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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
協同組合としての信用組合
濱田 康行
 
 

 信用組合は金融という世界にある協同組合である。信用金庫の共同組織性がやや不完全なのに対し、信用組合では受信面も与信面も組合員を対象としており“純粋”である。しかし、近年、この純粋な組織が危機に瀕している。10年前に360を数えていた信用組合は2002年には200近くまで減少した。

 では、資本主義的金融世界には協同組合は必要ないのであろうか。金融当局は、そのように考え行動しているように見えるが、そうした見解は正当なのか。信用組合が、理論的には存在しうるにしても、多くの個々の組合が危機的状況であることには変わりない。では、この現実をどう乗り越えたらよいのか。以上のテーマについて考えてみたい。

 

<資本主義の中の協同組合>

 資本主義経済を律する原理が利潤原理であることを否定することはできない。諸企業は利潤をめぐって競争する。利潤率の高低で企業の優秀さは判定され、平均以下の成績が続けばその企業は敗退する。だから、存続のために利潤追求は善であり、儲からないことはしないという行動が是認されるのである。

 しかし、資本主義社会は利潤原理ですべて律せられるという一元的な世界でないことも確かである。金融という事業も、資本主義の発展とともに企業の領域から人々の領域(生活領域)に入り込み“インフラ化”するのだが、ここには“儲からない”領域が多く存在する。利潤原理だけでいけば、金融サービスを受けられない分野が残ってしまうことになる。そうした分野に個人や小企業が含まれている。資本という性格規定を持つ利潤追求型企業が扱えない部面を担当する機関・組織が必要である。これは、社会政策的視点からまず言えることだが、同時に資本主義を維持し常に再生産するという観点(マクロ経済的あるいは経済政策的)からも必要である。だから、庶民金融分野、小企業金融分野では協同組合と並んで公的機関が出現するのである。資本主義的生産を支える主要な要素のひとつは労働力であるが、それは人々の生活から生み出されるし、企業といっても多くの場合は小企業から成長するのである。当たり前のことだが、人々の生活と小企業の存在を無視して資本主義は成立しない。

 協同組合は資本主義経済ではメイン・システムではないが、それがなくてはメイン・システムが保てないという不可欠性を持ったサブシステムである。この点では公共システムと似た位置づけにある。

 公共システムは利潤原理にまかせられない分野(典型的には軍事、治安等)を担当するのに対して、共同組織は企業がやれないことはないが利潤獲得という目的からすると魅力のない分野を担当するという違いはある。肝心なことは、資本主義にとって魅力的でない分野の事業が人々にとって不必要ではないということだ。資本主義は経済社会の支配的な原理ではあるが、複雑な人間を全面的に統治することはできない。

 どこがメインでどこがサブかという境界は実は確定したものではない。資本主義が好調であれば、通常はメイン領域は拡大し、不調であればサブ領域が拡大するというのが原則である。日本の現在の金融制度などをみると長期間の不況から金融機関の業務範囲は縮小し、その結果、零細企業金融とか庶民金融分野が手薄になってしまう状況がみられる。

 逆のケースも生じうる。つまり、これまで手をつけなかった分野に進出してくる。このような際には、競争が生じ、そこで協同組合の強みは何かが特に問われる。

 日本の現状を概観すれば、利潤原理で行動する機関が人々に提供するサービスの範囲と質は低下傾向にある。だから、実は協同組合の担当すべき分野は拡大している。現状がそう見えないのは、協同組合の中にも退廃現象があるからである。

 

<儲からない独占市場>

 見方を変えれば、協同組合はあまり儲からない独占市場を持っていることになる。ここでは大きな黒字は望めない。しかし、赤字にしてしまえば事業が危ぶまれる。つまり経営が目標とする幅が狭いのだ。この狭い幅をどう通り抜けるかのノウ・ハウがなければならない。先回りしていえば、ここでのノウ・ハウの中心は綿密な計画と先を読む能力である。逆にいえば、“出たとこ勝負”を経営戦略とする協同組合は長く存続できない。もちろん、綿密な計画とヨミを持つにはそれなりの能力と訓練が必要であり、そうした人材を持つことが協同組織のパワーのひとつである。

