8月21日、北海道大学で「岐路に立つ戦後日本」というテーマで公開シンポジウムが開かれた。パネラーは、山口二郎北海道大学公共政策大学院教授、中島岳志同准教授、杉田敦法政大学法学部教授と筆者だった。7月29日の参議院選挙の結果を、政治学の立場からどう評価するという点を巡って、かなり突っ込んだ議論を交わされた。率直に言って、生粋の大学の学者が行う政治情勢分析は、現実から遊離し、現実の永田町政治を見る際に役に立たない話が多いのであるが、このシンポジウムには永田町の政治家も身を乗り出してくるような迫力があった。山口二郎教授は、自他共に認める日本の社会民主主義イデオローグでもあるが、実に懐が広く、保守勢力との真剣な対話を試みている。更に会場には平日の夜であるにもかかわらず200名を超える市民が集まり、質問もかなりでた。
北海道には東京都は別の政治空間が誕生しつつあることを肌で感じた。シンポジウムに向けて杉田敦教授は8月16日付北海道新聞夕刊に寄稿をしているが、その一部を引用する。
<ここで注目したいのは、新・自由主義と新・保守主義とで、国家の位置づけが対照的とさえいえるほど異なる点である。前者があらゆる領域を市場に任せ、国家の担う領域を極力縮めようとするのに対し、後者は改めて国家の役割を強調する。にもかかわらず、サッチャー時代などにも、二つの主義は相伴う形で出現した。
それは新・自由主義が推進する競争社会の犠牲者たちを、福祉によって救済するのではなく、新・保守主義的な「愛国心」の注入によってなだめようとするなど、両者が連携したからである。しかしながら、こうした一種の「共犯関係」にもかかわらず、新・自由主義と新・保守主義との間の、構造的な緊張関係がなくなるわけではない。 端的に言って、ナショナリズムを鼓舞し、「愛国心」教育を学校などでどんなに行おうと、若者たちが不安定な職しか得られず、格差社会の中で貧困に苦しみ、老後に十分な年金さえ受け取れないとするならば、「愛国心」をもつことなど不可能だからである。このように新・自由主義と新・保守主義とを結びつけようとする現在の保守政治は、重大なジレンマを抱えているが、安倍氏をはじめとする政治家たちは、今度の選挙で、ようやくその深刻さの一端にふれたようだ。>
政治論評を行うときは、筆者の立ち位置を明確にするのが最低限のモラルだと考える。政治の世界に厳正中立は存在しないと思うからだ。筆者は保守主義者であり、国家主義者である。従って、基本的に保守政治家を支持する。それから、1年前の状況から掌を返したように、誰もが安倍晋三氏のことを悪し様に罵る様子を見ると、筆者のあまのじゃく性が頭を持ち上げてきて、「安倍政権はそう悪くないぞ」と言いたくなる。
今回のシンポジウムで、中島岳志准教授が、18世紀末に活躍したイギリスの保守思想家エドマンド・バークの思想を敷衍し、「本来の保守は、大衆的熱狂を嫌う。ナショナリズムを煽ることを拒否する」と指摘したが、ポイントを衝いている。その観点から見てみると、小泉前首相と異なり、安倍首相はポピュリズムによって自らの政治基盤を強化することが苦手だし、そもそもそのような政治スタイルを好まないようである。大東亜戦争をめぐる歴史認識について村山談話を踏襲し、慰安婦問題について河野談話を踏襲したことに、逆説的だが、安倍氏の保守性が表れていると思う。安倍氏の政治信条からすると、村山談話、河野談話のいずれも肌合いが異なる。しかし、近過去の日本政府が決定したことならば踏襲するという方針を安倍首相はとった。このような方針を採択すると、大衆ナショナリズムを動員できなくなるということは織り込んだ上のことだ。ここに筆者は、安倍氏のよき保守主義者としての面を見る。この選挙の結果を真摯に受けとめた日本の保守主義者は、新自由主義からもっと距離を置くようにした方がよいと思う。新自由主義は、「経済主体の行動の邪魔になるものは全て除去してしまう」という排除の思想であり、真空を作り出そうとする思想である。従って、知的操作を全く必要としないのである。そして、困ったことが生じると、保守主義に尻ぬぐいをさせるのだ。率直に言って、安倍政権は小泉前政権下で行われた「負の遺産」の処理を余儀なくされたため、支持率は低下し、参議院選挙で惨敗したのだと思う。日本の保守政治には、公共事業を通じて富の再分配をする田中角栄型の「汚れた社会民主主義」の伝統があった。もちろん高度経済成長が見込まれない状況で、土建屋政治の復活はあり得ない。しかし、国家の介入により富の再配分について保守勢力、特に構造改革によって裨益していない業界、地方の利益を体現して保守政治家がもっと真剣に声をあげるべきと思う。
そのためには、社会民主主義者が徹底的に新自由主義の病理をえぐり出し、論理的、実証的に脱新自由主義的社会モデルを提示することである。そこで保守勢力が危機意識を真剣にもてば、ほんものの保守思想がでてくる。北海道大学でのシンポジウムのような社会民主主義側からのイニシアチブに保守を生き返らせる潜在力がある。
(『経済界』「天下の暴論/巷の正論(9)」2007年9月18日号)
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