「ワーク・ライフ・バランス(仕事と生活の調和)」という言葉が、最近よく使われる。要するに、人々が仕事(ワーク)だけでなく私生活(ライフ)も充実できるようにしようということである。
昨年十二月、仕事と生活の調和推進官民トップ会議で、「ワーク・ライフ・バランス憲章」が決定された。憲章では、その必要性について、正社員と非正社員との二極化に伴う前者の長時間労働と後者の低収入との問題、共働き家庭の増加による女性の仕事と家庭との両立の困難など、仕事と生活の間で問題を抱える人々が増加していることを理由に挙げている。
憲章は、一方で、ワーク・ライフ・バランスが少子化対策や経済的な生産性向上に役立つことを指摘する。アメリカでワーク・ライフ・バランスが提案された時も、それが社員のやる気を高め、企業の生産性向上に資することが強調されたのであった。
しかし、他方で、男女共同参画の視点もある。男女共同参画とは、簡単に言えば、性別によって個人の役割を決めつけることのない社会にしようということである。言い換えれば、これまで「男は仕事、女は家庭」という役割が固定されがちであったということだ。憲章は、このような男女の固定的な役割分担意識の残存が、人々の仕事と生活との間の問題を引き起こしていると言う。
男女共同参画の観点から重要なことは、男性にとってのワーク・ライフ・バランスという視点である。従来の男女共同参画の取り組みは、主に女性の社会進出支援であった。小泉政権時代に「女性のチャレンジ支援」が掲げられたことは、その典型である。また、近年、民間企業でも、社員の両立支援のために事業所内保育所の設置や短縮勤務制度の導入などが進められている。これも多くの場合、子どもをもつ女性社員を念頭に置いたものである。
しかし、女性の社会進出支援には限界がある。この考え方では、仕事と家庭を両立させるのはあくまでも女性である。つまり、保育所の整備や勤務時間の柔軟化でどれほど支援されようとも、最終的に家事や育児あるいは介護を担うのは女性である。性別による役割分担は、根本的なところでは変化していない。それどころか、女性の家事や育児への支援ゆえに、男性は一層仕事に専念できるということにもなりかねない。女性はその場合、仕事と家庭を両立させる必要のない男性と等しく評価されることは難しい。
このことは、女性自身を精神的に追い詰めることになるだろう。なぜ私だけが評価もされないままに「両立」させて頑張らなければならないのか、と。そして、男性の側はそのような女性の苦しみを理解するよりも、むしろ「女性は恵まれている。男性は休むことさえできないのだから」と考えることだろう。ここに「調和」は存在しない。
性別による役割分担の変更のためには、男性の変化が重要である。「男は仕事」の発想を改め、男性も家事や育児などにもっとかかわることである。これは、それほど非現実的な提案ではないかもしれない。日本の男性の長時間労働と家事・育児時間の短さは、先進国でも突出している。裏返せば、諸外国では日本ほど「男は仕事」ではないということだ。何より日本でも、仕事と家庭の両方を大切にしたい男性が増えている。
とはいえ、男性のワーク・ライフ・バランスのための特効薬は存在しない。少なくとも、経営者には職場の雰囲気の改善、政治には所得保障と労働時間規制のための新しい構想、そして私たち自身には、不便さを甘受する姿勢が求められる。深夜営業の商店や翌日配達の配送は、そこで働く人々の「バランス」を損なうことで成り立っている。多少の便利さを失う見返りに誰もが充実した生活を得ることができるのならば、悪くない選択ではないだろうか。
(中国新聞朝刊「今を読む」2008年04月06日)
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