまっていようが喧嘩をしようが、国民には関係ない。党内融和はあくまで党員向けのメッセージでしかない。それが代表選挙の公約になるところに民主党の不幸がある。
代表選挙をめぐる混乱から、民主党内には厭戦気分が強い。この気分は、政策について議論し、考えることを回避するという帰結につながる。どのような政権構想を打ち立てるかをまじめに考えれば、党内に論争が始まる。とりあえず民主党の政治家が仲良くするということは、政権構想について考えないことを前提としているわけで、民主党の仲良し路線は野党第一党という地位の永続化を意味している。菅氏が本当に政権交代を目指すのならば、党内の軋轢を恐れず、自らの政権構想を明確にすべきである。
民主党の敵は二つある。小泉政権と自民党内のいわゆる抵抗勢力の二つである。小泉政権に対しては、デフレを止めるために政府が果敢に資金を使うという方針を立てることによって自らを差異化すべきである。九〇年代後半の金融危機の際、橋本政権が財政構造改革に固執し、景気の悪化をもたらしたと、世論は橋本氏を大恐慌のときのフーバー大統領になぞらえて攻撃した。小泉首相はもっと的外れな政策を実行しようとしている。マスメディアは「構造改革」の呪文に幻惑されて、小泉政権への批判を控えているが、野党がこの点で遠慮してはいけない。支離滅裂の小泉流経済政策を批判し、これに対抗する政策を示すことはそれほど難しいことではないはずである。
また、自民党の抵抗勢力との違いは、政治家が資金の配分過程に介入するかどうかという点に求められる。デフレを止めるためには政府が金を使うべきだという抵抗勢力の主張は間違っていない。ただし、抵抗勢力はその予算の配分過程にまで介入し、自らの利権を維持しようとしている。今年の前半は、鈴木宗男代議士の利権追求が明るみに出て、国民の大きな批判を集めた。だが、抵抗勢力は自分たち自身がそうした仕組みにどっぷりと浸かってきたことについて、一切反省していない。こうした政治家の存在を前提とすれば、不良債権処理との関連で打ち出された産業再生機構なるものが新たな利権の源になることは明らかである。政治家の役割は政策の枠組みを作り出すことであって、具体的な資金の配分には関与しないという新しい政治のモデルを民主党は構築する必要がある。
今までの日本の政治では、クリーンな政治家は非力であり、ダーティな政治家は役に立つという図式が存在した。しかし、多くの破綻した公共事業に現れているように、ダーティな政治が政策の効率を損なっているのが現実である。公共事業の配分を例に取れば、国のレベルで官僚と政治家が配分を決めるから非効率になる。今よりもある程度削減した公共事業予算の総額を示し、それを地方自治体に配分し、使途を自由に決めさせればよい。そんなことをしたら政治による利権追求の舞台が地方に移るだけだという恐れもある。しかし、自治体レベルの政策決定は、住民の努力によってかなりコントロールできる。今の時代、地域の公共事業の優先順位を地域で決めるということになれば、そうおかしな結論にはならないであろう。地域経済にとって高速道路が不可欠だという地方は、他のことをあきらめても高速道路に予算を回すであろう。そうした議論によって、効率的な公共事業予算の配分が可能となる。また、こうした改革を唱えれば、地方の良質な首長を味方につけることができるであろう。
来年は総選挙の可能性もあると言われている。経済状況が悪化の一途をたどる中で、政策的選択肢が存在しないまま選挙を迎えれば、低投票率の中での自民党の勝利という十月の補欠選挙と同じ結果が繰り返されるであろう。そうなると、政治における失われた十年はさらに長引くことになる。今の野党には、理念もなしに頭数をそろえることや、パフォーマンスで人目を引くことは求められていない。
日本政治史の大家である坂野潤治千葉大学教授は、筆者の大学における講演で、野党について次のように語った。
「理念と政策を作って、第二党として生き続ける。憲政会も苦節十年、その前の改進党も十年経って、一年か二年しか政権につけない、リベラル派は。(中略)負けても、政権から追い出されても、同じことを言い続けることが第二党の役割で、野党第一党だとか、野党連合だけを考えて政治をするな」
政権交代可能な仕組みを作ることは、日本の政党政治にとって百年がかりの大事業である。国際情勢や経済の動きが激しい現在、苦節十年などと悠長なことを言ってはいられないという焦りの声が野党から聞こえてきそうである。しかし、非自民を掲げる政党がどのような意味での非自民的政策を実現するのかを国民は注目している。自民党らしくないからこそ人気があった小泉首相だったが、具体的な政策に関してはリーダーシップを持っていないことが明らかとなっている。より本当の非自民の選択肢が待望されている状況には変化がない。
民主党の再建という道を通ってここで述べたような選択肢を立ち上げるという展開について、正直なところ、筆者は懐疑的である。明確な選択肢を作るという作業は、民主党における偽りの融和を崩し、野党の再編につながるかもしれない。しかし、それを恐れていては、政治は一歩も前進しない。熊谷氏の離党は、政策的基軸を立てるためには、むしろ歓迎すべきである。自民党の破滅が日本の破滅につながらないようにするためにも、政策的準備を持った野党の存在が不可欠である。その点で、菅新代表の責任は極めて重い。
|