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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
イラクへの自衛隊派遣に反対する
山口 二郎
 
 

 イラクに自衛隊をいつ派遣するかという難題について政府が検討を進めている最中に、日本人外交官二名が殺害されるという痛ましい事件が起こった。まず何より、犠牲になった方々のご冥福をお祈りしたい。

 その上で、我が国がイラク問題に関してどう対応すべきか考えてみたい。我が国はテロに屈するべきではない。その点に関しては、私も政府の見解に異論はない。しかし、テロを制圧するための具体的な方法に関しては、大いに議論の余地がある。犠牲者をいわば人柱にして、イラク問題に関する日本国内の議論を、「二人の外交官の屍を乗り越えて、日本もアメリカ流の力によるテロ対策に協力しよう」という一億一心状態を作り出すことには、この際強く異論を唱えたい。

 精神においてテロと戦う姿勢を堅持することは重要である。しかし、精神論だけでテロとの戦いに勝てるはずはない。むしろ、いったん一つの国家を崩壊させ、無秩序状態を作り出したイラクでテロとの戦いを繰り広げるには、途方もなく長く、複雑な行程が待ち構えている。テロリストが英雄ではなく、単なる犯罪者であるという認識を現地の人々の間に浸透させ、テロリストを浮き上がらせることが、長期的な視点から見た有効なテロ対策である。逆に言えば、今のイラクではテロリストがアメリカと戦う英雄とみなされ、熱狂的な賞賛から暗黙の支持まで程度の違いはあれ、現地の人々がテロリストを受け入れているからこそ、これほど広範囲で、標的を絞ったテロ活動が横行しているのである。

 このことの原因をたどれば、米英両国によるイラク攻撃の不当性に行き着かざるを得ない。イラク戦争開戦前から、戦争の大義名分は疑わしいものであって、正当性のない軍事力行使はむしろテロリストを勢いづける恐れがあることを指摘し、戦争に反対する声は世界中に満ちていた。戦争を推進したアメリカのネオコンと呼ばれる知識人は、アメリカをホッブズ(一七世紀イギリスの思想家)の言う専制君主になぞらえて、理念や正義ではなく、力によって秩序を樹立する二一世紀世界の最高権力者を気取っていた。しかし、ホッブズが今のアメリカ大統領を見たならば、思慮や聡明さを欠いたまま武力を行使し、多くの犠牲を作り出す愚かな君主の見本と称するに違いない。アメリカは、曲がりなりにもイラクの秩序を支えていたフセイン政権を倒し、わざわざホッブズの言う自然状態(万人の万人に対する闘争)を作り出したからである。

 イラク情勢の泥沼化の最大の原因は、本来国際社会において道義や正義を体現するはずの米英両国が、正当性の面でつまずいた点にある。したがって、日本がアメリカに荷担してイラクに自衛隊を送ることは、テロの火に油を注ぐ結果になる。

 本当にイラクの復興のために、日本が人道的な協力をしたいならば、異教徒、異民族から攻撃を受け、大きな犠牲を出したイラク人の立場に立って、治安の回復や民生の安定のために何が必要かを考えることから始めるべきである。そして、そのためには、アメリカに対する軍事的な支援と、イラク人に対する人道的な支援とを峻別し、大義のない戦争を支持したことに対する反省から話を始めなければならない。

 今の日本を支配しているのは、アメリカがどんな失敗をしても常にアメリカに追随することが日本の国益になるという思考停止の対米協調論である。小泉首相が国民に対する説明責任を果たしていないのは、この思考停止の故である。しかし、思考停止のまま自衛隊をイラクに派遣し、不幸にして犠牲者が出たならば、外交・安全保障をめぐる国論の分裂は深刻なものとなるであろう。今からでも遅くはない。日本がリスクを負っても国際平和や人道支援のために行動するのはどのような場合か、そうした意思決定を行うさいにはどのような手順を踏むのか、国会の場で十分な議論を行うべきである。

(山陽新聞2003年12月07日)