本来デフレーション、あるいはその反対概念であるインフレーションは、通貨の収縮あるいは膨張に伴う名目的な物価変動を示す用語であるが、最近では物価下落・上昇と同義として使われている。以下ではデフレ下での企業の運動について資本・企業の循環範式を使って説明する。Gは投入する貨幣、Wは投入商品(Pmは生産手段、Aは労働力)W’は生産物、G’はその販売代金、すなわち回収額。
GとG’の間に明示的な時間を導入し、Gの時点をt0、G’の時点をt1とする。t0の物価をP0、t1の物価をP1とする。範式は製造業を念頭においている。
デフレ1)が企業の投資意欲を減少させるのは次の式が成立する場合である。
投入量・P0 ≧ 産出量・P1
50単位ずつPmとAに投入し、それぞれ1単位の価格(P0)が100であるとすると投入額は(50+50)×100=10000となる。生産過程を経て商品W’が生産されるが、それが110単位でt1、時点の価格がデフレによって90になっていたとすると回収額は110×90=9900となる。すなわち10000>9900である。
この不等式の要点は次のようである。企業が通常の活動をしても、すなわち100の投入量から110の生産物を生産しても、それを貨幣に転換してみると投下額は回収できないということである。
しかし、ここでは企業の質を示す指標は悪化していない(例えば売上高対利益率はデフレのない場合でもある場合でも同じなのである。1000/11000=900/9900)。しかし、入口と出口の比率、つまり利潤率は▲100/10000=▲1%になっている。ここにデフレの“恐ろしさ”が集約されている。
日本銀行の統計によれば、国内企業物価の値下がり率は2001年で2.4%、2002年で1.6%である。2年間で4%の下落である。だから示したモデルはやや極端にも見える。しかし、中小製造業の利益を見ると、近年は4%〜4.5%で推移している(『中小企業経営指標』2003年版)。つまり、利益の半分はデフレで消失してしまっているのである。さらに、2003年の『中小企業白書』が指摘しているように、デフレの注目すべき点は速度と波及経路であるが、卸売物価指数と工業製品平均価格の動きを比べると1998年以降、後者の下落速度が大きいのである(図1)。
図1 工業製品価格の推移(全規模製造業)
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〜下落が続く工業製品価格〜
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要するに、以前と同じ付加価値生産を行っているのに出口のところで計算してみると、投下額が回収できない。もっとも、t1の9900は、物価の下落を考慮すればt0の10,000よりも購買力は大きいのであるが、企業・資本の利益計算は名目でしか行われない。なんとなれば、資本の運働はG−G’、つまり貨幣に始まり、貨幣に終わるからである。こういう意味で資本主義は外面的である。
デフレが資本の活動に制約的に作用し、インフレは逆に促進的な作用をもたらす。資本主義にとってインフレは時には夢になるがデフレはいつも毒になる。
デフレへの対応を考える前に、利潤を増大させるための企業の一般的な努力について予備的に考察しておこう。範式でもt1時点で生産物が110でなく115あれば、収入は115×90=10350で、投下資本を上回る回収になるのである。古典的な考察によれば、ここでの企業・資本の努力は二つある。ひとつは労働日の延長である。日本では、不況が進化すると逆にサービス残業が増加し2)、過労死が増加する。労働日の延長は極めて原始的な手段であるが、単純であるだけに時代を超えて採用される。
もうひとつの方法は、生産過程における生産性の上昇である。古典的な経済学の視野にはないが、購買過程(G−W)でも販売過程(W’−G’)でも生産過程における生産性の増加に相当する工夫は様々ある。G−WやW’−G’の過程はいわゆるサービス業が関わりを持つ部面だから効率的なサービス業を持つこともここに含まれる。ITなどを自らが取り入れて効率化する、あるいはその部分を外注するなどという試みも同様である。
