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最近書いた評論を幾つか紹介します。

「経済成長や福祉国家を超えた歴史の方向性はあるのか?―国家・権力の両義性を考える」

(杉田敦『両義性のポリティーク』」『週刊読書人』2015年12月11日)

権左武志(北海道大学教授・政治思想史専攻)

 本書は、政治理論家の著者が過去十年間に主として時事問題を論じた論文を集めたものである。まず、変転する時事的文脈を一貫して貫く著者の思考様式を取り出してみよう。

 著者は、第一に、フーコーに従い、リスクを誰か一部に被せて共同体全体が生き残るという「生権力」のメカニズムが、国家理性論以来、戦争時の徴兵や内戦時の粛清から新自由主義的「改革」や公務員叩きまで見られると論じ、生権力には消極面ばかりか、福祉国家を実現する積極面という二面性があると指摘する(一、二章)。また同質的集団という意味のネーションは、構成員の地位を確定し、生活を保障するべく要請されたから、ナショナリズムには一部を排除し犠牲にするという「光と影の両義性」が付きまとうし、生権力に関わる社会権では権力が自由の条件をなすという(三章)。

 第二に著者は、社会的連帯は国民的連帯としてのみ実現できるというD・ミラーのナショナリズム論を取り上げ、福祉国家を実現するには国家による税徴収の強制力や人の移動制限・国境管理が必要になる可能性を指摘する(四、五章)。そこから、国家は人権を侵害するばかりか、擁護する面があるという国家の役割の両義性や、国境が人権侵害を覆い隠すと共に、国境を超えた人権救済の危険性という国境の両義性が説かれる(六章)。

 第三に著者は、選挙で多数を得た与党・内閣に「期限付きの独裁」を認め、「政治主導」で官僚支配を克服する「政治改革」の議論を検討し、その決断主義と主権信仰を批判する(八-十章)。緊縮財政や増税等、多数派に負担を求める決定は困難だから、多数支配型民主政は、多数派の外部(少数派や他国)を攻撃する「ポピュリズム」を誘発する。また経済や環境の「グローバル化」は政治の統制を超えて政治を周辺化するから、政策を事前に包括的に決定する「マニフェスト」政治は不可能となる。むしろ議会選挙の代表制には限界がある以上、代表制を直接民主政で補完し、多元化する必要がある。

 著者の実践的判断全てに同意しないとしても、これらの洞察は、現在を把握しようとする著者の高度な理論的省察の所産と評価できよう。だが、単一の解を断念し、両義性の「霧中をさまよう」著者の思考には、生権力やナショナリズム、国家や権力を批判しながら正当化してしまう根本的両義性が付きまとうのも事実である。それは、ある時は権力を「指導者」に統合せよと説き、ある時は権力の暴走を止めよと説く「改革」派の機会主義に際どく接近するようにも見える。

 そもそも、特定一部を犠牲にして全体を生存させるという生権力やナショナリズムの功利主義は、集団を超えた普遍的価値や国家以前の自由権を想定しない限り、充分に相対化し克服できないだろう。著者は、権力を警戒する旧左派の自由主義を批判し、福祉国家は強力な権力を要請するという権力の生産的な側面を指摘する。だが、社会的統合は国民的連帯として可能だという福祉国家論は、「権力の統合」を求める決断主義へと誘惑しかねない。そして、多数の喝采を求め、指導者願望をかき立てる決断主義政治家は、国民投票ばかりか、住民投票や議会選挙さえも、自己正当化の手段として利用できる。著者も、多数決型デモクラシーの危険な側面に注意を促しているが、なぜ自由主義なき民主主義が「非常に危ない」のか、歴史の事例に即して丁寧に説明する必要があるだろう。

 私たちは、二十世紀以来の歴史の中で現在を把握し位置づけるならば、現在をより良く知り、自分たちの位置や進路を認識できる。そして、様々な選択の束からなる過去の歴史、普遍的価値を含む過去の思想を手掛かりに歴史全体を見渡すならば、経済成長や福祉国家を超えた歴史の方向性を見出せるだろう。

「ナショナリズム・超国家主義・死者追悼―戦後思想はナショナリズムを誤解してきたのか?」

(先崎彰容『ナショナリズムの復権』『週刊読書人』2013年7月26日号)

