九月八日に始まった自民党総裁選挙は、小泉総裁に対して三人の候補者が構造改革路線の転換を求めて挑戦するという構図となった。各派閥における候補者擁立の過程から浮かび上がったのは、今までの自民党政治を支えてきた派閥の変質である。とりわけ、田中派、竹下派という自民党最大派閥の系譜にあり、自民党的なるものを象徴してきたはずの橋本派の凋落には感慨深いものがある。派閥の合従連衡によって戦われる権力ゲームという自民党総裁選挙の枠組みは、今回で最後となるとさえ思える。更に言えば、今回の総裁選挙は、自民党という権力集団が崩壊し始めたことを意味しているのである。
今回の総裁選挙が今までと最も異なる点は、最大派閥の橋本派が分裂し、参議院の橋本派が小泉総裁を支持したことである。総裁選挙で数の力を見せ付けることは、この派閥にとって存在理由であった。したがって、総裁選挙で自派の候補者を「温かく送り出す」などという生ぬるい対応をとるということは、この派閥が存在意義を放棄したにも等しい。その原因としては、橋本龍太郎会長のリーダーシップが働かなくなったこと、野中広務、青木幹雄という大幹部の間の不和、人材不足などがすぐに思い当たる。しかし、そうした表層的な要因よりも、より構造的な問題に目を向ける必要がある。
今までの派閥争い、権力闘争はどろどろとした情念や怨念が渦巻く修羅の世界として描かれてきた。しかし、政治家は、権力という最高の目的を追求するためには冷徹な計算に基づいてあらゆる手段をとるという意味で、常に合理的な存在でもある。今までの派閥を単位とした権力闘争のあり方も、総理・総裁を目指す大物政治家にせよ、次の選挙での当選を第一に考える普通の政治家にせよ、それぞれの合理性を反映したものであった。田中派、竹下派が軍団といわれる結束を誇ったのも、最高指導者から陣笠に至るまでそれぞれの政治家がそれぞれにとっての権力を合理的に追求した結果であった。
小泉首相登場以前の自民党の総裁選びは、国民世論をあまり重視しなくてもよかった。自民党が政権党であることは自明であり、自民党総裁と総理大臣のポストはほぼ同義であった。総裁に最も必要な資質は、党の多数派がまとまれることであった。したがって、自分たちが事実上の権力を行使できるならば、田中・竹下派はよその派閥のぱっとしない政治家を担ぐこともいとわなかった。
さらに、こうした派閥の行動を支えていたのは、政治学で恩顧主義(クライエンテリズム)と呼ばれる政治の構造であった。これは、政治家がパトロン(庇護者)として地方のコミュニティや業界団体、職能団体というクライアント(顧客)にさまざまな政策的サービスを供給し、その見返りに票や政治資金を得るという、庇護と忠誠の交換システムのことである。こうした顧客は全国民の中では少数に過ぎないが、従来の選挙制度の中ではこうした顧客をがっちりと固めることが勝利の方程式であることを、政治家は熟知していた。顧客を喜ばせるプレゼントをどう配るか、最も優れたノウハウを持っていたのが田中・竹下派だった。また、顧客の方もパトロンと強く結びつくことが、地域や業界の繁栄にとって不可欠であると信じてきた。そして、小泉総裁誕生以前の自民党総裁選挙の予備選挙では、こうした地方の一般党員の票が田中・竹下派の政治家によってかき集められてきた。
今回の総裁選挙で、橋本派が機能を失ったのは、人間関係や人材という偶発的な事情によるのではなく、恩顧主義の構造そのものが崩壊しはじめているからに他ならない。グローバル化の趨勢の前に、業界に対する保護政策が次第に後退していることは、農業や流通業など広い範囲で明らかになっている。従来、地域に対する最大のプレゼントであったはずの公共事業も、地域住民のニーズからかけ離れた、一部官僚や業者を養うためだけの事業に変質していることも、さまざまな地域で明らかになっている。私自身も、昨年北海道内の企業経営者約三千人を対象に、政治に関する意識調査を行った(回答率は約四〇%)。その中で、多くの経営者は鈴木宗男代議士に象徴される恩顧主義的な政治に対してはむしろ冷ややかな見方をとっており、これからは政治家に多くを頼れない時代になるという現実的な予想を持っていることが明らかになった。
顧客であるはずの人々がもはや政治家からのプレゼントに期待しないといっているのだから、パトロンの側も顧客を動員できるはずはない。また、パトロンが自分自身の選挙で勝とうと思えば、特定の顧客を相手にプレゼントと引き換えに票を集めるのではなく、政治にしがらみを持たない人々から支持されるための工夫をしなければならなくなる。そして、そのためには党のイメージを良くすることが不可欠であり、総裁選びにも国民世論の動向を視野に入れて対応する必要が出てくる。かくして、橋本派といえども選挙地盤の固まっていない若手は、自分自身の地位や力を守るために小泉首相を応援することとなる。
小泉首相は高い人気を保持していると入っても、決して政策面で評価されているわけではない。むしろ、構造改革をどんどん進めてほしいという人よりも、景気・雇用を優先してほしいという人がはるかに多いのである(八月下旬の「朝日新聞世論調査」では、構造改革派二八%に対して景気・雇用派が六四%)。したがって、政策転換を唱える亀井静香氏や藤井孝男氏への支持がもっと広がってもよさそうなものだが、地方の一般投票でもそうはならない模様である。従来自民党政治の顧客だった人々も、亀井氏や藤井氏が唱える政策転換も、結局崩壊していく恩顧主義の仕組みを少しばかり延命させる程度に終わるだろうと見抜いているのである。あるいは、反小泉派が叫ぶ弱者に優しい政策なるものの胡散臭さを見透かしているというべきか。
小泉首相に「自民党をぶっ壊す」などと言われなくても、自民党政治の骨組みは崩れつつある。小泉首相のこの二年あまりのパフォーマンスは、そうした趨勢を巧みに利用したサーフィンのようなものであった。この総裁選挙はそれで乗り切れるとしても、自民党政治の限界が明らかになる時は小泉政権の限界が明らかになる時でもある。そうなると、田中・竹下政治を否定することで人気を得てきた小泉氏も役割を失うのである。野党のがんばり次第では、その時に政策本位の政党対決という新しいモデルを立ち上げることもできるかも知れない。
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