企業を競争に巻き込むことによって結果的に業界全体の生産性が上がるというように作用するのが、革新的な生産手段(高い生産力を持って生産設備)の導入である。
新しい機械の導入によって労働の生産性が上昇し、1労働日で生産される商品量は増大する。例えば、12個が24個になる。価格は半分でも良いのだが、市場価格より安く個別価格より高く売るのが普通である。
ところが、前に述べた労働日の延長もここで述べた生産性の上昇もひとつの問題を発生させる。それは、どちらの方法によっても生産物は多く生産され、その分だけより大きな市場を必要とするということである3)。古典派の経済学は製造したものは全て売れるというセーの法則を暗黙承認している。だから、生産物が増えることに格段の問題を見ないのであるが、現実的な資本主義の世界では市場の拡大はいつも大問題である。まして、デフレーションということは、市場が縮小していることを意味する。だから上に示した一般的な方法はデフレという環境下では使いにくいのである。もっとも、それは全体的な結果であって、個々の企業−資本の努力がそこに向けられないと主張するものではない。
デフレが一定期間継続するとしたら、運動の主体である企業・資本はいかなる行動をとるであろうか。循環範式を使って考えてみる。範式の示す資本の運動は次の三つの過程に分かれる。@G……W(Pm+A)の過程。これは購買である。APの部分。これは生産過程である。そして、BW’−G’の販売過程である。この三つの各過程でそれぞれデフレ対応策はとられる。
@ 購買過程
原材料の調達、つまりPmの価格を個別の努力で引き下げる。そのためのひとつの方法は、より安価な取引先に変更することだ。グローバル経済ということは、調達先の選択肢が広がっているのだから、その可能性は高まっている。しかし、それなりの能力も必要である。現実問題として、中小企業にとってグローバル調達は容易ではない。ある程度の数量をまとめねばならない。商社に依存しすぎればメリットは減るし、自前で仕切ることになればそれなりの知識と外国貿易のノウハウがなければならない。商品そのものの価格は安くなっても周辺コストが上昇してしまい、結局、高くついたという例もある。また、海外調達が全体的に促進されるということは、それだけ国内需要が減少することを意味し、短期的には国内の景気を悪化させ、デフレを悪化させる要因である。
調達先を変更せずにPo時点での値下げを要求する方法もある。しかし、Poの時にP1を個別に要求するのは一種の買いたたきであり、近隣窮乏化策である。値下げの価格交渉は企業間の交渉だが、中小企業の場合、買いたたくよりも買いたたかれる可能性の方が高いだろう。むしろ大企業との関係では、対応策が求められている。
中小企業900社について調査した中小企業金融公庫のレポート4)によれば、仕入価格は2003年から値上がり気味なのに、販売価格はDI(値上り−値下り)でみてマイナスが続いている。当然のことながら利益は縮小している。
これは、素材産業に大企業が多く、加工型産業に中小企業が多いことの反映でもある。同じことは図1にも示されているが、デフレは中小企業により厳しいのである。調達能力が弱く、価格交渉能力が小さい小企業ではことさら厳しい。
一般的に中小企業が採りうる対応策は2つある。ひとつは、調達・仕入れに関して中小企業が組織化することである。中小企業の組織化は古い課題だが、実践的には難しい課題でもある。政策主体の側から働きかけて業者を組織したり、組合を組成したりするのがよくあるケースだが、調達を組織化している例は多くない。中小企業の経営者は独立性が強く、調達こそ腕の見せ所と考え行動している人々が多い。
中小企業の組織化というと、同業者組合と並んで異業種組合も盛んである。しかし、後者は実利的な意味はあまりなく、情報交換と称する励まし合いの組織であることが多い。経営者は立場上孤独なのであるから、こういう会はもちろん意味があるのである。しかし、デフレ対応策として注目されるのは、共同仕入れのできる同業組合である。同業の中小企業が手を組み共同仕入れを志向することは対応策として有効だろう。『中小企業白書』(2003年版)によれば、事業連携活動は小規模企業程少ない(19.8%の企業が実施)。また、共同仕入よりも共同販売の方が多い。やはり、商品の販売・命がけの飛躍は小企業の方が重いのである。共同仕入れの目的は、事業コストの削減が第一位で、自社で不足するノウハウ等の補完が次、競争相手や取引先に対する地位の強化が第三位を占めている。共同販売ではこの第一位から第三位の順が逆になる。