権左武志(北海道大学教授、政治思想史専攻)

 敗戦から間もない一九四六年三月に南原繁は、今回の戦争の「真理と正義」は、日本でなく米英の上にあったのであり、戦没学生は「国民的罪過に対する贖罪の犠牲」だったと述べ、戦死者を追悼した。では、その後の戦後思想は、超国家主義と戦争体験、死者の追悼といったナショナリズムの問題といかに取り組んだのだろうか。本書は、この点を多角的に考察し、ナショナリズムに関する従来の誤解を正そうとした試みである。

 著者によれば、ナショナリズムは次の三つの意味で誤解されてきた。第一に、ナショナリズムを超国家主義=全体主義と取る誤解、第二に、ナショナリズムを死の衝動に駆られた疑似宗教と取る誤解、第三に、ナショナリズムを平準化=民主主義と取る誤解である(第一章)。そこで、著者は、アーレントや柳田国男、江藤淳らを手掛かりに、ナショナリズムをこれらの誤解から解き放とうとする。

 まず、アーレントやゲルナーによれば、帝国主義の膨張欲が産み出すモッブやスラム街の難民は、過去からも他者からも断絶した根なし草として、現状への不満に苛まれており、こうした孤独な群衆が人種思想という全体主義の条件を生み出した。そこで、ナショナリズムは、全体主義から区別する必要がある(第二章)。また、アントニー・スミスは、ナショナリズムを、個人が死を乗り超えるアイデンティティの手段だと考えたのに対し、柳田国男は、明治を超える伝統を手掛かりに、先祖から子孫に至る場所を守る信仰として理解した。そこで、柳田のナショナリズムは、疑似宗教からも区別される(第四章)。更に、八・一五以降の戦後日本では、丸山眞男が、朱子学と徂徠学の対比で戦前と戦後の断絶を説明しようとしたのに対し、江藤淳は、朱子学が登場する一六〇〇年を戦後の断絶に重ね合わせ、伝統の崩壊と普遍思想の到来として理解した。そして、「喪失の時代」に見られる民主主義の過剰に対し、歴史とのつながりを取り戻すナショナリズムの意義を説いた(第五・六章)。

 こうして著者は、変化の絶え間なき「戦後の空虚さ」に対し、死者との交流や土地の暮らしを重視し、価値の体系を守るという意味で、「ナショナリズムの復権」を提唱する。

 戦後思想は、ナショナリズムを一国の統一と独立という歴史的観点から論じたのに対し、著者のナショナリズム論は、場所や伝統、死者との絆を重んじる点で、江藤と同じアイデンティティ中心のナショナリズム理解に接近する。それは、西欧では、フランス革命に反対したバークの保守主義に、日本では、和辻哲郎の倫理学に当たるだろう。だが、英国のように一六八八年の伝統を持たない国では、大正教養派の共同体倫理は、超国家主義に対し全く無力だった点を想い起す必要がある。というのも、共同体を超える価値を欠く限り、国策への奉仕こそ至上価値だと説く日本ナショナリズムの呪力に抵抗できないからである。また、伝統や死者との交流を重視するナショナリズム理解は、日本的伝統たる皇室の祭事と結びつくならば、日本ロマン派のように、死に駆り立てる疑似宗教にもなりかねない。

 二〇〇一年以後のグローバル化政策が絶えざる変化と流動性を推進し、将来への不安を高める中、新ナショナリズムと独裁の誘惑が間近に忍び寄ってくる。本書は、こうした問題状況を思想的に映し出した時代の鏡として読むこともできる。だが、問題への処方箋を考える上で、戦後思想のアクチュアリティは何ら失われていない。というのも、戦後思想は、超ナショナリズムの起源を幕末維新期から太古の古層まで遡り、意識化を通じてその呪力から脱する知的追悼の努力だったからである。戦後思想を誤解から解き放ち、日本ナショナリズムの呪縛から脱する追悼の作業は、今後も残された未完の課題である。

「未完のプロジェクトとしての戦後改革―戦後日本の精神革命はいかに成し遂げられたか?」

(山口周三『南原繁の生涯:信仰・思想・業績』『週刊読書人』2012年12月14日号)

権左武志(北海道大学教授、政治思想史専攻)

