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知のバザール

曽野裕夫

現在、私はワシントンDCから南西に車で2時間余り、プロペラ機で30分ほどの所に位置する、シャーロッツヴィルというアメリカ南部の美しい大学町に住んでいる。2度目の留学で、ヴァージニア大学に来ているのである。本奨学会から御支援いただいた10年前のミシガン大学への留学は、ベルリンの壁の崩壊、湾岸戦争の勃発など、世界の枠組みが大きく変わろうとしていた時期にぶつかった。いまは、インターネットと情報技術の急展開が、世界を、そしてより身近なところで、われわれの研究環境をも大きく変えつつある。

アメリカの研究者と接していてよく感じることの1つに、日本の研究者との論文執筆過程の違いがある。先日、アメリカで出席したある学会でも、会場の一角に「バザール」というコーナーが設けられ、そこには参加者が持ち込んだ論文の抜刷や暫定稿(discussion paper)のコピーが大量に平積みされ、誰でも自由に持ち帰れるようになっていた(学会によっては有料のこともある)。これにはもちろん「学者の販促活動」という側面もあるのだろうが、他方で、暫定稿を多くの研究者に読んでもらい、寄せられたコメントに基づいて内容を改善するためにこれが行なわれているという側面もある。最終的には、内容について責任を負う著者の業績になるわけだが、多くのボランティアのコメントによって改良が加えられて論文が彫たくされていくわけである。(その点で、多くの人の手で改良を加えてよりよいものを作り出していくという、Linuxなどのオープンソース・ソフトウェアの思想に似たところがあるかもしれない。)

このような知の交流をさらに促進しているのが、インターネットの普及である。現在のアメリカの法律学では、学会の「バザール」の他に、草稿をインターネットで公開する方法がとられることが多くなってきている。研究者個人のサイトや研究機関のサイトで公開されるだけでなく、いまではより包括的・横断的な「社会科学研究ネットワーク」というサイト(www.ssrn.com)もある。そこでは、法律学を含む社会科学分野における近刊予定の論文や草稿の要旨や全文がダウンロードできるようになっていて(現時点では無料)、いわばオンライン版の「バザール」の様相を呈している。

日本でも、経済学の世界ではディスカッション・ペーパーの慣行があるようだが、すくなくとも法律学の世界では、個人的つながりのある範囲内で草稿を見せ合うことはあっても、それを広く配布してコメントを求めるということはなされてこなかった。公刊までアイディアを奪われたくないとか、謙譲の美徳、あるいは照れくさいというのがその背後にある事情だろうが、知はアイディアの切磋琢磨によって発展するのだとすれば、日本の法律学も「出し惜しみ」や「遠慮」のメンタリティから脱却することを考えるべきようにも思われる。

もっとも、このように威勢のよいことを言うわりに、お前にはバザールに出品できる暫定稿があるのか、と問われると、途端に歯切れが悪くならざるを得ないのが痛いところである。地に足をつけて頑張りたい。