中小企業の世界で他に注目される共同化には、共同生産、共同物流、共同受注、共同広告、共同情報化、共同研究開発がある。もちろん、どのタイプの共同化が盛んであるかは業界によって異なる。
中小企業庁の調査では、共同仕入れは営業利益率に有意にプラスであることが示されている。(図2)
図2 事業連携活動の効果
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〜事業連携活動は企業のパフォーマンスを向上させる〜
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また、中小企業政策としては、大企業による中小企業への価格転化、不公平取引の防止に努力することが期待される。最も、これは政策の課題でもある。
G−Aに関してはより困難な問題がある。いわゆる賃金の二重構造が指摘されている。表1は1992、1997、2001各年の常用労働者の月額給与をみたものだが、500人以上の事業所に比べて5〜29人の事業所の給与は61%〜56%の間にある。しかも傾向的に下がっている。つまり賃金の規模別格差は拡大している。
今、t1時点のPmとAの配分(有機的構成)を50:50としよう。Aの対価を50から48に切り下げればtoの投下額は9800になり、不等号は逆転する。しかし、現実的にはかなりの抵抗がある。Poの物価水準の時に賃金だけを切り下げることを意味する。それは搾取の強化である。働く人々への皺寄せでデフレを乗り切るという方向だ。もっとも、こうした方向は、常勤から非常勤雇用への切り替え、派遣会社の利用・子会社からの出向など様々な形で追求されている。『労働経済白書』(2003年度版)によれば、男性常雇は2001年の第3四半期から毎年減少し、翌年からは女性常雇も減少、2002年の第2四半期には男女合わせて100万人以上が減少、逆に男女ともに日雇が増加している。
労働力コストの恒常的な引き下げを追求すれば、その行き着く先は労賃の安い国々への生産拠点の移転である。労賃の差が大きく、かつそれが固定的であれば海外移転(資本輸出)は必然的な企業の行動である。しかし、それは企業にとって合理的であるにすぎない。社会的には次のような問題がある。
移転先に雇用を生み出す分、国内に失業が生ずる。
現地採用の労働者と資本輸出国からの派遣指揮労働者達の間の溝はなかなか埋まらない。言葉の壁、賃金の差という壁、数年で帰国する者とそこに定住する者の間の溝、以上の総合としての会社への忠誠心の格差等は残ったままだ5)。
現地の経済状況が良くなってくるに従って労賃は上昇する。もっとも中国のような低賃金の供給源が飛び抜けて大きい場合はその時期はなかなかやって来ない。
G−Aに話を戻そう。賃金を不当に切り下げることは公正という点で問題が多いが、それを強行すれば個々の企業の救いにはなる。しかし、不況の要因が消費不振にある時は、この方法は資本主義全体としては危険である。つまり、賃金の低下が一層の消費不振をもたらすからである。また、賃金を下げると社会のマジョリティである労働者家計の状況が悪化する。それは社会的に暗い世相をもたらし、社会の経済的活力を低下させることになる。
A 生産過程
生産過程では、いかに生産物を増加させるかについて様々な努力が行われる。このことについては既に述べたとおりだ。経営者の能力はまずここに発揮されねばならない。
労働力や原料は効率的に使用されねばならない。そのためには、効率的な生産システムが必要である。労働力の配置、機械の配置、そして両者の調和。別の言葉で言えば、装置と労働力の生産性の向上である。そして、生産性向上の努力は通常、次の二つの結果を生み出す。生産期間が短縮されること、そして一回転での生産物が増加することである。
