編集部註
(1)辻清明(つじ・きよあき 1913−91) 行政学・政治学者。1937年東大法学部卒。東大助手となり、蝋山政道の指導を受けて行政学を専攻。38〜40年応召。東大助教授を経て51年教授(〜74年)。67年法学部長(〜68年)。74年国際基督教大学教授(〜84年)。79年文化功労者。わが国で最初に科学的な行政学研究を行うとともに実務的な行政学の普及、指導につとめた。日本行政学会初代理事長。早くから日本官僚における制度と実体の研究を行い『日本官僚制の研究』(1952年)を公刊。また現実政治の動向にも関心を示し、サンフランシスコ講和では全面講和を主張、勤評問題についても教育自治の本旨に反するとして反対を表明。60年安保には新安保の決定は国民投票に問うべきだと主張した。著書『行政学概論』(1966年)『社会集団の政治機能』(1950年)『政治を考える指標』(1960年)など。
(2)矢部貞治(やべ・ていじ 1902−67) 政治学者。東大法学部卒。1939年東大教授。昭和研究会に参加し、近衛文麿のブレーンとして新体制運動立案に参画。戦後東大を退き、近衛公伝記をまとめるかたわら政治評論。55年拓大総長(〜60年)。憲法調査会副会長、報告起草委員長。著書『政治学』(47、49年)『近衛文麿』2巻(52年)『民主主義の基本問題』(54年)『矢部貞治日記』(矢部貞治日記刊行会編、1974〜75年)。
(3)福田歓一(ふくだ・かんいち 1923−2007) 政治学者。灘中、一高を経て、東大入学。学徒出陣後、1947年東大法学部卒業。南原繁に西洋政治思想を学ぶ。東大法学部教授、同法学部長(78〜80年)、明治学院大学学長(90〜96年)を歴任。著書『近代政治原理成立史序説』(1971年)『政治学史』(1985年)ほか。『福田歓一著作集』全10巻(岩波書店)。
(4)スペインで始まった 1975年11月20日、36年のスペイン内乱以来の独裁者フランコが死ぬと、二日後にファン・カルロス一世が即位し王政が復活したが、立憲君主制下で民主化が進み、77年4月、41年ぶりの総選挙が行われた。ポルトガルでは32年から68年まで首相を務めた独裁者サラザールの引退後の74年4月、軍部の無血クーデタが起き、サラザールの後継者カエターノ政権を打倒、民衆・左翼勢力もこれを支持し(リスボンの春)、76年4月、民政移管した。ギリシアでは67年4月クーデタにより軍部が政権を握り、73年6月王政廃止、10月王政復活と政治的動揺が続いたが、74年12月の国民投票で王政廃止が決まり、共和制へ移行した。
(5)超然主義 1889年2月12日、大日本帝国憲法発布の翌日、黒田清隆首相は地方官会議で「……然れとも政府は常に一定の方向を取り、超然として政党の外に立ち、至公至正の道に居らさる可らす……」と述べ、政府は政党の動向に左右されずに政策を行うと表明した。
(6)中江兆民(なかえ・ちょうみん 1847−1901) 明治期の自由民権思想家。高知県の下級武士の家に生まれる。名は篤介(篤助)。兆民は号。藩校文武館を経て、長崎・江戸でフランス学を学ぶ。1817年岩倉遣外使節とともにフランスに留学、法学・哲学などを学ぶ。74年帰国、東京に仏学塾を創設。翌年東京外国語学校長を経て元老院権少書記官となるが、77年辞職。81年『東洋自由新聞』主筆、82年『自由新聞』社説掛、88年『東雲新聞」主筆。90年第一回衆議院議員。著訳書『民約訳解』(1882年)『三酔人経綸問答』(1887年)『一年有半』(1901年)など。『中江兆民全集』全17巻、別巻1(岩波書店)。
(7)笠信太郎(りゅう・しんたろう 1900−67) ジャーナリスト。朝日新聞論説主幹。東京商科大卒。大原社会問題研究所を経て、1936年東京朝日新聞社に入社、論説委員となる。近衛文麿のブレーン組織「昭和研究会」にも参画。40年欧州特派員としてドイツに渡るが、独ソ開戦のためスイスに滞在。滞在先から対米和平工作に協力。48年帰国し論説主幹に就任、62年まで14年間にわたって論説主幹を務めた。著書『日本経済の再編成』(1939年)『ものの見方について 西欧になにを学ぶか』(1950年)『花見酒≠フ経済』(1962年)など。
