8月21日、札幌の北海道大学で行われたシンポジウム「岐路にたつ戦後日本」にパネラーとして参加した。強い知的刺激を受けた。筆者に声をかけてくだっさたのは山口二郎北海道大学公共大学院教授だ。山口教授は、イギリス労働党の研究やスコットランド地方自治の研究では文字通り、日本の第一人者である。しかし、それにとどまらず、日本の政治状況についても積極的に提言を行っている。山口教授は自他共に認める社会民主主義のイデオローグであるが、全体主義に対する抵抗感はとても強く、筆者に「1968年の“プラハの春”(『人間の顔をした社会主義』を求めるチェコスロバキアの民主化運動)に対するソ連軍の介入に対する忌避観が子供心ながらに強く残った。だからマルクス主義にはひかれなかった」と述べていた。山口教授は筆者より2歳年上だから、70年代後半に東京大学法学部に在学しているが、当時の東大では、マルクス主義が知的吸引力を強く持っていた。しかし、山口氏はイギリス労働党流の漸進的社会改良主義にひきつけられた。
絶対的真理を独占する唯一の前衛党(共産党)の指導によって革命を実現するのではなく、国会、地方議会、マスメディアでの討論を重視して、国民の合意を得ながら平等な社会の実現に向けた変革に社会民主主義の神髄があるという信念を山口教授は持っているようだ。
今回のシンポジウムの案内文で山口教授は次のように強調する。
<「戦後レジームからの脱却」という安倍首相のもくろみは、7月末の参議院選挙では不発に終わりました。しかし、年金制度の危機や、集団的自衛権をめぐる政府の動きに現れているように、社会保障や雇用などの暮らしに関しても、政治や外交に関しても、戦後日本が築き、守ってきた大きな枠組みが揺らいでいることには間違いありません。参議院選挙の結果とそれに続く政治の変動も、新しい時代の予兆のように思えます。まさに、私たちが、これからどのような国や社会を造り出したいのかが問われています。>
筆者も山口教授と問題意識を共有する。もっとも集団的自衛権について、筆者は状況に応じて法制局解釈を変更して、行使すべきであると考える。また、石原慎太郎東京都知事に対する評価では、筆者は今回選挙で石原氏に投票した。それは、所与の条件ではおそらくそれが最良の選択であると判断したからだ。これらの問題について筆者と山口教授が誠実に議論しても、恐らく意見の一致には至らないであろう。しかし、重要なのはそのことではない。
新自由主義政策の嵐の中で、戦後日本が築いてきた安定した社会が崩れ、その結果、日本国家が弱体化し始めている。この傾向に歯止めをかけることだ。もはや格差ではなく貧困があちこちに姿を現し始めている。年収100万円のフリーターの夢は「年収300万円になり結婚することだ」という現実がある。いったん、年収100万円という状況に陥ってしまうと、そこから自力で年収300万円の世界に上昇することはほぼ不可能だ。
筆者自身は、右翼、保守主義陣営に属していると考えるが、出身家庭の経済状態や出身地域にかかわりなく、すべての日本国民に「機会の平等」を保障するのが日本国家の責務であると考える。建武の中興において民衆が飢饉に陥ったときに後醍醐天皇の指示で政府が備蓄米を放出したように、社会的弱者に配慮することが日本の伝統にも合致していると考える。「戦後レジームからの脱却」についても、脱却すべきことと、保全し、発展させることをきちんと仕分けして行わなくてはならない。
新自由主義政策とは、安定した状況をあえて揺さぶり、自由な空間を作り、そこで競争を行い、勝った者だけが生き残っていくという19世紀後半に流行になった社会進化論の弱肉強食路線の復活に過ぎない。それがもたらすのは本格的な貧困社会の到来で、その結果、社会的活力が削がれ、日本国家も弱体化する。
シンポジウムには200人を超える市民が参加し、議論に加わった。夕張市の財政破綻に見られるように新自由主義政策の「負の結果」が北海道に集中的に現れているので、このようなテーマを扱うシンポジウムへの市民の関心も高いのだと思う。山口教授をはじめとするまじめな左翼、市民主義陣営の声に、保守の側が真剣に対応することが日本の社会と国家を強化するために必要と思う。
(フジサンケイビジネスアイ「佐藤優の地球を斬る(85)」8月29日)
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