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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
イラク戦争に関するいくつもの不思議
山口 二郎
 
 

 本稿執筆時点(三月一二日)では、国連安保理におけるイラク攻撃をめぐるぎりぎりの折衝が行われている。しかし、新たな安保理決議なしでも、アメリカはイラク攻撃に踏み切るとの観測が伝えられている。この間のアメリカの外交方針と、それに対する日本政府の態度を見ていると、「何でだろう、何でだろう」と不思議に思うことの連続である。

 第一の疑問は、イラク征伐がアメリカや世界の安全にとって有益かどうかというものである。ブッシュ大統領はイラクや北朝鮮を「ならず者国家」と呼んだ。その感覚は日本にいても理解できる。しかし、ならず者をたたきつぶせば世界は平和になるかというと、事はそう単純ではない。

 まず、どういう理由をもってある国家をならず者と呼ぶのかという疑問がある。確かにイラクには前科がある。国連による大量破壊兵器の廃棄要求にもなかなか応じなかった。フセイン大統領は人権と民主主義を踏みにじる独裁者である。しかし、国連決議を無視し、人権抑圧を行う国といえばイスラエルだってそうである。もちろんイスラエルとイラクを同列に論じることはできないが、アラブ世界の人々にはイスラエルのわがままは許され、イラクは許されないのはおかしいという不満が存在する。最低限の公平の感覚を確保できなければ、武力行使は憎悪を残し、弱者による復讐の火種を残す。

 また、ならず者国家の国民をならず者とみなしてよいのかという疑問もある。イラクの人々もわれわれと同じ普通の人間であることを忘れてはならない。体制を転覆するために、罪のない一般人を犠牲にしてよいということにはならない。

 第二の疑問は、日本政府の対応に関するものである。昨今の教育基本法改正論議や憲法論議の中で、日本人であることに誇りを持たせるような教育が必要だという主張が、特に保守派、ナショナリストの側から叫ばれるようになった。日本を誇りの持てるようなよい国にしようという気持ちは、政治参加の原動力となる。今回のアメリカによる戦争に対して日本としてどのように対応するかという問題は、まさに日本人のアイデンティティや誇りを考える格好の機会となるはずである。ブッシュ政権の神がかり的な自国中心主義は、必ずイスラム文明からの反発を招く。非西洋圏の中でいち早く近代化し、一定の国際的影響力を持つ日本は、アメリカの独善を諌め、「文明の衝突」を防ぐところにこそ役割を発揮すべきである。ところが、日本政府の首脳は、主権国家の指導者というよりも、属州の代官のような行動をとっている。日ごろ、日本人としての誇りにうるさいナショナリストは、なぜこうした情けない姿に異論を唱えないのだろうか。

 アメリカは、戦争の大義名分に事欠いて、イラクの民主化を唱えている。これは、第二次大戦後の日本占領と民主化の経験を基にした議論と言われている。占領軍による「憲法の押し付け」にあれほど怒るナショナリストは、イラクに対する押し付けには賛成するのだろうか。もちろん、民主主義を広めることは結構である。日本で戦後の民主化が曲がりなりにも成功したのは、戦前からの民主政治の蓄積が存在していたからである。それぞれの国の中に内発的に民主政治を担う力が育っていなければ、押し付けられただけの民主主義は形骸化する。今の中東地域を民主化するといっても、民衆の支持を得ない親米傀儡政権を作るのが関の山である。

 戦後の日本は日米安保体制の中で、外交について主体的に考えることを放棄してきた。政府首脳から、親米以外に選択肢はないという開き直りが聞こえてくるのもそのためである。私はここで、反米の道を主張しているのではない。日本は日米安保に基づいて、アメリカの軍事戦略を支えるための莫大な貢献を行っている。だから不必要に卑屈になるべきではない。アジアにおけるアメリカの足場という位置をすぐに破棄するべきではないが、同時にアジアの平和のために今後どのような枠組みを作るべきか、思考を始めるべきである。

(山陽新聞2003年 3月16日)