サミットは元来、主要国首脳が、精神的一体感と人間的信頼を醸成し、共通課題に取り組む姿勢を世界に示す機会として、大きな意義があった。しかし、冷戦終結以降、首脳間で共通の課題意識が低下し、精神的な分散化と信頼低下が進んでいた。エビアン・サミットは、米の単独行動主義とイラク戦争をめぐって首脳間に生じた対立を協調に転換していく機会として期待されたが、対立点となった世界観の相違などが、今後の国連総会などでの協調に転じる兆しは見られなかった。
前年のカナナキス・サミットでは、ブッシュ米大統領が表明した新東和平提案をサミット全体が歓迎したが、本年は、ブッシュ大統領が交渉出席のためサミットを中途退席したことは、他参加国を失望させ、サミットでの協調を背景として地域紛争を共同で調停する考え方が終わりつつあることを象徴する。
1994年以降、部分参加していたロシアが正式にG8となったことは、ロシアを市場経済の枠組み内に安定的に包摂するという、サミットの目的が完全に達成されたことを示す一方で、プーチン大統領の米欧双方に接近しつつバランスを取る現実主義外交の成果だ。
サミット関連会合への中国の招請は、中国の関与を促す意図があるが、新首脳の初登場というレベルにとどまり、今後、官僚による事前調整や、本格参加にむけてどのようにサミットが動くか、未知数である。
サミットは、安全保障の影に隠れ、有効な世界経済構想が示されない状態が続いている。米国を含むデフレ懸念、新型肺炎(SARS)による景気後退など、多くの不安定要因があるにもかかわらず、共通の解決策への首脳の意志が示されなかった。宣言文に毎年同様の表現が並ぶのは、構想不在の証拠だ。アフリカに関して、エイズ・結核などの資金提供を含む計画を定め、重債務国支援に関し進展が見られたことが救いであった。
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