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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
「戦後革新」の終焉
山口 二郎
 
 

土井さんの党首辞任が示すもの

 社民党は総選挙大敗による土井たか子党首の辞任を受け、福島瑞穂参議院議員を新党首に選出した。

戦後革新勢力の旗手として長く野党第一党の座を占めてきたこの党の衰退は、 政権交代を実現できる新たな政治勢力を生み出すための、多くの課題を提起している。

 土井たか子さんが社会党?社民党の党首として活躍した時代は、私自身が政治学者として、いわゆる論壇で活動してきた時代とほぼ重なっている。私は、土井さんが体現する「戦後革新」の理念にある部分では共鳴し、政権交代の扉を開けることを共に目指しつつも、万年野党に甘んじていた社会党的なるものに対する大きな不満を感じながら、言論活動を行なってきた。

 土井さんの党首辞任を伝えるテレビニュースの中で、彼女の活躍と苦労の十数年が回顧されるのを見て、私自身のいくつかの挫折を重ね合わせ、深い感慨を覚えた。もう、戦後革新は終わったのだ。

 日本政治における左派的なものを追い求めてきた私が、なぜ戦後革新の終わりを告げなければならないのか。何よりも、土井さんに退場を迫った今回の総選挙の結果を解釈することから、説明したい。この選挙は、よい意味でも悪い意味でも、「戦後政治」から「ポスト戦後政治」への転換の大きな節目となるだろうと私は考えている。

少数派に甘んじた怠慢

 戦後政治を政党システムという観点から見たときの最大の特徴は、自民党こそが生来の政権政党であり、野党は常に少数であることを前提として権力に対するブレーキ役となる、という固定された分業であった。幸か不幸か、憲法を擁護するという野党勢力の最大目標を達成するためには、議会における多数は必要ではなく、三分の一を確保するだけで十分であった。

 社会党、共産党などの革新勢力は、議会で多数を制して権力を取り、自らの理想を実現するためのまじめな努力は行なわず、改憲を阻止するに足るだけの勢力であることに自足し、次第に少数派であることを自らも当然と考えるようになった。

 一〇年前の非自民連立政権の発足で一応与野党は入れ替わったが、自民党の飽くなき権力欲の前に社会党は十分な戦略を持たないまま行動し、結果として自民党の復活を助けてしまった。

 今日、政権党が長期間固定していることの弊害は、各方面で明らかである。政官財の癒着構造、メディアに対する権力の干渉など、どのような政党が政権につくにせよ、ともかく政権交代が時折起こるだけで大きく改善される問題である。そして、今回の総選挙では政権交代の可否が問われ、実際に民主党は次の総選挙で自民党と政権を賭けて争うところまで議席を増やした。

政権交代が第一の課題に

 他方、少数ながら明確なスローガンを唱え、政府を批判してきた社民・共産の両党は大きく後退した。民主党の議席増は、一面において革新政党の支持者を奪った結果である。

 この結果は、国民が戦後政治における与野党の固定化に、大きな不満を持っていることを物語っている。土井さんは、「ダメなものはダメ」という名せりふに示されるとおり、戦後政治における数(+権力)と正しさとの乖離を象徴する政治家であった。自民党に節度と統治能力があって、国民と野党が時折「お灸」を据えるだけで政治の軌道修正ができた時代には、そうしたリーダーにも存在意義はあった。

 しかし、自民党が統治能力を失った今、政権の担い手自身を入れ替えないことには政治はまともにならないと考える有権者が、とりわけいわゆる市民派、革新支持者の中で増えたと理解することができる。こうした民意の変化を受けて土井さんが党首を辞任するのは、やむをえない帰結である。

 社民党のいくつかの失態をもとに、土井さんを罵る議論を聞くと、私は無性に腹が立つ。確かに社民党には脇の甘いところがあり、政治に必要な熟慮やずる賢さが欠けていた。社民党の歴史的役割が終わったと言うのは容易だが、その役割とは何だったのかを功罪両面にわたって確認しておかなければ、この党が担ってきた価値を次代に伝えることはできない。

