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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
「干潟の子供たち」
小野 有五
 
 

 4月末、有明海の干潟に行ってきた。ギロチンの堤防で締め切られてしまった諌早湾にも近い、鹿島市というところにある干潟である。潮が引くと、こんなにも広い大地があったのかと思うほど、広い干潟がずっと沖のほうまで広がった。ここは有明海でも最も奥に位置する。泥の干潟である。泥というと、くさい、きたない、という感じをもつ人が多いが、ここの泥はくさくもなければきたなくもない。といっても、「泥まみれ」という言葉があまりいい意味には使われないように、泥のなかに初めて入っていくには勇気がいる。

 その手助けをしてくれるのが、鹿島市の人たちだ。土曜、日曜の2日間、地元、七浦地区の皆さんが中心となって、たくさんの参加者に干潟体験をさせてくれるしくみができているのである。1日目の干潟は、鹿島川の河口にある新籠(しんごもり)干潟。新たに東アジアのシギ・チドリ類の重要生息地ネットワークの登録干潟となった場所である。ちょうど渡りを前にしたチュウシャクシギが、群をなして空を飛ぶ姿は圧巻であった。

 夜はホームステイで、地元の漁師さんなどのお宅に泊めていただき、伝統的な漁法のお話しや、現在の干潟が抱えている問題などを遅くまでうかがうことができた。食卓には、地元でもめったに食べられなくなったという、有明海ならではの伝統的なごちそうが並び、それだけでも、旅館やホテルでは味わえない貴重な体験をさせていただいた。

 日曜日はいよいよ七浦での干潟体験である。まずは、干潟を歩くうえでなくてはならない「潟スキー」の講習。1枚の板に膝を立てて片足をのせ、もう一方の足を干潟の泥につっこんで、後ろに蹴って進むのである。地元の漁師さんたちは、いとも簡単にスイスイと進むが、初めての人間は、泥にはまってしまって、立ち往生。泥につっこんだ足がぬけなくなって、もがいているうちに重心を失って体ごと泥につっこんでしまう子供もいるが、最初はおそるおそるだった子供たちも、ひとたび泥だらけになってしまうと、あとは怖いものなし。わぁーいと、歓声をあげて体ごと泥のなかに入ってしまう子供たちが続出するのは壮観だ(写真1)。つられて大人たちも次々と泥まみれになっていく。初夏の日射しを浴びて暖まった柔らかい泥のなかに、体ごと浸る感覚はなんとも言えない。お化粧にさえ「泥パック」というのがあるが、泥に浸っていると、心も体も癒される効果がほんとうにあるようだ。潟スキーの1枚板の上に寝そべって、干潟の表面に飛び出してくるムツゴロウと同じ目線で世界を眺めていると、ほんとうに「地球のこども」になったような気持ちになる。このような干潟体験にはいま、年間1万4000人もの修学旅行生が訪れているという。一般客もあわせれば、干潟体験だけでりっぱな観光産業になるはずであり、ホームステイや、宿泊施設を工夫することで、地元の人々が干潟を守りながら、それで食べていけるエコツーリズムがつくれると思う。6月には潟スキーの速さを競う「ガタリンピック」も開かれ海外からも毎年、多くの参加者があるという。市内には、小学生が描いた干潟の生き物についての手書きのポスターがあちこちに貼られていた(写真2)このような干潟を生かした取り組みが広まれば、諌早湾のように、干潟をつぶしてしまうことが地域にとっていかにもったいない、ムダで愚かなことかがわかってくるだろう。文化庁では、これまでのような自然だけを対象とした天然記念物の指定を見直し、棚田のような農業景観や、伝統的な漁業についても、その環境をふくめて天然記念物にする検討を行っているという。鹿島でのムツゴロウのひっかけ漁はまさに名人芸ともいえる伝統的な漁法であり、ムツゴロウやそれを支える有明の干潟とともに、そっくり天然記念物にして、いつまでも持続させていきたいものである。

(日本環境教育フォーラム会報誌「地球のこども」6月号)