一一月九日投票の総選挙に向けて、いよいよ選挙戦が本格化してきた。この選挙は、小泉政権の継続を許すかどうかを国民が決定する重要な機会である。そこで、異論反論は承知の上で、あえて本誌の読者に戦術的投票を呼びかけたい。戦術的投票とは、自分の本来の支持政党とは別に、そのときの選挙情勢をぎりぎりまで見極めて、よりましな結果をもたらすように候補者を選択するという投票行動である。特に、このような行動は死票が多い小選挙区制において意味を持つ。
一九九七年五月、イギリスで労働党が一八年ぶりに政権交代を起こしたとき、私はイギリスに留学中で、選挙戦の一部始終を観察していた。このときの選挙の最大のテーマも、政権交代を起こすかどうかであり、結果は労働党の大勝で終わったが、事前の予想では接戦の可能性も予想されていた。投票日の一週間ほど前に、『オブザーバー』、『インディペンデント』といった進歩的な新聞に、政権交代を起こすためには接戦が伝えられる選挙区について、ある区では当時最大野党の労働党へ、別の区では野党第二党の自由民主党へ投票することを勧めるという膨大なリストが掲載された。保守党政権の継続を嫌う有権者の票が、労働党と自由民主党という二つの野党に分散し、結果的に保守党が漁夫の利を占めるということになっては困るというのが、これらの記事の意図するところであった。
話を日本に置き換えれば、小泉政権を終わらせたい人は、日ごろどの政党を支持するかという話はひとまず措いて、それぞれの選挙区で最も勝つ可能性の高い野党系の候補者に投票しましょうということになる。(中立を保つために付言すれば、与党系の候補が乱立している選挙区に住む小泉政権の継続を希望する人は、最も有力な与党系の候補に投票しましょうということになる。)日本の選挙制度では、比例代表の部分もあるのだから、本来支持している政党へは比例代表選挙で投票すればよい。
こんなことを言うと、本誌の読者の中には怒り出す人もいるに違いない。私自身、最大野党の民主党については、いろいろと不満もある。あのマニフェストには、個別の政策は網羅されているが、政治の基本である価値観や理想については何も伝わってこないと批判もした。しかし、現実の政治の世界では百パーセント満足いくような選択肢が存在するとは限らない。むしろ、五〇歩と百歩の違いを見分けることが、政治という営みの重要な本質とさえ言ってもよい。また、選挙とは個人的な憤懣を晴らしたり、忠誠を発揮したりするための機会ではない。
我々は、とりわけ今回の選挙において、これからの日本にとってのよりましな政権を作ることを候補者選択の最大基準にしなければならない。当選の可能性のまったくない候補者に投票し、結果的に自分が最も嫌っている政党を喜ばせるというのは、政治的に成熟した有権者のとるべき行動ではない。おそらく自民党と民主党の違いは五〇歩と百歩の違いでしかないのだろうが、今の日本にとってはその差の五〇歩が重大なのである。国民の側も、選挙の結果に対して責任が問われている。
政治学者の中には、今回の民主党と自由党の合併によって、小選挙区制が日本にも二大政党制をもたらそうとしていると評価する人もいる。しかし、私はとてもそんな楽観は持てない。仮に民主党が敗北すれば、人事抗争が噴出し、この党はまたばらばらになるかもしれない。また、万一自民党が敗北すれば、今度は自民党が解体し、大きな政党再編成が始まるであろう。理念や政策が不在の政党政治という現状を打開し、まともな政党政治の仕組みを確立するためには、なんと言っても政権交代が鍵である。小泉政権の継続を許していては、日本の政治は変わりようがないのである。
日本の政治を変えるためには、少しでも多くの有権者が投票所に足を運び、各種世論調査の結果を見極めて自分の一票を最も効果的に使うことが必要なのである。
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