土井さんが体現していたもの

 社会党?社民党は、日本政治にあって善意と正義感を体現してきた。これは政治家の集団に対しては賞賛であると同時に、非難でもある。善意は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)問題で露呈されたようなお人好しにつながり、正義感は現実に背を向ける原理主義的思考法につながる。

 社民党は、最後は多数決でものを決めるという民主主義の冷厳な原則から目を背け、もっぱら正しいことを唱えることで権力者を改心させることによって、自らの主張を実現しようと努めてきた。しかし、最近のように権力者が国会審議においてさえ論理を放棄し、説明を拒絶して恥じないようになると、この方法は効果を失う。

 一九八九年の「山が動いた」参議院議員選挙は、九〇年代の政治変動の引き金となった大きな事件であった。自民党政治に対する疑問や反発があれだけ巨大なエネルギーとなったのは、土井さんが体現していた正義感のおかげである。日本の政治に品性を取り戻したいと考えた多くの市民の正義感が、土井さんのもとに凝集したのである。あの時土井さんは、自民党が常に多数であり、権力を独占するという戦後政治の常識に逆らってもよいのだという勇気を、国民に与えてくれた。

 しかし、皮肉なことに、保守・革新の役割の固定化を打破し、政治を流動化したことによって、土井さん自身も居場所を失ったのである。土井さんが衆議院議長に祭り上げられていた間に、村山政権ができて社会党は路線転換を行なった。そして、政権交代へのスタンスをめぐって分裂し、多くの政治家が民主党に走った。

護憲のみ叫ぶことの限界

 土井さんが社民党の党首に戻った時、彼女を待っていたのは元の社会党ではなかった。本当は、村山時代の路線転換を受けて、憲法の理念を具体化するためのより周到な政策を練らなければならなかったのだが、護憲のスローガンを唱えるだけという安易な道に走ったように、私には思える。

 自衛隊のイラク派遣が検討されている今、護憲のシンボルである土井さんが党首の座を退くことで、日本が戦争に踏み込むと心配する人も多いだろう。私ももちろん、イラクへの派兵には反対である。しかし、単に護憲を叫ぶだけでは、土井さんが追求した理念を実現することはできない。各種世論調査に示されるように、国民の多数は憲法九条を改正する必要はないと考えている。

 しかし、九条を支持する人々は同時にアメリカとの関係を険悪化させることをおそれている。また、最近の軍事紛争やテロの横行を見るにつけ、日本が言葉で憲法九条の理想を唱えるだけでは問題が解決しないという、迷いや悩みを持っているのも事実だろう。

 日本が九条の理想を実現するために国際社会でどのような行動をとるかが問われているのであり、そうした行動の基準とするために、九条を補完する新たな規範を創ることが求められているのである。

社会民主主義の理念を

 そうした作業のためには、これまでの社民党に欠けていた現実に対する深い洞察と、アメリカの独善を掣肘する狡知が必要である。

 同じ社会民主主義という理念を掲げる西ヨーロッパの諸政党は、それぞれこの課題に必死で取り組んでいる。平和の問題だけではない。アメリカ主導の経済のグローバル化が猛威を振るう中で、いかにして人間の尊厳や品性を擁護するかという課題を考える際にも、社会民主主義の重要性はますます高まっている。

 社民党が、福島瑞穂新党首の唱えるように「小さくてもきらりと光る政党」として社会民主主義を追求するのか、民主党の一部としてこの党に社会民主主義的理念を反映させる道をとるのか、それは社民党の政治家自身が決めることである。ただし、いやしくも社会民主主義という看板を掲げる以上、上に述べたような課題にまじめに取り組まなければならないことだけは、ここで強調しておきたい。

 戦後革新の衰退を嘆いても仕方がない。土井さんの退場は、理念と現実を結び合わせる新たな政治勢力の構築の必要性を教えている。土井さん、長い間ご苦労様でした。

(週刊金曜日2003年11月)