民主党の小沢一郎代表が先月中旬、同党の女性議員ネットワーク会議であいさつし、候補者擁立におけるクオータ制に言及したそうである。クオータ制とは、ここでは国政選挙時の同党の立候補者のうち、一定数を女性に割り当てることを指す。たとえば、候補者の40%を女性にすれば、当選者に占める女性割合も同程度となることが期待できる。
クオータ制が論じられる背景には、女性議員が圧倒的に少ないという現実がある。確かに、女性議員の活躍が話題となることもある。また、小泉政権発足時には、五人の女性が入閣し話題となった。しかし、全体としては、女性議員の数は極めて少なく、衆議院では四十五人、9・4%にすぎない。世界的にも、この数字はかなり低いほうであり、IPU(列国議会同盟)によれば、世界第百三位に相当する(三月三十一日現在)。
ちなみに、上位二十カ国は30%を超えており、クオータ制を採用している国も多い。政党の自発的取り組みによるものが多いが、法律によって定めている場合もある。
それにしても、いくら女性が少ないからといって割り当てを行うことが正当化できるのか、という疑問は残るだろう。このような疑問は、政治学者の中にも存在しており、「なぜクオータ制なのか」について、いくつかの見解が提起されてきた。
第一は、ロールモデル論である。小沢党首は、クオータ制には賛成だが、いざとなると候補者に名乗りを上げる女性が少ないことが問題だと述べたそうである。しかし、それは、そもそも女性議員が少ない中で、自分がやっていけるというイメージを描きにくいことが原因かもしれない。とりわけ、家事や育児の分担が圧倒的に女性に偏っている現状では、政治家という激務と家庭との両立が可能なのかと不安に思う女性も多いと予想される。よって、まず女性議員を増やすことで、目指すべきモデルを増やすことが必要というわけである。
第二は、女性議員が少ないことは端的に公正ではない、というものである。女性は人口のほぼ半分を占めるにもかかわらず、その代表であるはずの議員ではわずか一割というのは筋が通らない、というわけである。その理由として、先ほど述べた家事・育児分担の偏りという知見が加わると、さらに不公正の程度は増す。
第三は、「女性の利益」論である。つまり、女性は女性の経験に由来する利害や要求、関心を持っているが、女性議員が少ないとそれらが政治において適切に扱われない、だから女性議員を増やすべきだ、というわけである。育児や介護、「女性の」就労・雇用、セクシュアル・ハラスメントなどの問題については、従来男性議員の関心は薄く、重要な政治的問題として取り上げられにくかった。もちろん、女性の中でも、これらの問題についての見解の相違はある。しかし、女性議員が増えることで、これらの問題そのものが政治的争点となる可能性が高まると期待できるのである。
もちろん、これらの見解に対する疑問・反論もある。なかでも重要な疑問は、「女性議員は誰の、何の代表なのか」というものである。現行の選挙制度を前提とすれば、政治家が選挙区(地域)の代表、国民の代表あるいは政党の代表であるという説明はつく。しかし、「女性党」の候補者でない限り、選挙制度から女性議員を「女性の代表」とする理由を導くことは難しいのである。
その意味では、有権者が女性候補者支持という選択を行うことで、「女性を擁立したほうが選挙に勝てる」という政党の合理的選択を促すことが効果的かもしれない。変わろうとする政治は、変えようとする有権者の意思を必要とするのである。
(中国新聞朝刊「今を読む」2008年06月01日)
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