生産過程での効率改善的努力はデフレのあるなしにかかわらずなされなければならない。それは、競争によって常に強制されているのである。しかし、敢えてデフレ対応策を考えれば、ここで有効なのは生産システムの効率化による生産期間の短縮である。toとt1 の間にtsをおき、そこでW’−G’に移れるとする。その時点での価格が95であれば売上高は10,450となる。デフレは時間で進行するのだから、販売の時期を早めることは有効である。
販売個数を増やすのも有効だが、デフレ下では問題もある。生産物が110はなく115になれば、115×90=10,350で経営悪化は避けられる。しかし、デフレの時は一般に市場は縮小しているのだから、そこで以前よりも多く売るということはより厳しい競争戦を覚悟しなければならない。5単位多く売るということは、市場規模が同じなら同業他社がそれだけ売れないことになる。つまり、これも近隣窮乏化策だが、この方法でしか資本主義の効率化は達成されないのである。場合によっては売るための値下げもあり得る。計算上は、90でなく88まで対応できる。しかし、それは安売り競争を意味しデフレはさらに進んでしまう。だから、値下げをしないでも売れる商品があればそれが最良である。いわゆる商品の差別化である。デフレに中小企業がどう対応すべきかという課題にミクロ的見地から迫るとき、多くの論者がこの差別化を主張するのは正当であり、自然である6)。しかし、差別化は言葉で述べる程たやすくない。商品にしろ、サービスにしろ差別的なものを作るには、それなりのコストが必要だ。つまり研究開発であり、その商品を消費者に知らしめるための宣伝も必要である。全ての結果はto時点での投入の増大になる。差別化に成功しなければ投入だけが増大する。だから差別化もリスクであり、ミクロ的方針として一般的に推奨しうるものではない。もちろん、資金的に余裕のある企業がデフレを利用して安価に技術開発をやっておくことはひとつの方法である。
B 販売過程
商品の実現が遅れれば遅れる程、デフレによるダメージは大きくなる。そこで、販路と販売価格の早期の確定が重要になる。取引先の不況のよる支払遅延も生じるし、意図的にそれがなされる可能性もある。
新たに販路を拡大しようとすれば、通常は販売期間は伸びるから、それはむしろ敬遠され、逆にデフレに際しては従来からの取引先に確実に販売するという保守的な姿勢が好まれる。たとえば顧客をランク分けし、Aランクの優良顧客を中心に事業を展開するなどの “戦略”はデフレ時代の産物である。
適正在庫以上の在庫を持つことはデフレの脅威を大きくする。在庫をできる限り圧縮し、できれば注文生産型に切り替えていくことは当然ながら有効である。
デフレは個々の企業・資本にとっては外生要因である。しかも、将来の見通しのつけがたい現象である。それは資本主義の病であるが、どの程度のもので、どのくらいの期間、継続するかを見極めるのは難しい。デフレには経済政策はほとんど無効で、結局のところ、デフレが行き着いてしまうまで待つよりない。
次のようにも言うことができる。インフレはなかなか止まらないが、デフレは構造的には必ず終わりがある。というのは、冒頭に示したような状況下で企業が生産活動を縮小させ続けると、まず在庫が減少し、続いて生産能力そのものが縮小する。逆に、現金を抱えてじっとしている経済主体が多くなる。つまり商品が少なく、待機している貨幣が多くなる。ある日、この待機貨幣が活動し現実に購買に動いた時、商品不足は露になり、デフレは一転してインフレになる可能性もある。もっとも、今日のデフレの発信源が多くの論者の主張するように中国を中心とする東アジアの安価な労働力であるとすればインフレが発火する時期はかなり後になるだろう。
デフレ下では、単純なことだが、貨幣を保有し、じっとしていることが有利である。だから、遊休貨幣の運用では短期が中心となる。誰もが流動性を好む。貨幣を長期に手放すことは忌避される。つまりG−G’の運動が生じにくいのだが、ここがデフレの最も恐ろしいところだ。だから、政策当局のするべきことと言えば、冒頭に示した範式の不等号が逆転するような手を打つことだ。このような局面で、貨幣数量説を信奉している論者がインフレターゲット論を主張するのは当然だろう。デフレが実質的なものであり、不況が実体的なものであるのに、名目的な手段に拘泥するのは滑稽である。通貨の発行主体である日本銀行がいくらマネーサプライを増やしても、それは諸銀行の日本銀行預金に積み上がるという型で還流するだけである。