 「一国の統一と独立という最初の目的を達成したナショナリズムは、ほぼ自動的に帝国主義へ発展する」(E・H・カー)。近代日本が歩んだ道程は、まさにこの一般法則に沿うものだったが、そこで決定的役割を果たしたのは「忠君愛国」教育だった。本書は、明治憲法制定の年に生まれ、ナショナリズムの成長から帝国主義の破滅に至る近代日本を生き、日中国交回復の二年後に亡くなった南原繁の生涯(一八八九-一九七四年)を、膨大な資料に基づき描き出した本格的評伝である。まず本書の概略を要約しよう。

 南原は、讃岐出身の苦学生として一高・東大に学ぶ中、大逆事件直後の徳富蘆花の講演に震撼し、新渡戸稲造と出会って、内村鑑三を師とする信仰共同体へ加わる。第一次大戦後の内務省で労働組合法案を起草した後、唯物史観の源流をなすドイツ観念論を研究するため、大学へ戻り、三年間欧州に留学する。帰国後「洞窟の哲人」として政治学史の研究に専念するが、一九三〇年代に滝川事件・天皇機関説事件・平賀粛学という学術の自由の抑圧を体験し、太平洋戦争末期の学徒出陣と大空襲を経て、天皇への終戦工作に奔走する。

 敗戦後、東大総長に選出された南原は、戦没学徒を追悼し、復員学生を鼓舞する一方で、教育刷新委員会で、田中耕太郎文相と共に教育勅語から教育基本法への転換と学制改革、教育委員会設置を成し遂げる。四九年の再選後は、マッカーサーの同意を得て、国連による安全保障と中立化路線を唱え、中ソを含む全面講和を主張する。朝鮮戦争の勃発で、吉田茂・ダレスの単独講和・米軍駐留路線が勝利を収め、五二年のサンフランシスコ講和・日米安保条約につながるが、南原は、晩年まで教育改革と全面講和の理念を変えなかった。

 このうち、戦後の総長時代は『回顧録』に欠けていた部分であり、戦後の業績を議事録に基づき克明に解明した点、特にGHQによらない自主的な教育改革を発見し、ダワーの占領期研究を修正した点は、本書の第一の功績である。教育の役割は、国策に仕えるのでなく、権力から独立した「真理と正義と平和を愛する人間」の育成であり、大学教育の目的は、専門知識を超えた、全体を見通す一般教養の習得と人間形成にある。こうした南原らの理念は、低次の衝動を充足する功利主義的改革で大学教育が劣化した現状を目にする時、何と新鮮に響くことだろうか。また、現実の中に理想への可能性を見出す「現実的理想主義」は、米軍基地や領土問題という吉田外交の残した負の遺産に苦しめられる今日、外交の指針として依然その意義を失わない。

 本書の第二の功績は、これら業績を生み出した南原の思想が、超越的世界への信仰に支えられていることを示し、内村との交流や祈禱会という信仰生活を伝える点にある。真善美と並んで正義が自立的価値をなすというカント派の価値並行説も、共同体を超える価値への信仰に支えられており、内村らの「日本的キリスト教」は、正義や自由という普遍的価値による日本型共同体の変革を要求するものだった。というのも、南原が一九三〇年代から得た教訓は、「指導者」不在の統治構造でなく、所属集団への奉公こそ最高の価値だと教える愛国教育やナショナリズムの呪力からの解放にあったからである。

 南原が焼け跡の廃墟で掲げた、「真理と正義と平和」という戦後改革の理念は、六〇年を経た現在も何ら誤りはなく、今後も継承すべき未完のプロジェクトである。「国を興し、また国を滅ぼすものは教育である」という南原の残した言葉は、日本の将来に対する重い警告をわれわれに突き付けている。

「価値相対主義・運命愛・怨望―デモクラシーの敵は何か?」

(書評:苅部直『歴史という皮膚』『週刊読書人』2011年7月22日号)

権左武志(北海道大学教授、政治思想史専攻)

 日本の近現代史を振り返る時、近代日本はいかにして一国独立への変革を自力で成し遂げたのか、いかにして植民地争奪戦の果てに見込みなき戦争を選んで破滅したのか、という問いに突き当たる。そうした問いへの回答としては、幕末以来の思想変革やナショナリズムの肥大、議会政治の機能不全や天皇制のタブー化等を挙げることができよう。本書は、これらの問題に政治思想史の視角から接近し、新たな考察を加えた論文集である。

