台風10号は、日高地方に重大な被害を与えた。北海道ではまれな豪雨が集中的に降ったのだから、河川氾濫(はんらん)は天災ともいえるが、十一人もの死者・行方不明者が出たのは、防ぐことができた明らかな人災である。
そう考えるのは、私自身も死んでいたかもしれないと思うからである。台風が近づいていた八月九日夜、私は帯広にいた。JRは運休となり、代替バスもなく、翌日に札幌で会合を予定していた私はレンタカーを考えた。
日勝峠は不通になる可能性が高く、閉じ込められる危険がある。残るは浦河に抜け、海岸沿いを走る国道だ。台風通過後は道路が寸断されるおそれもあり、その前に帰りたかった。だが無理して出発していたら道道で遭難していたかもしれない。
ホテルでテレビのチャンネルを回し続けたが、NHKが歌謡番組の傍らわずかに道路情報をテロップで流していただけ。日高地方が直撃されることは明らかだったのに、地域に対する詳しいニュースは一つとしてなかった。
土曜日の夜は、もともとニュース番組が少ない。だが、台風10号はケタはずれの豪雨を九州から東北までにもたらし、大きな被害を与えていた。それが数時間後に来ると知りながら、報道は通常の番組を垂れ流すだけだった。
もちろん、雨量や水位データをすべて握っている国や道が、管理者としてそれらを適切に伝えなかった責任は最も大きい。しかし、迅速な報道を使命とするテレビやラジオなどのメディアが、自らの判断で国や道にきちんとした取材をしていたらどうだったであろうか。メディアが行政からの公式発表だけを伝えていればいいという姿勢になっているとしたら、メディアは本来もっている力と責任を放棄していることにならないであろうか。
開発局の二風谷ダムでは、緊急放流によって住民への危険が高まり避難勧告が出されたにもかかわらず、その事実を伝える道の広報資料があとで開発局から削除を求められるといった、今後の防災を考えると恐ろしい処置がとられたことも報道されている(八月十二日付北海道新聞夕刊)。
ダムは、想定以上の大雨に対してはかえって危険をもたらすことを住民は知っている必要がある。亡くなった方々のご冥福(めいふく)を祈るとともに、このたびの教訓を生かして、二度とこのような犠牲を出さないように、行政・メディアの猛省を望みたい。