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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
日本政治における保守とは何か
山口 二郎
 
 

 本稿執筆時点(四月六日)では、米軍はバグダッドに迫り、イラク戦争はアメリカの圧倒的な軍事力によって、早期に一応の決着を見る可能性もある。しかし、フセイン政権の打倒は決して到達点ではなく、中東地域における秩序の流動化の始まりでしかない。日本における今回のイラク戦争をめぐる政策決定の過程から教訓を引き出すことは、二一世紀の日本政治にとってきわめて重要な作業である。

 日本政府の方針を決定した政治家や官僚およびそれを支持する学者、評論家に共通するのは、日本にとっては対米従属以外に道はないという言い方である。これらの議論は、およそ別の選択肢の可能性を考察することを最初から放棄したものであった。しかし、どんな状況になろうと答えは常に同じというのであれば、そもそも日本には外交政策は不必要ということになる。そして、外務官僚も評論家もいらないことになる。政策をめぐる論議は、さまざまな可能性を考慮したうえで自国にとって最善と思われる政策を選ぶために行うものである。一国の外交力は、どれだけ多様なシナリオを準備し、それに応じた多数の行動の選択肢を持っているかにかかっている。したがって、常に一つの答えしか持たない日本には、外交力はない。

 私はここでセンチメンタルな理想主義に基づいて反米論を展開したいわけではない。本来保守政治の美徳であったはずの常識、熟慮、慎重さといった要素がアメリカの政治から抜け落ちてきており、日本の保守政治もそれに追随して劣化し続けていると言いたいのである。

 革命は理想主義によって突き動かされる。それは往々にして、理想を追うのに性急なあまり、変化がもたらす予想外の弊害を無視し、結果として理想とは正反対の混乱や圧政につながることがある。後になってこんなはずではなかったと臍(ほぞ)をかむのは、理想主義者の方である。そうした革命の陥穽に警告を発するのが保守主義的な思考法である。保守政治の良識は、目的と手段の関連を考慮し、善なる目的のために大きな犠牲が生まれることにブレーキをかける。また、理想の美名の下で権力が暴走することを批判する。保守思想の古典『フランス革命についての省察』において、エドマンド・バークは次のように述べる。

「これらの紳士(フランス革命の推進者)には、実験のために幼児を切り刻むことを恐れる優しい親の気遣いなど微塵も見当たらない。彼らは、その約束の広大さと予言の大胆さにおいて、経験一点張りの藪医者のあらゆる法螺を遥かに凌ぐ。彼らの効能書きの傲慢さが、それらの根底への吟味を我々に刺戟し挑発せずにはおかない。」

 まさに、イラク戦争を指導しているブッシュ大統領およびネオ・コンサーバティブの知識人こそ、二一世紀における「これらの紳士」である。

 英米両国は、イラクの民主化を戦争の大義名分に掲げている。超大国の軍事介入によって民主主義体制が樹立できるのならば苦労はない。かつて冷戦時代に、アメリカは第三世界においてソ連に対抗するために、自由の名の下に親米政権を作った。しかし、それらの多くは自由や民主主義とは無縁の腐敗した独裁政権であり、しばしば民衆の起こす革命によって転覆された。今回は標的が、テロを支援する「悪の枢軸」に置き換えられただけであり、構図は同じである。仮にアメリカの後ろ盾で「民主政権」が作られたとしても、それがイラク人の支持を得られるはずはない。現に、タリバン政権を打倒した後のアフガニスタンにおいて、親米派のカルザイ政権はカブールを支配するに過ぎず、民主化は絵に描いた餅である。イラクの場合、クルド人とアラブ人との民族対立、スンニ派とシーア派との宗教対立が存在し、状況はさらに複雑である。民主的政権による統治の困難さは、子供にも分かる話である。

 ブッシュ大統領とネオコンの知識人が、イラクの民主化というスローガンをまじめに信じているならば、それは政治家失格と言うべきくらいの、救いがたい能天気さである。また、彼らが石油利権を独占するために民主化というスローガンを使っているならば、それは許しがたい欺瞞である。いずれにせよ、ブッシュ政権は本来の保守政治とは無縁の危険で、きわめてコストの大きな賭けに出ている。

 ここで問われるのは、日本の対応である。今回の戦争への対応を決定する過程で、日本の保守政治の貧困が露呈された。憲法や教育をめぐる議論の中で、保守派の政治家や知識人は日本人としてのアイデンティティを確立すべきだと力説している。イラク戦争への対応は、日本としてのアイデンティティを示す絶好の機会となるはずである。それは言うまでもなく、非西欧圏で最初に西欧的近代化を遂げた国として、ブッシュ政権の十字軍的正義を相対化し、文明の衝突を回避する仲介者としての役割である。しかるに、政府とそれを支持する知識人は、対米追随という思考停止こそ国益だと開き直った。自らものを考えることを放棄するような国に、どうして誇りなど持てるのであろうか。たけり狂ったアメリカの後を、おずおずと付いていく日本の政治家からは、本来保守政治家に必要なはずの熟慮、懐疑心、平衡感覚というものが感じられない。

 一般国民の素朴な平和志向を私は否定しない。世論は政策に影響を与える一つの要因である。しかし、政治の指導者には国民感情とは別の知恵や戦略が必要である。とりわけアメリカが正義を忘れて暴走しているときには、この巨象と付き合うための深慮が求められる。たとえば、戦争のきっかけであった大量破壊兵器の拡散を防ぐという本来の課題について、現実的で根本的な対策を作り出すことや、世界的な人権の保障に向けた制度を構築することこそ、日本の役割である。国連を舞台に、西ヨーロッパの各国やカナダなどと協力してこうした分野で国際的な世論を作り出すことは、決して非現実的な話ではない。

 先に引用したバークが述べているとおり、保守政治とは決して単なる現状維持や、状況追随を意味しているのではない。悲惨な現状を一瀉千里に変革することは断念しつつも、緩やかな改革を積み重ねる強靭な意志が、保守政治には必要である。対米協調という呪縛から脱し、日本政治を自立させるためにも、良質な保守政治家が求められている。

(週刊東洋経済2003年4月19日)