 論稿を時代順に紹介しよう。「利欲世界と公共之政」では、後期水戸学の継承者、横井小楠と元田永孚の思想を対比した上で、儒学的自然法が、「公」概念により議会開設を基礎づけた一方で、教育勅語を通じ個人の自由という近代自然権を圧殺する結果になったと指摘される。「福澤諭吉の怨望論」では、近代的自由の提唱者福澤が、他人の幸運を妬んで引き下す「怨望」こそ日本社会の病弊だと見抜き、競争原理が高める「羨望」をデモクラシーへの脅威と見なしていた点が、ミル『自由論』の受容から説明される(第三部)。「立ちつくすピラト」では、価値判断の多元性を信じるという丸山眞男の福澤解釈が、真理の判断を多数の決定に委ねる「ピラト的相対主義」と異なっていた点が、ケルゼン民主政論への田中耕太郎の価値相対主義批判に対する応答として理解される(第二部)。

 「歴史性と自由」では、一九三三年五月末のハイデガー総長就任演説が、日本では、同時期に起こった瀧川事件の文脈で受け取られ、「大学改革」の名で学術の自由を否定するハイデガーの主張は、危機の時代という「運命に対する知の無力」として、また「運命愛」が超人の権力意志に転化するニーチェ思想に等しいと批判されたという(第一部)。「平和への目覚め」では、カントに学んで普遍的な「世界連邦」を構想した南原繁が、戦後においても、フィヒテ同様に「民族の共同性」に固執し、皇室の存在への愛着を示したと指摘され、「血と君徳」や「浮遊する歴史」では、戦後においても、天皇への血統信仰が特殊な国民感情として相変わらず存続しているという(第二部)。

 本書は、初期近代から戦後に至る日本思想を、西洋思想の主体的受容という観点から論じ、様々な知的収穫をもたらした。更に踏み込んで求めるならば、福澤が日本社会の病理として鋭く指摘した「羨望」は、これを「諸階層の平等」に伴う「平等の情念」と呼んで最初に論じたトクヴィルとの関連からも論じる必要があるだろう。また、価値判断を停止する価値相対主義の批判は、不寛容な宗派に対する寛容の否定としてロック以来論じられ、二〇世紀のナチズム体験を経て、自由を否定する者に自由を認めないとドイツ憲法十八条に明文化された点に注意するべきだろう。

 近代自然法の正義概念を体系的に定式化したロールズも、これらの問題と正面から取り組み、他者への妬み・愛着のような特殊な情念を克服した合理的個人こそ、正義の二原理に合意できると論じ、第一原理の「良心の自由」を確立するため、自由を否定する者に対し不寛容にふるまう権利を認めている(『正義論』二五節、三五節)。何よりも、ロールズの構想する普遍主義的原理に基づく民主的社会は、血統による世襲、特殊な情念、美意識等の特殊主義を容れる余地が一切ないことを忘れてはならない。そして、価値相対主義、運命の諦観、他者への怨望をデモクラシーへの脅威と見て、特殊主義の遺産を不断に克服する時に初めて、半世紀前に説かれた「戦後日本の精神革命」も成し遂げられるに違いない。

「歴史の探求には何の意味があるのか?―和辻哲郎文化賞を受賞して」

(『北海道新聞』2011年4月28日夕刊)

権左武志(北海道大学大学院法学研究科教授)

 今回の受賞作で取り上げた哲学者ヘーゲルは、歴史の深い洞察を書き残しているが、その中に「ミネルヴァのふくろうは夕暮れが訪れると初めて飛び立つ」という一節がある。彼によれば、われわれは、時代の見えない雰囲気に大きく左右され、「時代の子」として自分の時代に深く制約されている。そこで、現在の出来事だけを追いかけているならば、現在そのものを理解することはできない。むしろある時代が終わりを迎え、現在が過去に転じた時に初めて、歴史研究者は、「夕暮れ」に差しかかった時代を、「ミネルヴァ」つまり知性の力により科学的に把握できる。例えば、われわれは、2008年9月の金融危機を経験して初めて、2001年以後の時代にいかに制約されていたか、理解できるようになった。