 独占市場を与えられていることが強みから弱みになることもある。まず競争を仕掛けられない分、自己革新が遅れる可能性がある。それを防止するための装置が内生されていなければならない。協同組織内部の各部門の競争、それが生じるような人事のローテーション、沈滞を防止し革新を促す内部機構(これは安価である必要がある)。

 こうした努力を怠っていると、独占市場が何らかの事情でそうでなくなった時、あっけなく敗退することになる。利用者にとって、それは短期的にはよいが長期的にはどうかわからない。いわゆる資本移動の自由は保障されているのだから、資本主義企業はいつでも事業を捨てることができる。これに対し協同組織は人々との約束で成立しているのだから、簡単に事業は捨てられない。

 競争者が存在すれば、勝ち負けとはいかなくとも優劣はつく。独占市場では自分が優秀である証明をどこに求めるかが課題だが、ひとつは顧客の満足度を計ること、もうひとつは似たような状況の他の組織と自らを比較することだ。互いの見学や、情報交換は競争代替手段としても意味がある。

 

<競争パターン>

 独占市場がそうでなくなる場合がある。資本主義的企業にとって市場が魅力的に変化する。たとえば、顧客数が増えるとか、顧客1人当たりの取引が増えるとかである。また、企業の生産性が上昇して、利潤が見込める状況になる場合もある。そうなれば、企業は侵攻を開始する。協同組合はこれとどう闘うかという課題が出現する。金融分野に存在する信用組合では特にそうである。利潤追求型企業からみたとき協同組合の武器は何か。パワーの源は何か。それが問われている。協同組合は組合員と職員から構成される。パワーアップするべきは、職員、組合員、そして組織の三つである。

 共同組織機関に働く職員には、他の一般企業に働く人々と比べていくつかの特徴がある。いわゆるモーレツ社員型は少ない。就職先として協同組合を選択するというのは、心理のどこかに“利潤至上主義”への反発があるのである。別の言葉で言えば、協同組合という理念を大切にし、まず考えてから行動したいというタイプである。

 職員の地元比率が高いのも特徴のひとつである。転勤が日常である大手の金融機関とは異なる。地元率が高いということは、人が動かないということだが、これをメリットにする方法を考える必要がある。転勤は、働く人々の心を一新し、また監視上の効果もあるが、それがないとしたら何か別の“一新”と監視装置が必要である。協同組合の売り物のひとつである、地縁が“業務上の支障”になってはならない。

 顧客を組織化する、そしてパワーにするという手法は最近になって様々な企業が取り入れている。カード会員、ポイント制、マイレージ、友の会等だが、顧客を組織するというより同業者に接触させないという一種の囲い込みである。顧客の組織化に関しては協同組合は一日の長があり、制度的に優位にある。不特定多数を対象にするのでなく、組合に出資し自分の組織であるという意識から出発している。

 しかし、多くの信用組合がこの制度的優位性を生かし切れずにいるのも事実である。協同組合であることにむしろ限界を感じ、不特定多数をめざした例も多い。しかし、組合離れの試みの多くは成功しなかった。

 組織の強化はいうまでもないが、問題なのは職員と組合員をつなぐ組織(単協の内部組織)と組合同志をつなぐ組織(外部組織)である。効率がよくかつ軽装備の組織が求められている。


<信用組合>

相互扶助・互恵を原理とする協同組織が金融事業をひとつの活動分野とすることは理にかなっている。だから、協同組合の理念は資本主義が興隆する以前からある。しかし、それが発展するのは資本主義の確立期である。いわゆる本源的蓄積といわれた時期に、資本の暴力によって社会的弱者が生み出される。彼らの自らの組織として協同組合は生まれ、やがて社会の安定装置のひとつとしても認知された。

