与野党関係見直す機会
先の参院選で民主党が大勝し、参院で与野党逆転現象が生じてから、四カ月あまりが経過した。この状況下での与野党間の関係については、複数の選択肢が考えられる。ここではあえて、それらの優劣ではなく、いずれもが異なる理由で、日本政治が成熟するための絶好の機会となりうることを指摘してみたい。
選択肢の第一は、自民党と民主党の大連立である。この選択肢は既に一度試みられ、民主党の小沢一郎代表の辞任騒動と多くの批判を招いた。しかし、とりわけ日本では、野党は野党であるがゆえに「頼りない」「政権担当能力がない」と指摘されることが多い。そうだとすれば、政権参加で政権担当能力を示すことも重要な意味を持つ。政権担当能力を示した上で、次回選挙で政権交代を実現することもありうる。そのとき、日本政治は、恒常的に政権交代がありうるという意味で、より成熟したものとなるだろう。
選択肢の第二は、与野党間の討論・協議に基づく政治である。衆参両院のねじれ現象は、「数の力」に任せた国会運営が困難であることを意味する。そうであれば、与野党はさまざまな審議課題ごとに、真摯かつ粘り強い討論・協議を通じて、合意できる地点を模索する必要がある。単純に多数決で決めるのではなく、互いの主張の妥当性を理性的な対話の中で吟味することを通じて合意に達する民主主義のあり方は、近年の政治学で「熟議民主主義」と呼ばれ、注目されている。
もちろん、政治家の対話は果たして理性的なのか、それはよく言って、互いの政治的利害の駆け引きにすぎないのではないか、という疑問もあるだろう。政治における理性的な対話など、しょせんは偽善にすぎないかもしれない。しかし、政治哲学者ヤン・エルスターによれば、たとえ偽善であっても、理性的な対話を行い続けることで、利害むき出しの交渉を行いにくくなり、結果的に政治的討論・協議がより質の高いものになる。与野党間の対立が厳しくなる状況だからこそ、数の力に任せない、熟議民主主義という形での民主主義の成熟が期待できるのである。
最後の選択肢は、これとは逆に、断固とした与野党対立の政治である。野党は徹底的に野党の立場を貫くことで、与党の政策形成に大きなプレッシャーを与えることができる。野党も対案提起型であるべきだという考えもある。しかし、野党が野党である限り、たとえ有効な対案を提起しても、与党はその対案をも摂取し、自らの手柄としてしまう。議会制民主主義の一つのモデルともされるイギリス政治では、野党の存在意義は、与党の政策を徹底的に批判することに求められる。対案は、自らが与党になって実現すればよいのである。そうだとすれば、参院で野党が過半数を確保した現在こそ、野党が野党としての存在意義を存分に示すという意味で、議会制民主主義がさらに成熟するためのよい機会ということになる。
政治に必然はない。ゆえに、複数の選択肢のどれが採用されるか、されるべきかについての正解もない。ただし、第一の選択肢は当面ありえないだろうが…。いずれの道も、異なる意味において、日本政治が成熟するための機会を提供しうる。その機会をどう生かすかは、もちろん政党と政治家の側の問題である。しかし同時に、現状に成熟の機会を読み取ることができるかどうかは、市民の側の問題でもある。真摯な討論・協議も、断固とした与野党対立も、ともに迅速かつ円滑な国会審議とは程遠い。人々には、それを停滞、非効率、空転と見るのではなく、待つことが求められる。その意味で、政治家以外の人々にとっても、現状は政治的成熟のためのよい機会なのである。
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