2003年5月1日、イギリスのスコットランドでは議会選挙が行なわれました。スコットランドは約300年前までイングランドとは別の国であったこともあり、教育や司法分野には今日に至るまで独自の行政制度が維持されており、市民もスコットランドに対して強い帰属意識とプライドを持っています。また、スコットランドの政治構造は、二大政党制であるイギリス全体とは異なり、労働党と地方政党であるスコットランド国民党の勢力が伝統的に強く、反対に保守党が弱いという特徴をもっています。スコットランド議会は、大規模な分権改革に伴い1999年に創設され、スコットランド独自の政策形成や、透明でより開かれた意思決定過程の確立が期待されていました。今回の選挙は分権改革の成果、そして労働党と自由民主党との連立政権の評価を問う初めての機会でありました。
投票結果を政党別の議席数で見ると、労働党50(前回比−6)、スコットランド国民党27(−8)、保守党18(±0)、自由民主党17(±0)、緑の党7(+6)、スコットランド社会党6(+5)、その他4(+3)となっており、労働党と自由民主党が辛うじて過半数を制しました。また、投票率は50%弱で、前回に比べ、約9%下回りました。
スコットランドの首都エジンバラ市。幾つかの選挙区では、労働党大臣が落選したり、無所属候補が当選するなど、注目すべき結果を生んでいる。 |
今回の選挙キャンペーンと投票結果からは、スコットランド政治の特徴を以下の点に見ることができます。第一に、分権改革によって設立したスコットランド議会、そしてスコットランド行政府に対して市民は必ずしも高い評価を与えていません。確かに、スコットランド議会は、キツネ狩りの禁止、高齢者ケアの無料化、大学授業料の「廃止」など、国からの権限委譲があったからこそ可能であった画期的な法律をいくつも成立させています(99年以降、62 の法律がスコットランド議会によって制定されました)。ところが、市民生活のレベルで分権改革の成果を実感する機会はあまりなく、むしろ、受診待ち時間が長い医療サービスや、若者による犯罪の増加などをどのように改善すべきかが、残された課題となっています。
また、労働党は、財政自主権の確立とスコットランド独立のための住民投票を主張するスコットランド国民党を批判し、スコットランドがイギリスから離脱することによって生じる経済的損失や財政的な不利益を繰り返し強調しました。さらに、選挙キャンペーン中には、トニー・ブレア首相、ゴードン・ブラウン蔵相もスコットランドを訪れ、スコットランド国民党の財政政策とイギリスからの独立をめざす方針を批判しています。財政政策、そしてスコットランド独立の可否をめぐる労働党とスコットランド国民党との対立は、主要政党の公約が似通っている中で争点を際立たせる意味がありました。ところが、同時に、分権改革後もスコットランドにとって重要な政治権力の中心がエジンバラではなく、依然としてロンドンにあることを印象づける結果になっています。
無論、スコットランド議会を廃止し、分権改革以前の状態に戻すべきであるという意見はほとんどなく、また、スコットランドの独立を支持する世論も少数意見に止まっています。また、スコットランド政府の歳入の大半(77%)を国からの一括交付金として受け取る財政制度は分権改革以後も変化しておらず、その意味では分権改革によって行うことができる政策刷新の余地も限られていることにも留意しなければなりません。
現時点では、政策としてのアウトプットというよりもむしろ、政府が市民にとって身近になったことによって意思決定への参入、議会や政治家への関与が容易になったというプロセスの変化に、分権改革の成果があったと評価することができます。
筆者が滞在しているアバディーン市。花こう岩でできた建物が独特の雰囲気をつくるとともに、北海油田の基地として活況を呈している。 |
第二に、労働党、スコットランド国民党が議席を減らす一方、緑の党、スコットランド社会党など単一争点政党が躍進したことにより、スコットランド政治は多党制の時代を迎えることになりました。その背景にはいくつかの要因があり、主要政党がそろって警官、看護婦、教員の増員を公約に掲げていたことから政党間の違いがはっきりしなかったことや、先に述べた分権改革に対する不満が、スコットランドの主要政党に対する支持を失わせ、棄権や他党への投票という形であらわれたものとみられます。また、選挙前から労働党が第一党となり、引き続き自由民主党と連立政権を継続することが確実であったため、これに飽き足らない有権者が比例票では小選挙区票とは異なる単一争点政党を選択、投票しました(スコットランド議会選挙では小選挙区制と、少数党に有利にはたらく比例代表制が併用されています) 。すなわち、多くの市民は、基本的に労働党主導の政権運営を支持し、基本的な公共サービスが政府によって供給されるべきであるとする考え方をもちつつも、独自の選挙制度を最大限に活用してスコットランド政治を活性化させるための変化を生じさせたといえます。
グラスゴー市の中心部にあるドナルト・デュアー初代スコットランド首相(the First Minister、2000年に任期途中で急逝)の銅像。氏はスコットランド議会の現状をどのように見ているのであろうか。 |
また、今回の選挙はイラク戦争直後に行なわれたのですが、戦争の是非は主要な争点とはならず、また、各政党の議席数を見る限り、選挙結果には影響されていません。ただ、連日の戦争に関する圧倒的な報道の量が、市民のスコットランド政治に対する関心を奪うように作用したと見ることができるかもしれません。4月中旬に行なわれた直近の世論調査では労働党の支持が急増し、マスコミはこれを「バグダット効果(Bughdad bounce)」と表現していたのですが、結局、投票結果には影響しませんでした。
総じて、スコットランド議会は有権者によって消極的に支持されたと言うことができるでしょう。すなわち、基本的には労働党と自由民主党との連立政権が維持されつつも、分権改革の成果に対する物足りなさが50%を下回る投票率、そして単一争点政党や無所属議員の躍進という形で示されたと見られます。
それでは、現在のスコットランド政府は、発展途上のナショナル・ガバメントとして評価され、今後の発展に期待できるのでしょうか、それとも、偉大なローカル・ガバメントとして定着してゆくのでしょうか。今回の投票率に関する限り、スコットランド議会の49%は、2001年の国政選挙(58%)と、イングランドの地方自治体やウェールズ議会選挙(30%台)のほぼ中間に位置しており、まさにスコットランド政府の置かれている状況を象徴しているようにも見えます。スコットランド政府の今後を展望しつつ、理解を深めてゆくためには、2期目を迎えたスコットランド議会が、市民の期待にこたえる形でどのような活動をしてゆくのかに注目するとともに、中央・地方政府双方のレベルで多党制である他のヨーロッパ諸国との比較政治研究を通じて特徴をあきらかにしてゆく必要があると思われます。
(2003年7月17日掲載 イギリス アバディーンより)
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