九三年政変から十年という回顧モードの仕事をしていると、突然民主党と自由党の合併というニュースが入ってきた。非自民連立政権の夢よもう一度ということであろう。この十年を日本政治にとっての失われた十年と言うならば、この時代に我々が感じる喪失感の最大の原因は、耐用年数を過ぎた自民党がいまだに政権に居座り、これに取って代わる政党が生まれていないことである。
その意味で、今回の民主、自由連携はともかくも非自民の受け皿を創ろうとするものと評価することができる。しかし、この提携が成功するためには多くの条件がある。そもそも国民は、この十年の政治の迷走を見て、新党だの新しい仕掛けだのについて食傷気味である。新しい意匠だけでは、国民は政党や政治家に期待しなくなっている。実際、各紙の世論調査を見れば、民主、自由提携に対して、期待を持つ人よりも持たない人の方がはるかに多い。この提携については、新進党の二の舞という不信感を持つ人も多いであろう。核武装を主張する自由党の西村真悟氏と護憲の立場にこだわる横路孝弘氏とが同じ政党にいるのは、奇妙だとも思える。
党としての重要な政策に関して、推進派と抵抗勢力が喧嘩をすることで人目を引くというのは、権力の座にある自民党だからできる贅沢である。自民党が権力を持っていればこそ、たとえば小泉改革に賛成する人はその実現を期待し、反対する人は抵抗勢力がうまく小泉を封じ込めてくれることを期待し、どちらも自民党を支持する。自民党は、自らの支持拡大のためにこの種の対立劇を利用しているのである。
しかし、野党ではこうはいかない。重要な政策課題に関して党内の亀裂が深まることは、党の信頼性を損ない、結局この党は何もできないだろうという否定的な評価につながる。民主党が自民党を倒すには、自民党政権を具体的に否定する明確なメッセージを持ち、それをこの党の政治家全員が共有するという安定感を醸し出す必要がある。
非自民の受け皿になるためには呉越同舟もやむを得ないが、政策がバラバラでは国民の支持が得られない。この隘路を打開するためには、民主党の性格を次の政党システム立ち上げまでの「臨時政党」と割り切ることが必要である。次の総選挙で作るべき民主党政権にとっては、自民党政権を支えてきた制度、政策の土台を破壊することだけに焦点を当て、限定された改革課題に取り組むことが、その歴史的使命となる。外交や社会保障など長期的な視野から腰を据えて取り組むべき問題は、民主党の担当外である。もちろん、党としての信頼や品位を保つためには政策以前の価値観、倫理観について政治家に関する品質管理をしなければならない。そのことは、自民党の有力政治家による放言、暴言が相次ぐいま、きわめて重要なことである。
まず、具体的な改革課題について見てみよう。様々な改革が叫ばれた十年間、遠回りではあったが日本の政治・行政に関して何を変えるべきかがようやく明らかになってきた。政治や行政の制度改革のあと、昨年になって政治家によるあっせん口利きが露呈されたことに示されるように、自民党政治家にとって政治とは、政府の金を地方や業界に配分することに他ならなかった。与党が利権配分を握り、圧倒的な優位に立っていたがゆえに、多くの地方で与野党間の対等な競争ができなかった。利権政治は、腐敗を引き起こすだけではなく、税金の浪費、官依存の経済構造の深化など、経済にも大きな悪影響をもたらしてきたのである。この根本を断つことこそ、非自民政権にとっての最大の課題である。具体的な手段としては、公共事業補助金の全廃を掲げるべきである。この点は、小泉政権における三位一体改革の中でも論じられている。しかし、補助金を廃止することは自民党にとって自らの糧道を自分で断つことを意味する。小泉政権のもとで、抜本的な地方分権などできるわけがない。この点で、民主党は自民党と対決できるであろう。
この他に、小泉政権と対抗すべきテーマはいくらもある。しかし、たとえば外交安保などにまで戦線を拡大すれば、党内に異論が噴出して、政権が持たない可能性がある。自民党にせよ、これに対抗する民主党にせよ、党内に相反する要素を抱えており、長期的な改革を行う能力を持っていない。その種の話は、今後の政党再編を通して、政策的にまとまった政党ができるまで、待たなければならないのであろう。ともかく、いまは権力という養分なしには生きていけない自民党を権力から追い落とし、まともな政党政治のための土台を作り直すことが急務である。
次に、政治家の品質管理について触れておきたい。民主党にとって政権交代を起こすことはそれ自体目的ではあるが、単なる政治家の寄せ集めでは国民の支持は集まらない。改革の大枠と、政治家としての基本的な価値観、倫理観については党として政治家を統制する必要がある。人を差別することは絶対に許さない、人間の生き方に関する自由と自己決定を尊重するという基本的前提は、党として明確に共有すべきである。政府、自民党の幹部から女性蔑視などの暴言が相次いでいるいま、政治家としての品性は自民党と民主党の差異を作り出す重要なテーマとなる。そして、そうした理念や品格を共有できない政治家は党から排除すべきである。
その意味では、民主党においても「踏み絵」が必要である。その党の公認を得て選挙に立候補したいという政治家に対して、政党の存在理由に関する基本的事項を承認するかどうかを公の場で問うということは、決して強権的ではない。最近話題になっているマニフェストも、個々の選挙区の候補者が自分の政策として訴えなければ、政党がこれを作る意味はない。菅代表の下で民主党が次の総選挙に向けたマニフェストを作るとき、まず党内での論争を避けるべきではない。どの政策が最も説得的か、国民の前で議論することは、政党の知的活力に対する信頼を高める。そして、マニフェストができたら、党の公認を得ようとする政治家に、その承認を迫るべきである。
民主党と自由党の提携が落ち目の銀行同士の合併に終わるのか、日本の政党政治を変える突破口になるのか、それは今後の政策・政権構想づくりの作業にかかっている。
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