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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
小泉改革の終焉と民権政治の危機
山口 二郎
 
 

 この文章が読者の目に触れるころには、アメリカによるイラク攻撃が始まっているかもしれない。株式市場はすでに戦争を懸念して、バブル崩壊以後の最安値をつけている。不安定な世界経済にとっては、イラクの大量破壊兵器よりも、遮二無二戦争を推し進めるブッシュ政権のほうが大きなリスクとなっている。そして、そのブッシュを支持する小泉政権も、日本の危機をわきまえていない。戦争が巨大なケインズ主義的有効需要創出策だったのは昔の話である。今イラクを攻撃すれば、石油の値上がりやテロの危険性の増加に伴う萎縮効果によって、世界経済はますます疲弊するに違いない。


 以前に本欄で書いたことでもあるが、英語における「民権的なるもの(civil)」の反対概念は、軍事的なもの(military)である。その理由は、古来戦争と重税は切っても切れない関係にあり、戦争が起これば国家権力が民の力をすべて動員し、民が官権に従属させられるからだと解釈できる。したがって、文民統制(civilian control)とは、民の代表が軍事力の行使について決定権を持つという原理を意味する。市民は軍事問題に関して素人であっても、市民がその常識に基づいて軍事問題を判断する体制を保持しておかなければ、軍事の専門家である職業軍人は往々にして暴走するという歴史的経験を踏まえて、この原理は確立された。

世論による政治とは何か

 ところが、今の世界では民を代表して軍を統制すべき文民政治家が、軍の指導者よりも軽率で無謀だという逆説が見られる。アメリカでは、パウエル、シュワルツコフなど湾岸戦争を実際に戦った軍の指導者がイラク攻撃について慎重であり、ブッシュ大統領やネオコンサーバティブと呼ばれる理論家が戦争に積極的である。国務長官を務めるパウエルの苦衷は、テレビを通しても伝わってくる。そして、日本でも映像を通してしか戦争を見ない安全地帯の政治家が戦争協力に熱心である。本来民主政治における政治家は、国民の感じる当然の疑問や常識を政策決定に反映させるところにその役割がある。しかし、ブッシュ大統領や小泉首相は、国民の常識を省みず、軍事専門家の猿真似をすることで自分が立派な指導者になったような錯覚に陥っている。今政治家に必要なものは、局地的な軍事知識や向こう見ずの血気ではなく、判断力と常識である。その際、政治家が依拠すべき国民の常識が世論である。

 小泉首相は国会答弁で、「世論に従って政治をすれば間違うこともある。それは歴史の事実が証明している」と述べた。これは、世論の子、小泉首相にとって致命的発言である。歴史上、世論が間違ったのは、かつての日本による中国大陸への侵略の時のように、国民が威勢のよい政治家や軍人にあおられて、前後の見境もなく対外強攻策に熱狂したときである。最近の例で言えば、拉致事件に激昂して、北朝鮮とはいかなる交渉にも応じるべきではないという強硬論が国民の支持を得たときなどがこれに当たる。小泉首相は、世論から距離を置いて冷静に国益を考えるべき時には、国民感情に棹さして強硬論の側に立ち、国民の声に耳を傾けるべき時には、国民感情に背を向けて戦争協力を進めようとしている。どちらの事例でもその根底に共通しているのは、小泉首相の判断力の欠如であり、思考停止状態である。

 発足から満二年を迎え、小泉政権と世論の関係も変化している。世論が小泉政権に大きな期待を寄せたことには理由があった。日本の政策形成を担ってきた官僚制が様々な面で失敗や破綻を来しており、大胆な政策転換をしなければ日本が沈没してしまうという危機感が国民に共有されている。罪は官僚にあるだけではない。長年与党の座にあった自民党も、官僚を使って個別的な利益誘導を行うことには長じているが、政策を転換することは不得手である。政治家も官僚も、このまま進めば氷山にぶつかることが分かっていても、舵を切ることができない状態のまま過去十年あまりを過ごしてきた。そのことに対する危機感が変人ともいわれた小泉首相への支持となって集まったのである。

 小泉首相の使命は、世論の望むことに全力を傾注することだったはずである。外務省の腐敗、公共事業をめぐるあっせん・口利き政治の横行など正すべき課題は単純、明瞭であった。しかし、いつしか小泉首相は世論を聞くことよりも、世論を操作し、自らの政権の延命を図ることに大きな関心を持つようになった。

アドバルーンの政治をやめよ

 この一年ほどの小泉政治は、大きな改革課題を打ち上げて、改革勢力と抵抗勢力の対決という図式を作り、一幕のドタバタを演じることで国民の注目を集めるという手法で成り立ってきた。たとえば、最近の特区論議にしてもそうである。時代遅れになった規制を撤廃するために、地方から声を上げるという政策自体は大いに評価したい。しかし、特区申請を認めるかどうかについては、相変わらず中央官僚が権限を握り、政策の根幹を変えないように防波堤を準備してある。特区における政策の実験から、根本的な規制緩和や地方分権に進むという道筋は全く見えていない。

 あげくの果てに、医療分野への営利企業の参入という政策が鳴り物入りで決定された。これなど、小泉政権における空騒ぎの典型的な事例である。高齢社会における医療政策を再構築することは重要な課題である。医師会や製薬業界の既得権を見直すことも必要である。しかし、今回の規制緩和によって、金持ち相手の自由診療専門の病院を造れるようになっても、医療政策の改革とは何の関係もない。世間からは聖域に見える分野で、何か一つ目新しいことをすること自体が、小泉政権における改革の実態である。

 また、小泉政権のもとでは、総務官僚のための情報系公共事業ともいうべき住民基本台帳ネットワークの運用が開始され、個人情報保護法案も推進されるなど、官僚のための政策が粛々と実行されている。民の力を解放するという理念は、今の政権からは窺えない。

 先日、首相と橋本龍太郎、古賀誠両氏が会談した際、小泉氏は日本の首相の任期は短すぎると不満を述べたという新聞報道があった。小泉氏がもっと長く首相を務めたいということは、何かやりたいことがあるということであろう。仮に改革の野望があったとしても、これだけ世論が小泉改革の幻滅してしまえば、自民党の抵抗を乗り越えて実現することは難しい。

 小泉首相の取るべき道はただ一つである。アドバルーン政治をやめて、国民の信任を改めて取り付けることである。折しも、最近地方では、北川三重県知事などが提唱するマニフェスト運動が広がっている。選挙の際に政権政策を具体的に明示して戦うという趣旨である。マニフェストが最も必要なのは国政である。具体的な改革構想が選挙で提示され、国民がそれを選んだとなれば、官僚も非主流派も反対の大義名分を持たない。改革を進める首相の力を生み出すものは、永田町の政治算術ではなく、国民世論であることを小泉首相に思い起こしてもらいたい。

 民の力を伸張するためにはどのような政策が必要か、与野党ともに率直に議論し、国民に決める機会を与えてほしい。

(週刊ダイヤモンド2003年3月22日)