 現在の状況は弱者を積極的に生みだし、かつそれを放置するという点では資本主義の発生期によく似ている。歴史上、おそらく三度目の“資本の暴風雨”が吹き荒れた時代であろう(二度目は各国で巨大資本が形成される20世紀初頭)。実像以上にふくらまされた不良債権問題が建物を破壊する鉄球のように次々と中小金融機関を襲っている。BIS基準というアメリカ製の物差しも同様に破壊のための道具として使用されている。この基準の適用については協同組織金融機関の側から正当な反論があるにもかかわらず無視されている。(注1) ペイオフ解禁も強行された。中小金融機関の苦境→中小企業の苦境→そこに働く人々の苦境→失業増:所得減→消費不況、という悪循環は果たして“当然の痛み”として放置されてよいのだろうか。

 逆の見方をすれば、現在のような状況こそ協同組織の存在意義はあるはずである。そうでないのはどうしてか。それは1996年以来、少なくない信用組合が乱脈経営で自滅し、そのことが業界全体の信用を落としたからである。必要な時期に、信用できないものの烙印を押されてしまっている。


<対応>

 では真に必要とされる健全な協同組合は、この第三期の資本の暴風雨にいかに対処するべきであろうか。ありきたりのようだが、次の4つの対応が考えられるであろう。

@ 個々の機関の強化

A 連合体の強化

B 金融界の他の機関との連携

C 社会的支持の獲得


@この点は既に述べたが、各組合は、組合員と職員から成る。構成する個人の意識の向上。組織で動くのだから、組織の見直し。協同組合にふさわしい、かつ利潤原理の組織に劣らない効率的組織が求められる。乱脈が生じないような内部の監視機構も必要だ。もちろん重装備である必要はないが、社会の信用を取り戻すためには必要。


A共倒れは避けなければならないが、連合会の強化は必要。ただし連合会に人材が集まりすぎないように、また、屋上に屋を重ねることがないようにするべきだろう。強風・逆風の中で立ち続けるためには個々の組織がしっかりと手をつなぐことは必要だし、場合によっては統合もひとつの選択肢である。金融界では、依然として、組織が大きいのは安心で良いという見方がある。実はそうでもないのだが、既成概念に敢えて抵抗せず単一の日本信用組合を形成することも考えうる。


B金融界には改革の嵐のなかで協同組織機関と同様な目にあわされているところが少なくない。他の中小金融機関との連携は必要だ。また政府系金融機関との協調の可能性を探るべきだろう。考えようによっては、政府系金融機関も“行革”の嵐の前に立っている。もちろん、各機関とも前述の@とAの自己改革を経ての連携であり、決して守旧派・抵抗勢力の野合であってはならない。嵐の前に立たされている点ではかの郵便貯金も同様である。この巨大な勢力と、どう住み分けるか、そして上手に分業するかは知恵の出しどころである。それが首尾よく進めば、地域経済に貢献することは間違いない。


C金融界から社会全体に視野を広げたとき、まず必要なのは他の協同組合との連携である。協同組合の代表的な存在である農業協同組合は自らの金融機能を持っているが、やはり強風の前に立たされている。

 地域の様々な団体(商工会、町内会、各種クラブ)に、“小さな店舗でも大きな信頼”があることを訴えていかねばならない。また地域のイベントに参加することも社会の認知を得る方法であるが、その際は職員への強制にならないように、また役員の自己満足に終わらないように配慮する必要がある。他にも、役所との情報交換、研究者の支持を集めること等、存在を知らしめる広報宣伝も有効である。


<新たな分野>

 信用組合の預貸率をみると、この数年傾向的に低下している(図1)。預金も貸出もともに減少しているが貸出の減少の方が相対的に大きい。おそらく顧客が少なくなっているのである。不況の影響もあるだろうし、他の金融機関に奪われたケースもあるだろう。このような状況下では、前段で述べたような“体力強化”だけではうまくいかない。新たなビジネスの方向を探らねばならない。新しい顧客と新しいビジネスを展開しなければならないが、その際には金融業にまつわる伝統的な観念を少し拡げて考えた方がよいだろう。ここでは対極的なふたつの分野を考えておく。ひとつは救済金融であり、もうひとつはベンチャー企業金融である。

 

 