デフレの問題点は、繰り返しになるが、計算上企業活動が無意味化することだ。人を雇い原材料を使い機械(モデルでは固定資本は無視している)を動かし、新たな生産物をつくることは社会的には意味のあることである。この意味あることが、企業にとっては意味がない。どうしてそうなるかというと、大方の企業は利潤原理で動いているからである。冒頭に示したように、利潤率はマイナスである。
周知のように、デフレ現象にはスパイラル性がある。企業が生産を縮小すれば、原材料と労働力の売れ行きは悪化し需給関係からそれらの価格は下がる。原材料が象徴しているのは企業物価であり、労働力の価格とは賃金である。賃金の低下は消費物資の販売高を下げ、これも需給関係から消費者物価を下げる。すると再び、範式の出口のP1が下がるのである。
既に述べたようにデフレには終わりがありインフレに転化する可能性もあるのだが、物価が上昇し始め企業が生産を再開しようとしても、長期に休業している企業には簡単ではない。国内生産が間に合わなければ、輸入に頼るよりない。そこで大幅な貿易収支の赤字が生じ通貨が下落し、いわゆる輸入インフレとなる。やがて国民的な財産である外貨準備は使い尽くされる。行き着く先は、生産活動の不活発な疲弊した資本主義であり、人々の多くは働く場所を失うのである。
以上のような最悪シナリオに陥らないために、とるべき方策は何か。問題は、社会的に意味のある活動が計算上の不利からなされないことであるから、生産活動のすべてが利潤原理で動かないように工夫することである。
デフレの克服は利潤原理の上に立つ組織にはできない。もちろん個々の様々な努力でミクロ的に不等号の逆転がなされるだろう。しかし、それは多くの場合、他の犠牲においてなされるのである。
そこで、生産活動が公的になされる部分を残すことが必要となる。現在は民営化の嵐が吹いており、まさに逆方向だ。しかし、デフレ下で民営化を進めることは危険なのである。資本主義は衰弱する。健全な社会主義という受け皿があればそれでも良いが、当面、社会主義カードは使えないのだから、人々のために経済社会の衰弱死は避けねばならない。
公的な部分とは、公営企業だけを意味するのではない。天下り官僚に支配された非効率な公営企業の肩を持つつもりはない。儲からないからといって、社会的に必要な生産活動が停止しないようにする工夫はいろいろ考えられる。
来るべきインフレ対策にもなるのだが、公的な資金で生活必要商品を買い、それをストックとして持つこと7)。デフレ赤字企業へ公的な補助を実施する場合、モラルハザードは警戒しなければならないが、企業の存続・生産の維持のために必要なときもある。デフレ倒産を防ぐための措置も必要だが、現状は逆である。市場原理主義を信奉する政策当局のしていることは、不良なものの市場から退出という名目の下での小企業の追い出しである。
金融政策については次のような要請がある。デフレ下では一時的な資金不足による経営難が予想される。いわゆる資本の前貸しでなく貨幣の前貸しが必要である。企業の業績が悪化したのではなくデフレによる資金不足であるから、これを貸し渋りなどで対応するべきではない。金融機関は短期運転資金の供給を円滑にしなければならない。もちろん、当局がそれを指導するのではなく、金融機関が合理的・中長期的に判断するべきである。
デフレ下では企業倒産は避けられないが、その際の連鎖を防ぐ措置も欠かせない。優良な中小企業をデフレから守り温存することは人々の利益になることであり、まさに“国策”である。
1) 継続的な物価下落がなぜ生じるかとなると、論争がある。デフレーションを狭義にとらえれば、通貨収縮による物価下落であり、それは名目的なものである。しかし、管理通貨制度下の現在において、このようなデフレが生じると考えるのには無理がある。インフレは紙幣を流通に押し込んでしまえば生じるが、その紙幣は代表金量を減らしてしまうので、そのまま流通に定着してしまうと考えれば、デフレは生じない。こうした考え方は、マルクス経済学の中に伝統的にある。(松本朗『インフレ、デフレのひ対称性と資産デフレ』、『経済』2003年7月号)
