九三年の政権交代以来もう十年になろうとしている。経済同様、政治にとってもこの十年は失われた十年であった。しかし、ただ一つの例外は、地方政治の活性化である。この間、各地で既成政党の支持を受けない改革派の首長が誕生し、住民投票の運動によって地域政策に住民自身が声を上げるようになった。地方政治のダイナミズムは、自民党主導の政権のもとで政策の転換が図れない中央政治と著しい対照をなしている。
今から三〇年ほど前に、革新自治体の運動があった。あのときは、中央における保守、革新の対決の代理戦争が地方で戦われていた。環境や福祉問題に関して自治体が先駆的政策を展開した部分もあったが、高度成長末期という時代ゆえ、住民の要求に応えて施策を拡充するという方向の行政運営が行われていた。
これに対して今の地方政治は、中央における政治対立がいわば無意味化した中で、中央集権体制の矛盾を地方が追及するという対立構造の中で展開されている。中央官僚が作り出した地方向けの政策はことごとく失敗し、地方は経済的疲弊と財政赤字に苦しんでいる。もはや中央とのパイプを頼るわけに行かないという実感が、住民の動きを引き起こしている。住民自身でなんとかまちを支えて行かねばという思いが、政治変動の根底にある。
改革派が台頭しているのは、数からいえば自治体の一部でしかない。しかし、たとえば長野県で起こったことはこれから他の地域でも起こりうる。長野ではバブル崩壊後の経済環境の中でオリンピックという従来型の地域開発手法を取ったために、県政の病理が凝縮された形で露呈され、県民意識を変えた。他の地域では長野ほど劇的な引き金は存在しないが、政策の構図は似たりよったりである。今後、財政の悪化や人口の高齢化とともに、矛盾を糊塗することはできなくなる。その時には、住民は改革を必要とするに違いない。
地方政治の変化の中で最も遅れているのが、地方議会である。地方議会は大統領制型の立法機関であるため、議員は行政の執行について責任を負わない。つまり、議員は純粋に行政に対してお願いする立場である。もちろん、地方議会にも議員立法による条例制定や調査権の発動などはできるのだが、現実の議員活動の大半は行政に対するあっせん、口利きであった。従来の開発主義による政策の中で、議員は役所に利益配分の注文をすればよかった。また、情報公開も議会には普及していない。こうした議会と改革派の首長との対立の構図は、昨年九月の長野県知事で示されたとおりである。
さすがにそうした議会に対する住民の不満は高まっている。普通の市民の中から議会に挑戦しようとする人も増えてきた。今回の地方選挙の大きな争点は、地方議会にどれだけ変化が起こるかという点である。地縁血縁がものを言う雰囲気の中で、どれだけ新しい議員が誕生するかに注目したい。議会が変わってこそ、地方の変化は本物となる。
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