 受賞の知らせをいただいて以来、ヘーゲルと和辻哲郎との関係について私なりに考えてみた。和辻を始めとする戦前日本の哲学者は、福沢諭吉による明治期日本の西洋文化受容を受け継いで、西欧哲学(特にドイツ哲学)のカテゴリーで日本文化の特質を解明しようとした。同じくヘーゲルに始まるドイツ哲学も、先行世代のギリシア文化受容を受け継ぎ、キリスト教文化の土台を捉え直そうとした試みである。

 とりわけヘーゲルは、「神の死」というキリスト教文化の核心を、初めて哲学の主題に高め、これを「神の受肉」として、つまり超越者が人間の姿をとりこの世に現われ、十字架上の受難を味わう出来事と理解した。そして、人類の歴史を「神の人間化」の過程として、つまり聖なる価値が現世に実現されていくプロセスとして解釈した。彼によれば、われわれ人類の歴史は、精神の自由といった見えざる普遍的理念を前提とする時に、初めて統一的に理解できるという。

 受賞の取材で、なぜヘーゲルを研究テーマに選んだのですかと尋ねられ、私は、学生時代に読んだ1960年代の日本文学を思い出した。その中で主人公は、歴史は無意味な出来事の偶然的連なりではないのか、われわれの生の中に何か意味をつかみ取ろうとしても、乾いた砂のように手の指の間からすべり落ち、死に臨んで何も手の中に残らないのでないか、と自問する。時代を問わず、誰もが抱くであろう、しかし深刻な問いである。この歴史や生の意味への問いに対し、まさにヘーゲルは新たな回答を与え、近代という新時代の幕開けを根拠づけようとした。

 ヘーゲルによれば、歴史の意味は、歴史を超えた何か永遠なものにより初めて与えられる。従って、どんなに強大な権力者といえども、例えば1930年代の日本陸軍やナチス・ドイツといえども、後世の歴史家により、歴史の法廷の前で、真理や正義という歴史を超えた普遍的価値により裁かれることになる。和辻と同じく1930年代を体験し、自分の体験を思想化した戦後思想家の丸山眞男は、ちょうどヘーゲルと同じ歴史の洞察に達している。丸山によれば、歴史意識は「永遠と時間との交わり」により初めて自覚される、つまり永遠という縦軸と、時間という横軸が、十字を切ってクロスする所に歴史の自覚が生まれるという。

 こうした歴史の意味への問いこそ、2001年以後、歴史否定、哲学軽視の風潮が広まる中で忘れ去られていた問いである。その結果、何が生じたのか。真理の探究を放棄してしまう大学人、生の意味を信じられず自暴自棄になる若者が大量に産み出されたばかりか、権力者の口にするフレーズを鵜呑みにし、思考停止する風潮が全国をおおった。

 「ミネルヴァのふくろう」が飛び立った今、時代の雰囲気に安易に同調せず、自分の頭で思考する方法を教え、歴史の進む方向を指し示すという哲学・思想への期待は、かつてなく大きいと思われる。私も、今回の受賞を契機とし、真理を探究する歴史科学の意義、これを基礎づける哲学・思想の使命への信念が共有されるよう、お手伝いできればと願っている。

「戦後民主主義思想の現代的再生―「なりゆくいきほひ」の歴史主義は過去の現象か?」

(書評:遠山敦著『丸山眞男―理念への信』『週刊読書人』2010年9月17日号)

権左武志(北海道大学教授、政治思想史専攻)

 毎年八月一五日を迎える度に戦争体験が語り継がれる。だが、どんなに痛切な時代体験も、抽象化を加え一般法則に高める時に初めて、後の時代にも普遍的に適用可能になる。もっとも、誰もが、自分の戦争体験を思想化し、そこから現在に通じる思想を引き出すことができるわけでない。本書は、そうした稀な力業を成し遂げた思想史家丸山眞男を取り上げ、『回顧談』や『講義録』を読み解いて、丸山の戦後思想を、破滅的戦争に突き進む一九三〇年代の時代体験を思想化した所産と解釈する著作である。

