Globalization & Governance
Globalization & Governance to English Version Toppage
トップページ
HP開設の言葉
学術創成研究の概要
研究組織班編成
メンバープロフィール
シンポジウム・研究会情報
プロジェクトニュース
ライブラリ
研究成果・刊行物
公開資料
著作物
Proceedings
Working Papers
関連論考
アクセス
リンク
ヨーロッパ統合史
史料総覧

「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
政策面からの野党再編成を
山口 二郎
 
 

 一月下旬から、通常国会の論戦が始まった。本来ならば、小泉政権の経済政策をめぐってはなばなしい与野党論争が行われるべきところだが、予算委員会の初日からその期待は潰えた。菅直人民主党代表が小泉首相は公約を守っていないと追及したのに対して、小泉首相は大きな改革を遂行しようとするときに、この程度の公約を破ることはたいしたことではないと答弁した。この話を聞いて、今の国会では政策論議が成立し得ないと痛感させられた。

 首相がここまで開き直るのは、首相の最大政策である構造改革が具体的な中身をついに明確にすることなく、デフレ対策と構造改革のはざまでこの政権が立ち往生していることの現われと見るべきであろう。首相の言う「もっと大きな改革」がいかなるものかは、誰もはっきりと説明できないであろう。

 小泉首相の政治首相が限界に達していることは明らかである。首相は就任以来、改革の課題を派手に打ち上げ、既得権を守ろうとする勢力と闘う姿勢を取ることによって支持を集めてきた。もちろんこの戦い自体ドツキ漫才のようなもので、本当の対決ではない。また、首相は生来飽きっぽい性格なのだろう。田中真紀子氏を起用した外務省改革から始まって、道路特定財源の見直し、北朝鮮との国交正常化など、どれをとっても最初の打ち上げ花火が消えた後は、首相自身のフォローがない。改革が竜頭蛇尾に終わっている間に、日本経済はいよいよ深刻な危機に陥ろうとしている。政府与党における首相と抵抗勢力による「改革漫才」をやっている場合ではない。

 これだけ政府の経済失政が続き、国民の生活不安が高まっているのだから、野党に対する期待が高まってもよさそうなものだが、菅代表就任後の民主党は精彩を欠いたままである。民主党は内部の結束維持に躍起で、次の総選挙に向けた野党結集の展望も開けていない。日本の政党の不幸は、政党が政策選択の単位として機能していないことである。自民党がまとまっていないことは明らかであるが、民主党も内政、外交さまざまなテーマについて党内の不一致を抱えている。政策のパッケージを示せないという点について、民主党は自民党の縮小コピーのような政党である。

 民主党の若手には有名大学を出て、中央省庁や大企業で働き、アメリカの大学で修士号を取得した政治家も珍しくない。彼らはアメリカ流の市場中心主義による構造改革を信奉するという点で、小泉路線に同調する。いわば民主党版の「恐るべき子供たち」である。しかし、旧社会党系の政治家は社会民主主義を志向している。党内の結束を保つためには政策論争を棚上げすることが適切ということで、政権構想は一向に具体化しない。だからこそ、小泉政権が行き詰っても民主党に対する期待が高まってこない。

 いささか逆説的に聞こえるだろうが、菅代表の就任後、離党者が続出するという今こそ、民主党がはっきりとした選択肢を作り出す最後のチャンスである。保守新党の騒ぎは、国民の政治不信を高めた。党の外から見れば、熊谷弘保守新党代表の無節操にはただあきれるしかないが、その熊谷氏が要職を占めていた民主党は何だったのかという疑問も当然わいてくる。保守系の政治家を中心に離党者が続くという事態は、党のイメージダウンにつながると執行部は心配しているようである。離党は数の面ではマイナスだが、党の質を高めるという意味ではプラスに働くのである。

 自民党の縮小コピーではどうせ政権はとれないのである。民主党が選挙で勝って政権交代を起こすためには、小泉政権に対抗する明確な選択肢を提示しなければならない。そのためには、いつまでも政策論議を棚上げにするわけにはいかないのである。

 政党間の競争は、まだどの党もつかんでいない無党派層をどちらが先につかむかという競争である。その際、かつて鳩山代表の時代に試みたように、小泉首相と同じ改革路線を採るというのでは、勝負にならない。相手は権力を持った与党である。野党の政策は単なる言葉でしかないが、与党の政策は形となって現れる。同じ政策をこちらのほうが上手にできると訴えても、国民は納得しない。野党は常に政府と異なる政策を提示しなければならないのである。

 それは難しいことではない。世界中を見渡してみて、市場万能主義の構造改革路線を取っているのは本家のアメリカくらいで、それ以外の民主主義国では市場の活力と尊厳ある人間生活の両立を目指す路線、イギリスで言えば、「第三の道」が主流である。その要諦をひとことで言えば、公共事業によるスペンディング・ポリシーは取らないが、社会保障、雇用保険、労働政策と教育政策を合体した人間に対する投資などについては政府が責任を持つというものである。リストラされたり、就職が見つからなかったりして市場から一時的に脱落した人々に、安心できる雇用保険を提供し、同時に労働力の質を上げるための教育を行うことがイギリス労働党の唱える「働くための福祉」の要点である。学校を出た若者が就職難にあえぎ、企業ではリストラの嵐が吹き荒れるという今の日本にも、この政策は必要である。

 民主党の中には、西欧社民という言葉を聞いただけで拒否反応を示す古い感覚の政治家がたくさんいる。旧民社党系の政治家は、労働組合に支援されていて、本来社会民主主義を信奉しているはずなのだが、彼らの反左派意識は強い。しかし、そんな退嬰的な政治家に遠慮していては、いつまでたっても政権など取れない。政府の経済失政を目の当たりにして、右だ左だと争っている場合ではない。議員の座を守りたいだけの機会主義者は追い出して、日本における第三の道の担い手となることが、民主党にとって政権交代を起こすための唯一の選択肢である。

 先日、自由党関係者の会合でこの話をしたとき、平野貞夫氏は、自由党こそ日本における第三の道のもっとも熱心な受容者だと力説していた。確かに、最近の自由党の政策は明快な理念に立脚していると感じさせるものが多い。所帯は小さくても、民主党の政治家より勉強家が多いということであろうか。

 野党結集の話も、小沢一郎氏という具体的な人物が話題の中心になると、好きか、嫌いかという話で、少しも前進しない。日本における第三の道の担い手を作るという政策論からアプローチすれば、少しは違った展開になるのではなかろうか。

 予算委員会冒頭の質疑で、小泉首相が公約違反について傲然と開き直ったことによって、今年の政治ドラマは加速されるかも知れない。権力者が高転びに転ぶときこそ、野党には次の政権構想が求められている。

(週刊東洋経済2003年2月1日)