 各論にいくまえに総論的なことを述べておこう。過去の教訓ということから言えば、大手の銀行のすることを追いかけていっても展望はない。選択肢を整理したものが下の図である。やはり追求すべきは地域振興である。

 この数年、倒産に関する手続きが簡略化され、企業の再生は以前に比べれば容易になってきている。これに目をつけたのが、企業再生ビジネスである。現状では、あまり評判の良くない勢力も入り込んでいるが、ビジネス・チャンスのある分野であることは間違いない。しかし、現状は、中規模以上の企業にターゲットがある。中小企業、ましてや零細企業については、最も倒産の多い分野であるにもかかわらず放置されている。だが、この分野にも再生すべき企業資源があるはずである。

 企業再生ビジネスの主なプレーヤーは、いまのところ大手銀行(政府系の一部を含めて)であるが、彼らの手間賃と資金量からみると中小企業は対象が小さすぎて採算に乗らない。

だから中小企業の再生ビジネスは現在、空白地帯である。もちろん、ここに参入するには事前の研究とノウハウの蓄積が必要である。しかし、新しい事を始めようとすればいつもそうである。

 もうひとつがベンチャー企業金融である。この分野については別のところに書いたので詳しく述べないが、まだ参入の余地はありそうだ。(注2 )

 ベンチャー企業支援はいまのところ国策である。日本経済の諸問題を一緒に解決できそうだという期待が寄せられている。現実には、ベンチャー企業への過大な期待もあり、支援等そのものに限界もある。しかし、追い風であり、それを利用することはひとつの戦術である。長い間、逆風にさらされてきた組織としては考えてみる価値はある。

 ベンチャー企業といってもいくつかのタイプがある。@大企業からの分社化、Aハイテク型(大学発ベンチャーの多くはこのタイプ)、B既存中小企業の新分野進出、C既存ローテク企業の経営革新(主にサービス、小売等の分野)、D独立開業。

 以上のうちのBCDは充分対象になりうる。地域企業の情報を持っていなければリスクは軽減できないからである。ベンチャー企業支援といっても資金提供だけでなく様々な経営支援が求められる。積極的に関与し企業価値を高めていくのだが、そのためにも地域への密着性は必要であり、それを持っている協同組織機関にはチャンスがある。

 ベンチャー企業というと“明日のソニー”というようなイメージで語られることが多い。もしそうだとすれば、中小企業研究者のよくする批判は当たっている。つまり、“ベンチャー企業支援はほんの一部の企業を対象にする反面、大方の中小企業を見捨てようとしている”という批判である。しかし、こうした批判は今日のベンチャー運動の一面しか見ていないのである。

 グローバル競争の現代にあって、真に必要なのは大集団をなす中小企業の全体的な底上げである。ベンチャー企業はいわば革新モデルなのだ。日本の中小企業の多くが、このままの状態で生き残れるということはないだろう。なんかの点で(技術、経営、財務)上昇する必要があるが、中小企業群は大きすぎて全体が一度に動くのは難しい。

 図2は、ベンチャー企業と中小企業一般との位置関係を描いたものだが、この10年でかなり変化している。ベンチャー企業といえば当初はハイテクであったが、現在ではかなり広い概念でとらえるべきだ。位置もだいぶ下方に動き、中小企業の自己変革で手の届きそうなところまできている。だからモデルとなりうるのである。これから必要なことは、こうしたモデルを目ざして動き出す“普通”の中小企業を支援することであり、それは立派な日本のベンチャー運動なのである。そして、そこに協同組織金融機関の新たな役割がある。

 21世紀である。よく見渡せば、新天地もありそうだし、追い風も吹いている。必要なのは、新しい環境に対応する知力と体力、そして少しの勇気だろう。


注1)相川直之編著『地域活性化と金融円滑化のためのスタンダードとは何か』、地域産業

研究所、2000年。

注2)濱田康行「ベンチャーファイナンスの現段階、金融機関のベンチャー支援の現状と課題」『金融ジャーナル』2002年2月号。

 

 

※この原稿は「協同組合としての信用組合」『信用組合』(2003年1月号:全国信用組合中央協会)に掲載されたものです。