(8)「ロスジェネ」世代 Lost Generation(失われた世代)。本来は第一次大戦後に戦争の残酷さの実感から虚無と絶望に陥ったヘミングウェイ、フィッツジェラルド、フォークナーなど、一群の若いアメリカ作家達をいう。アーネスト・ヘミングウェイにガートルード・スタインが投げかけた台詞(You are all a lost generation.)に由来。90年代以後の南アフリカ諸国においては学校教育を受けずに犯罪を繰り返す青年が社会問題となり、それらの青年を指して呼んだ。 日本ではバブル崩壊後の「失われた10年」に社会に出た若者たちの世代に多いフリーター、ニート、ひきこもり、派遣労働者、就職難民たちを総称する言葉として用いられる。
(9)下村治(しもむら・おさむ 1910−89) 経済評論家。東大卒。大蔵省に入り、日銀政策委員、財務調査官などを経て退官。のち日本開発銀行理事など。池田内閣時代にそのブレーンとして国民所得倍増計画、高度経済成長政策を推進。戦後日本経済の高度成長を最も早い時期に予測し、1954年「金融引締め政策──その正しい理解のために」を発表、ケインズ流の「下村理論」は、経済界の話題を呼んだ。73年秋の石油ショック以降は一転してゼロ成長論を展開した。著書『経済成長実現のために』(1958年)『経済大国日本の選択』(1971年)など。
(10)都留重人(つる・しげと 1912−2006) 経済学者。旧制八高を反帝同盟事件で放校され、渡米。ハーバード大卒。同大経済学部講師となったが、戦争のため「日米交換船」で帰国。戦後片山内閣の経済安定本部調整委員会副委員長となり、第一回『経済白書』を起草。のち一橋大学教授、同経済研究所長、同学長を歴任。平和問題談話会や政府の物価問題懇談会、公害審議会、総合エネルギー調査会などで活躍。36年創刊の『サイエンス・アンド・ソサエティ』に関係したことで、マッカーシーの「赤狩り」に遭い、57年アメリカ上院に喚問された。著書『戦後日本のインフレーション」(1949年)『経済の論理と現実』(1960年)『都留重人著作集』全13巻(誰談社)。
(11)「村山談話」 1995年8月15日の戦後50周年記念式典に際して、内閣総理大臣・村山富市が、閣議決定に基づき発表した「戦後50周年の終戦記念日にあたって」と題する声明。日本が戦前、戦中に行った「侵略」や「植民地支配」について公式に謝罪し、日本国政府の公式の歴史的見解としてその後の内閣に引き継がれている。
(12)大杉栄(おおすぎ.さかえ 1885−1923) 大正時代の無政府主義者。1901年名古屋陸軍幼年学校を放校され、翌年上京し海老名弾正の本郷会堂で洗礼を受ける。03年東京外国語学校入学。『万朝報』を通じ足尾鉱毒事件、幸徳秋水・堺利彦らを知る。週刊『平民新聞』の読者となり、平民社の研究会に参加。06年電車賃値上げ反対運動に参加、検挙され入獄。以後入獄のたびに「一犯一語」をめざして外国語習得に努めた。08年金曜会事件・アカハタ事件で検挙され入獄。12年荒畑寒村と『近代思想』、14年『平民新聞』を発刊するかたわら「サンヂカリズム研究会」を組織。18年伊藤野枝と『文明批評』、和田久太郎らと『労働新聞』を創刊。20年日本社会主義同盟の発起人となる。23年関東大震災時の戒厳令下で憲兵大尉甘粕正彦らに伊藤、甥の橘宗一とともに虐殺された。「大杉栄全集」全11巻(1963〜64年、現代思潮社)。
(13)堀田善衞(ほった・よしえ 1918−98) 小説家。慶大文学部仏文科卒。在学中から同人誌に詩・詩論を発表。1945年上海で敗戦を迎え、国民党に徴用される。47年帰国後、上海での体験をもとに「祖国喪失」「歯車」などを発表。51年「広場の孤独」で芥川賞を受賞。56年、アジア作家会議に出席のためにインドを訪問、この経験を岩波新書の『インドで考えたこと』にまとめる。以後、諸外国をしばしば訪問し、その中での体験に基づいた作品を多く発表。59年アジア・アフリカ作家会議日本評議会の事務局長、74年新たに結成された日本アジア・アフリカ作家会議でも初代事務局長を務めた。71年『方丈記私記』で毎日出版文化賞、77年には丸山の『戦中と戦後の間』とともに『ゴヤ』で大佛次郎賞、94年『ミシェル城館の人』(全3巻)で和辻哲郎文化賞を受賞。『堀田善衛全集』全16巻(筑摩書房)。
会場配布資料【講演レジュメ】
はじめに もし丸山が政権交代を見ていたら?
