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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
生誕100年の“出会い” 「人とは違う自分」に生の意味 =軌跡重なる2人の表現者=
小野 有五
 
 

 今年は、ともに1903年(明治36年)に生まれた金子みすゞと知里幸恵の生誕100年に当たる。山口県の片田舎に生まれ、一生を下関とその周辺で過ごして、1930年(昭和5年)、26歳で自ら命を絶ったみすゞと、登別に生まれ、旭川で育ち、1922年(大正11年)、わずか19歳で病のために滞在中の東京で急逝した幸恵は、それぞれお互いの存在すら知らずにその短い生涯を終えた。それだけではない。死後、忘れ去られ「幻の童謡作家」となっていたみすゞが、矢崎節夫氏によって再発見され、その詩が多くの人たちを魅了するようになって以後も、みすゞと幸恵は無関係なままであった。

 それは、世界で初めてカムイユカラを独創的なローマ字表記で記述し、さらにそれをみごとな日本語に翻訳するという偉業をなしとげた幸恵が、単に「若くして死んだ天才的なアイヌ民族の女性」としてのみとらえられてきたためでもあろう。下関という東京から見れば辺境の地で一生を終えたみすゞと、北海道でアイヌ民族として生まれ育った幸恵は、全く縁もゆかりもない人間(であるはずだ)と長く思いこまれてきたのである。

 差別というものは、いたるところで、無意識のうちに働く。中央に対する地方という差物もあれば、アイヌ民族というだけで、すでに日本人ではない他者なのだと思ってしまう差別もある。だが、どこで生きようと、どんな民族であろうと、この世に生きる同じ人間だと思えば、世界は大きく変わる。幸恵とみすゞをつなぐ第一の糸は、二人が愛した童謡であった。

 幸恵の日記や手紙からは、大正期に急激な興隆をみせた大正期に急激な興隆をみせた童謡への並々ならぬ関心がうかがえる。童謡という、それまでにはなかった新しい感性の歌の形式は、みすずだけでなく、子供のときから賛美歌を歌っていた幸恵の心をすぐさまとらえたのである。

一方的な同化政策によって、アイヌ語をしゃべることさえ禁じられた幸恵たちであったが、学校では優等生、家に帰ればユカラのすばらしい語り手であった祖母と伯母のもとにいた幸恵は、アイヌ語と日本語という二つの言語を完璧に使いこなすバイリンガルであった。伯母の金成マツは、さらに旭川におけるキリスト教会の伝道師である。日本人の多くがそうであったように、教会はたんに西洋の珍しい文物や英語にふれられる場所として尊重されただけであり、キリスト教そのものは、ヤソとしてむしろ蔑視された。アイヌ民族を深く愛しながら、ヤソとして同族からもすでに異質な存在としてみられていた幸恵の姿がそこにある。それに加えて、生まれつきの心臓病、また生母と養母という複雑な家庭環境が幸恵をさらに周囲から際だたせていた。ちがうことは苦しみだったのである。

酷暑の東京へ行けば生命も危ういことを知りながら、幸恵を上京にかりたてたものは、『アイヌ神謡集』を完成させる目的だけではなく、英語をもっと勉強したいという願い、そして東京という新世界で、聖書を含め、あらゆる知識を吸収したいという望みからでもあった。そこには、アイヌ民族でもなく日本人でもなく、ひとりの人間として、「自分とは何なのか?」という根元的な問いをつきつめていった一人の若い女性の真摯な生の軌跡が浮かび上がってくる。

みすゞが下関の小さな本屋の店番をしつつ、そりのあわない夫との軋轢に心を病みながら追い求めたのもまた「自分とは何なのか?」という問いであった。師と仰ぐ西条八十に一目会おうと、下関の駅頭に赤ん坊をおぶった姿でかけつけ、一瞬の邂逅を果たすみすゞ

の姿は、幸恵の才能を見いだした金田一京助のいる東京へ命をかけて出かけていった幸恵とも重なりあう。それは本当の自分を求めての旅であった。

「鈴と、小鳥と、それから私、
 みんなちがって、みんないい。」

と歌ったみすゞ。この詩は、夫とも、家族とも違ってしまう自分自身を見いだした彼女の究極の表現であろう。

幸恵もまた、「私はアイヌだ。私はアイヌであったことを喜ぶ。」と書きつけ、あくまでも一人のアイヌ民族として、ちがった民族とのあいだの架け橋となることが、自分という「他とはちがってしまう自分」が生きていく意味であることを発見する。

二人の女性はいま生誕100年を迎えて初めて出会い、ちがっていていいんだよ、というメッセージを現代の私たちに送ってくれているように思うのである。


(北海道新聞2003年06月03日)