今回の総選挙は、良い意味でも悪い意味でも、戦後政治からポスト戦後政治への転換の大きな節目となるだろう。戦後政治における最大の前提は、自民党こそが生来の政権政党であり、野党は常に少数であることを前提として権力に対するブレーキ役となるという、固定された分業であった。
▽やむを得ぬ退場
しかし、今回の総選挙では政権交代の可否が問われ、実際、民主党は次の総選挙で自民党と政権をかけて争うところまで議席を増やした。そして少数ながら明確なスローガンを唱え、政府を批判してきた社民、共産の革新政党は後退した。
こうした結果は、国民が戦後政治における与野党の固定化に大きな不満をもっていることを物語る。土井たか子さんは「だめなものはだめ」という名せりふに示されるとおり、戦後政治における数(=権力)と正しさの乖離(かいり)を象徴する政治家であった。こうした民意の変化を受けて、党首を辞任するのはやむを得ない帰結である。
社民党における最近の醜聞をもとに土井さんを罵(ののし)る議論を聞くと、私は腹が立つ。確かに社民党には脇の甘いところがあり、政治に必要な熟慮やずる賢さが欠けていた。社民党の歴史的役割が終わったと言うのは容易だが、その役割とは何だったのかを功罪両面にわたって確認しておかなければ、この党が担ってきた価値を次代に伝えることはできないだろう。
▽善意と正義
社会党―社民党は日本政治にあって善意と正義感を体現してきた。これは政治家集団に対しては称賛であると同時に非難でもある。善意は北朝鮮問題で露呈されたようなお人よしにつながり、正義感は現実に背を向ける原理主義的態度につながる。社民党は、最後は多数決でものを決めるという民主主義の冷厳な原則から目をそむけ、権力者を改心させることで自らの主張を実現しようと努めてきた。
しかし、最近のように権力者が国会審議においてさえ論理を放棄し、説明を拒絶して恥じないようになると、この方法は効果を失う。一九八九年の「山が動いた」参院選は九○年代の政治変動の引き金となった事件である。自民党政治に対する疑問や反発が凝集できたのは、土井さんが体現していた正義感のおかげである。
土井さんは自民党が権力を独占するという戦後政治の常識がおかしなものであることを気づかせてくれた。しかし、皮肉なことに、保守―革新の役割の固定化を打破し、政治を流動化させたことによって、土井さん自身も居場所を失ったのである。
▽新たな規範を
自衛隊のイラクへの派遣が検討されている今、護憲のシンボル土井さんが党首の座を退くことで、日本はますますおかしな方向に進むと心配する人も多いだろう。私ももちろんイラクへの派兵には反対である。しかし護憲を叫ぶだけでは、土井さんが追求した理念を実現することはできない。
各種世論調査に示されるように、国民の多数は憲法九条を改正する必要はないと考えている。しかし、九条を支持する人々が、米国の圧倒的な軍事力とテロリストとの対決が泥沼化する中で、九条の理想を唱えるだけでは問題が解決しないという迷いや悩みを持っているのも事実である。
日本が九条の理想を実現するためにどのような行動を取るかが問われているのであり、九条を補完する新たな規範を創(つく)ることが求められているのである。そうした作業のためには、これまでの社民党に欠けていた現実に対する深い洞察と米国の独善を掣肘(せいちゅう)する狡知(こうち)が必要である。
戦後革新の衰退を嘆いても仕方がない。土井さんの退場は、理念と現実とを結び合わせる新たな政治勢力の構築の必要性を教えている。土井さん、長い間ご苦労さまでした。
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