 丸山によれば、自分が属する共同体に寄りかからず、現実を超えた理念の「見えない権威」にコミットする時、普遍的価値を自主的に選択し、これに賭ける自律的個人の主体性が生み出される。これに対し、所与の直接的人間関係に依存する限り、われわれは目前の事実に押し流され、権力者・上司・世論などの「見える権威」に屈服せざるをえない。青年丸山は、特高に逮捕・監視されつつ、「なだれを打った左翼の転向時代」を身近に体験する中で、周囲や世界の動向に左右されず、歴史を超えた価値に照らし時代の方が間違っていると言えるカント派の強みを南原繁から学んだ(第一章)。

 著者によれば、普遍的理念への畏敬を知らず、既成事実に屈服し、時代の大勢に押し流される日本人の行動様式を意識化して、こうした「日本的な歴史主義」を克服する試みこそ、一九六〇年代講義で論じられた日本思想の「原型」ないし「古層」論だった。そこでは、記紀神話を分析し、所属集団の効用を価値基準とする集団的功利主義、霊力の「なりゆく」成長増殖を信奉する生成の楽観主義、時勢の「いきほひ」が歴史の推進力をなす現在中心主義が、超越者や個人の尊厳、進歩史観という外なる理念を変容させる内なる無意識の力として取り出されていた(第三章)。日本仏教史や武士エートスへの丸山の関心も、こうした集合的無意識の拘束力を超える超越者や主体性の可能性を模索するものだったが、徂徠論や福沢論でも普遍的理念が何なのかは具体的に提示されなかったという(第四、五章)。

 もっとも、丸山の「古層」論が、自身の時代体験に由来するとしても、方法論的には本居宣長による原型再現の試みを継承しつつ、初期の肯定的な宣長評価が戦後に転換する中から成立した点に注意する必要がある。また西欧思想に充分精通する丸山にとり、個人の尊厳や個性の価値がカントやミルの思想を意味することは自明だったと見るべきだろう。

 二〇〇一年以後を振り返る時、読者は、極限状況に現れる「日本的な歴史主義」が過去の一過的現象ではなく、太古の思考様式が現在のわれわれをも無意識に拘束していることに気づいて慄然とするだろう。「日本の知性は魔術的なタブーの前に実にもろい」という丸山の指摘は、まさにグローバル化や競争原理の呪力の前に思考停止した日本の大学人に対する厳しい警告である。だが、真理や公正という普遍的価値への信仰を取り戻し、各個人が時代の誤った動向に対し否と表明するならば、時代の大勢に追随する「日本的な歴史主義」の呪縛は解かれるに違いない。

「理論信仰をいかにして是正するか?」

(北大公共政策大学院ホームページ・コラム(2009年9月))

権左武志

 先日、ニューズレターの自己紹介で、現実は様々な可能性の束からなっている以上、現在を理解するのは簡単でないと書きましたが、この点をもう少し考えてみましょう。現実が多くの可能性からなっているというのは、一つには、現実の世界が概念や理論により構成される性格を備えているからです。ここで言う「概念」とは、われわれが現実を見る時にどうしても必要となる認識枠組、いわば眼鏡のようなものと考えればよいでしょう(カントが「カテゴリー」と呼んだものです)。例えば、八月三〇日の衆院選挙の結果を、四年前の選挙のように新政権へ「委任」する「授権」と見るか、それとも過去四年間の政権を多数国民が「審判」した「民主的統制」と見るか、で日本政治の見方も大きく異なってきます。同じく、発足予定の新政権の性格も、「首相統治」の政権と見るか、大臣や党幹部からなる「内閣政府」ないし「二重政府」と見るか、それとも三党の「連立政権」と見るか、で大きく変わってくるでしょう。つまり、どんな概念や理論を使用するかに従い、同じ現実が異なって見えてくるわけです。

 そればかりか、概念そのものが現実を一定方向に動かすという実践的作用を及ぼすことがあります。例えば、「改革政治か利益政治か」という、二〇〇七年七月まで聞かれたスローガンが構造改革路線への同意を調達する機能を果たしたこと、「強力な指導者」や「ガヴァナンス」の連呼が、上意下達の企業統治モデルを社会の各組織に導入する作用を及ぼしたことを想い起こせばよいでしょう。「あらゆる政治的概念は論争的性格を持つ」と政治学で言われる所以であり、われわれは概念の使用に気を配る必要があります。