1 丸山以後の政治学
・動機づけの変化 第1世代 敗戦と解放、民主化
第2世代 大学闘争=学問の官僚化への反発
第3世代 学問の制度化=精神なき専門人への道
第4世代 現実と切り結ぶ政治学
・戦後政治学の遺産 理想主義的批判主義+リアリズム
知的なパッション
「政治学の理論や歴史への知的関心と現実への実践的関心との奥深い契合」→資料1
・政治学の存在意義をめぐる問い(1990〜) 自民党+官僚体制の腐朽
民主化の波(南欧→東欧→東アジア)
変化にどう向き合うか
2 現実政治と政治学(者)の位置関係
・明治憲法体制形成期の三角構造 国権主義的官僚政治家
ルソー的ロマン主義=民権派
福沢的政党政治=平穏のうちに政権を授受
By 坂野潤治『日本憲政史』
・戦後政治における相似形 官僚主導体制
革新勢力=院外の大衆運動による変革
イギリスモデルを志向した革新内右派
・冷戦=55年体制下の批判的知性 権力と知性の役割分担
=権力に対するブレーキとしての論壇
「3分の1主義」との結果的結合
欲望自然主義批判
・諸前提の崩壊と実践的課題の出現 冷戦の崩壊と自民党の終わり
→新たな政治主体をどう立ち上げるか
安楽への全体主義とロスジェネの挑戦
「丸山真男をひっぱたく」の意味
現代日本における「自由と平和」の欺瞞性
3 戦後政治学とリアリズム
・丸山におけるリアリズム 理想と現実の緊張関係
漸進的変革→資料2
・リアリズムは継承されたのか 政治における「決定」の必要性
ブレーキとしての批判的言説→決定の回避,遅延
改革の時代と決定の必要性→資料3
政治学は決定にコミットすべきかどうか
・丸山が「夜店」から撤退したことの意味 60年安保と保守政治のモデルチェンジ
丸山真男と下村治の対比→資料4
経済の現実と政治における「永遠の真理」
政権交代のリアリティの喪失→資料5
・改めて問われる政治と政治学の間 政治指導力の磨滅と官僚の能力低下
政治学者はどう対応するか?→資料6
制度の提案と改革へのコミット
オポジションの創出へのコミット
第一世代からの反発
4 政権交代と政治学
・第一次政権交代(1993年)の意義 政治改革の文脈
冷戦崩壊と保守の分岐
選挙制度改革の実現
バブルの余韻と自民党の生命力
村山政権と社会党の最後の貢献
・第二次政権交代(2009年)の意義 新自由主義と貧困、不平等社会の出現
中道左派という結集軸
選挙による政権選択の実現
民主主義と社会民主主義の結合
・民主党政権の敗因と政治学 理念的基軸の空白
政策を支える知的基盤の空白
政権運営を支える知恵の空白
・制度改革論の意義と限界 21世紀臨調の影響力
隠れたアジェンダとしての政権交代
超党派的説教の限界→資料7
結び 政治学は新しいデモクラシーを作り出せるか
・幻滅に慣れることの重要性 リアリズムとシニシズムの違い
堀田善衞の至言→資料8
懐疑的理想主義の必要性→資料9
・悪さ加減の選択ということ 今ある選択肢の中で考える
選択肢を広げる努力をする
時間の幅を広く取る
社会の力を強くする→資料10
会場配布資料【資料】
1 加藤節『デモクラシーと国民国家』(岩波現代文庫)へのあとがき (福田歓一の政治学から後の世代が引き継ぐべき最大の遺産を)原理を持って現実に批判的に立ち向かい、理念によって現実を越えようとする理想主義的批判主義に求めたい。福田が南原や丸山から継承したこの批判主義的伝統がこの国の戦後政治学のもっとも優れた水脈をなしている。
2 丸山 『文明論の概略を読む上』(岩波新書) 政治について絶対的なユートピアなどはないのだ、すべて条件的なもので、そのことを忘れるのが、福沢のいう「惑溺」の一種です。このコンディショナル・グッドが帯患健康と同じです。