では現在の物価下落はなぜ生じているのか。現在のデフレは“異常現象”としてとらえられ、様々な原因が取り沙汰されている。デフレの議論に入る前提として、一般物価の下落といわゆる資産デフレは分けて考えておいた方がよい。その上でデフレの原因としてあげられるのは、グローバル化と技術革新だ。前者には、冷戦の終結、東西ドイツの統合、ソ連の崩壊などが含まれ、後者には情報・通信革命、および技術革新を誘発する規制緩和などが含まれる。他にも、中国の世界市場への進出を重視する見方もある。渡辺幸男氏は「国内完結の物づくりの構造が“東アジア化”している」(『中小公庫マンスリー』2004年、3月号の巻頭言)と主張する。これらの主張はいずれも名目でなく実質的な物価下落を説明している。しかし本文でも述べたように、資本・企業にとってはそれはどうでもよいのである。実質的な物価下落であれば、同一の価格でより多くの財が手に入るのであるから人々には好ましいことである。それをそのように認識できない。これも資本・企業経済の限界であろう。
2) 2003年版の労働経済白書には、2001年に行われた“連合”によるサービス残業の調査が掲載されている。それによれば、残業手当を支給された時間の割合が半分にも満たないと答えた人が20%以上になっている。そして驚くべきことに、働く側もサービス残業がやむを得ないと考える比率が40%以上もあるのである。日本では働いても賃金を払わないし、受け取らないということが常識化しつつある。過労死も日本では確実に増加している。2001年の12月に過労死認定の基準が緩和されたこともあるが、2002年度一年間で160人となり、この数は2001年度の倍以上である。
3) 生産性の上昇の帰結については経済学のひとつの古典である『資本論』にも多くの言及がある。(大月書店版、P417〜8、P422)
4) 中小企業金融公庫、『中小公庫マンスリー』2004年3月号、P29
5) 東南アジアに進出した日系企業を訪問・見学しての印象を少し述べよう。数百人の現地採用ワーカーの流動性は極めて高い。少し高い賃金が提供されればすぐに他の職場に移る。つまり、職場で技術水準が高まったり、新しい工夫がなされたり、新しい道具が作られたり、総じて新しい生産システムが開発されることは少ない。技術や生産システムは日本から持ち出した時以上になかなか進歩しない。
数百人のワーカーは、夕方の就業時間とともに送迎バスで帰宅する。日本人の指揮者達との交流はない。工業団地では、ただ空間的に企業が立地するだけで、団地内での人間的交流はない場合が多い。つまり同じ日系企業間でも工業団地内ではあまり付き合っていない。日本人は、家族とともに限られた専用空間に住んでいる。唯一の交流は、休日のゴルフという例が多い。一見、高給を受け取り、運転手付で高級住宅に住む彼らは幸せそうだが、多くの人々は帰国の日々を待っている。子どもは学校に行っている関係で現地化する場合もあるが、大人はなかなかそうならない。日本人学校に行っていれば子どもの世界も拡大しない。
6) たとえば、『月間中小企業』(2002年3月号)は「今とるべきデフレ時代を生き抜く経営戦略、その5つのポイント」(2002年6月号)を掲げているが、その二番目に専門特化戦略をあげている。この種の議論の多くは、デフレ下と言いながら一般的な経営改善戦略を列挙しているものが多い。そうなるのは、デフレの本質を把握に失敗し、それに対応して動く企業・資本の本質も把握していないためである。
7) 経済産業省の発表する在庫指数をみると、2000年(この年を100とする)から下がり始め2004年1月には89.3となっている。もちろん、この背景には企業の在庫管理技術の向上やオーダーメイドの進展があるが、ともかく日本経済の中の商品の量は急減している。他方で、数字をあげるまでもなく貨幣は豊富であるし、金利は超低位である。
(全国信用組合中央協会『信用組合』(51巻6号,2004年6月))
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