文藝春秋八月号に「藤井総裁の嘘(うそ)と専横を暴く」と題する日本道路公団四国支社副支社長片桐幸雄氏の論文が掲載されている。
道路関係四公団民営化推進委員会事務局次長を務めた現職道路公団幹部の内部告発的文書だけに、発売(七月十日)と同時に道路公団が反論記者会見、そして翌七月十一日の扇国土交通省大臣の閣議後記者会見でも取り上げられた。
最大の争点となったのは、日本道路公団の「財務諸表」である。経営状況を表す財務諸表に関して同論文は、「債務超過の財務諸表」が存在し、その存在が抹殺されたと指摘している。債務超過の財務諸表の有無と公団の財務諸表の真実性が問われたのである。
この問題を通じて注目すべき点は、債務超過の財務諸表の有無ではない。財務諸表作成の背後に存在する官僚行動とその思想である。
「嘘つきが数字つくる」
特殊法人の財務諸表などの財政情報に関して、「嘘つきが数字をつくり、数字が嘘をつく」という刺激的な言葉がある。「嘘」とは、「思想」のことである。
財政情報は、客観的に真実を担保したものではなく、必ず一定の思想を持った数字であり、その思想を理解し数字を検証しなければならない。道路公団の財務諸表か債務超過の財務諸表かを問わず、どちらが真実かではなく、背後にある思想を理解した上で解釈しなければ、数字の持つ意味を理解することはできない。
その思想とは何か。それは、高速道路を建設する際に借り入れた債務の返済能力に対する考え方にある。
債務超過最初から排除
道路公団は、高速道路の建設等に簡易生命保険や財政投融資から多額の資金を借り入れている。簡易生命保険、財政投融資制度から借り入れた債務を間違いなく返済できることを前提として作成する思想と、債務返済の能力が間違いなくあることを前提にするのではなく、その返済能力自体を一度測定しようとする思想の対立である。
前者の考え方に立てば、債務に見合った資産は当然存在しなければならず、債務超過といった状況は数字上からも排除される。これに対して、後者の考え方に立てば債務返済の確実性を前提としないため債務超過状況も存在することになる。
数値による情報は、合理性を追求するあまり、その利用に当たって数値形成の背後に存在する考え方やプロセスを見落としがちになる。そのことは、無意識のうちに「数字の嘘」に自縛される結果となる。
道路公団の財務諸表に限らず財政に関する情報は「一読難解、二読誤解、三読不可解」といわれるように「超不完全情報」の状況にあった。その克服に向けて、民間的手法の導入などの努力が積み重ねられている。
しかし、民間的手法が導入されていることをもってこの問題を克服したことにならない。民間的手法をいかなる思想の下で活用しているか常に検証する必要がある。このことは、国や地方自治体の財政情報すべてに共通する。財政は単なる「金繰り」の問題ではない。
財政は社会学の視点から「形づくられるべき数字に凝縮された国民の運命」と表現されている。そして、「わなに陥る意志決定」という構図がある。限られた情報と経験に基づく意志決定を繰り返し、長期にわたってリスクを積み上げ最終的に国民の負担を拡大させることを意味する。
負担と受益の乖離原因
そうした状況に陥る原因は、負担と受益の乖離(かいり)にある。超不完全な財政情報は受益と負担の乖離が深刻化した財政錯覚の状況を深め、毎年度予算編成で「わなに陥る意思決定」を繰り返し、財政悪化を深刻化させる要因となる。そのことは、国民の運命に大きな影響を与える要因であることを社会学の定義は忠告している。
(北海道新聞2003年7月20日【 今を読む 】)
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