3 山口 「アカデミックジャーナリストとしての丸山真男」(『図書』、1995年7月) 政治の中で何が可塑的な部分で、何が長期的課題かを識別する作業が革新勢力の中で行われてこなかった。政治における「帯患健康」のありようを考える作業が閑却されてきたのが戦後革新の歴史ではなかったのか。
4 中野 雄 『丸山真男 人生の対話』(文春新書) 下村さんは、学者のそうした万年野党的な言説(都留重人などの高度成長の歪みに対する批判)に対しては、「あれは永遠の真理≠説いているだけです。いつも永遠の真理≠フ側に身を寄せているのは気楽なものなんです」と、むしろ軽蔑しておられるようです。・・・ 「永遠の真理≠フ側に身を寄せてか―――厳しいけれど、傾聴に値する言葉です」
5 丸山真男回顧談 上巻(岩波書店) 今みたいな時代に学問をするということは非常に難しい。・・・対決するものがないわけです。(中略)要するにただ対象を研究するというだけになる。とくに社会科学をやるのに非常に難しい時代になっている。
6 宮村治雄『戦後精神の政治学』(岩波書店) 「他者を他者として理解する」という丸山の要請に応えようとすれば、その言葉は改めて「現代の危機」の逆説性を穿ったものとして響いてくる。今日の政治理論の「隆盛」が本当の意味で「政治的成熟」へと結びつくのか、それとも「対立なき時代」の徒花で終わるのか、我々自身の問題として投げ返されている。
7 大杉栄「盲の手引きする盲」(『大杉栄評論集』、岩波文庫) 「かく第一義的のものを看過して、第二義的なものに没頭するところに、学者先生、殊に社会科学の学者先生の本領があるのだ」 「政治の目的は分からない。何のためだか何人のためだか分からない。しかしとにかくその目的を達するための最も有効な方法があるというんだ。実に眉唾物の至りである。」
8 堀田善衞「出エジプト記」(『天上大風』ちくま学芸文庫) 「自由と解放の後に幻滅の感が来ないとしたら、そっちの方が不思議なのであったが、自由と解放の輝光があまりにも美しかった場合、その後に来るものが、絶えることのない政党間の抗争であり、裏取引であり、不決定であり、旧悪の暴露合戦であったりした時、幻滅は不可避である。」 「民主主義とは、それ自体に、これが民主主義か?という幻滅の感を、あらかじめビルト・インされたform of governmentなのであった。」
9 丸山「政治的判断」(『丸山真男セレクション』平凡社ライブラリー) 政治的選択というものは・・・「悪さ加減の選択」なのです。
第一に、政治はベストの選択である、という考え方は、ともすると政治というものはお上でやってくれるものである、という権威主義から出てくる政府への過度の期待、よい政策を実現してくれることに対する過度の期待と結びつきやすい。つまり、政治というものはもともと「自治」ではなくて、政府がよい政策をやってくれるものだという伝統的な態度と結びつくのです。したがって、こういう政治というものをベストの選択として考える考え方は、容易に政治に対する手ひどい幻滅、あるいは失望に転化します。つまり政治的な権威に対する盲目的な信仰と政治にたいする冷笑とは実は裏腹の形で同居している。・・・
政治というものは、われわれがわれわれの手で一歩一歩実現していくものだというプロセスを中心にして思考していったものでなければ容易に過度の期待が裏切られて、絶望と幻滅が次々にやってくる。
10 湯浅誠 社会運動と政権(『世界』2010年6月) 私は、最終的には社会が主で、政治が客だと思うから、一気に進展しないとしても、それは社会の勢力図の反映だと考える。一歩を刻むところまでは来た。しかし、それ以上ではないから一歩しか刻めない。それは、最終的には運動体の世論形成の弱さに起因している。弱いながらも、一歩を刻むところまでは来た。
講演本文
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