 ただよく考えてみれば、そもそも、概念や理論は生々しい生活体験の中から形成された主体による抽象化の所産であるはずです。「デモクラシー」や「議会制」でさえ、古代ギリシア人や英国人の長年の政治経験から生み出された歴史的英知の産物なのです。そこで、理論が主体の思考活動の所産だと自覚されている国々では、理論を実践に移すことにより、その誤りから学んで検証し、不断に修正していくという現実からのフィードバック作用が必ず働くはずです。欧米で「プラグマティズム」と呼ばれる思想の利点は、そうした理論の自己修正メカニズムを内部に取り入れている点にあります。

 ところが、理論や制度を模範国から出来上がった既製品として輸入するばかりで、自分自身の経験により創造してこなかった国では、理論を経験により主体的に検証する作業が最初から困難であるばかりか、誤った理論にいつまでも依存し続ける硬直したドグマティズム(教条主義)に陥りやすいのです。それどころか、特定概念の無批判な使用がメディアにより大量宣伝される時、人々の現実の見方を一面的に狭める「ステレオタイプ」と化して、個々人の批判能力を麻痺させる恐るべき政治的効力を発揮します。

 こうした「理論信仰」(丸山眞男の用語です)は、冷戦期にはマルクス主義者を長らく呪縛してきましたが、二〇〇一年以来は、テロリズムへの「正しい戦争」やリスクを他人に転嫁する「金融工学」といった新たな形で合衆国に顕著に見られるようになりました。同様に、誤ることのない「指導者」への服従が「民主主義」だという「指導者民主主義」の神話は、英国を模範とした改革論議が生み出した現代の「理論信仰」だと言ってよいでしょう。しかし、選ばれた権力者への統制手段を選挙以外に認めず、議会選挙を政権党への授権手続きに矮小化するならば、議会制は、「イギリス人は自由だと思っているが、自由なのは投票の瞬間だけで、その後は奴隷状態に戻ってしまう」というルソーの英国議会制批判が当てはまる寡頭支配と変わることがなくなるでしょう。四年前のように、選挙の後は自由を放棄した「奴隷状態」に戻ることがないためには、権力者に対する不断の監視を怠ることなく、ドグマにとらわれない自由な思考活動を心がける努力が求められています。

「HOPSニューズレター自己紹介」

(北大公共政策大学院ホームページ・ニューズレター(2009年5月))

権左武志

 4月に法学研究科から異動してきた権左武志です。HOPSでは「現代政治思想論Ⅰ」を担当します。昨年9月の金融危機以来、現在は百年に一度の転換期にあるとよく耳にしますが、どんな意味で今は転換期にあるのか、その政治的発言の真意をよく考えてみると、現在を把握するのは実はそれほど簡単ではないことが分かります。というのも、一つには、われわれは現在の価値観を疑おうとせず、時代の支配的潮流により流されてしまうからです。つい先ごろまで、誰もが、時の政権により宣伝される自己責任論や競争原理を疑おうとしなかったことを想い起こしてみればよいでしょう。こうした意味で、われわれが「時代の子」として現在により制約されていることは、一九三〇年代を初めとする歴史をひも解いてみればすぐに分かります。最近、現在を知るためにこそ過去を知り、歴史から学ぶ必要があるとよく説かれるのは、この一〇年間の苦い経験から得られた教訓なのでしょう。

 現在を理解するのが困難なもう一つの理由は、現実が様々な可能性の束からなっているからです。多くの可能性の中から選び取るわれわれ主体の判断能力を抜きにして、一方向へ必然的に進む現実なるものが存在するわけではありません。現代の様々な現象を自分で思考し、主体的に判断する能力を高めるには、「現にある」ことと「あるべき」こと、事実と規範をしっかり区別し、時流に流されない主体的立場を身につける必要があるでしょう。指導者への服従こそ民主主義だなどという「言葉の魔術」がまかり通る国では、とりわけ用心が肝要です。

 現在を理解する上で求められるこれら二つの課題―歴史を把握することが現在を把握することでもある点、そして可塑的な現実に対する可能性の技術という点―に取り組むことこそ、政治学の中で政治思想史が果たしてきた重要な役割だと私は考えています。公共政策大学院に在籍する間、教員・院生の皆さんと互いに学びながら、こうした課題に多少なりとも応えることができればと願っています。