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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
水俣・札幌展に寄せて 社会、科学問いただす鏡 ―真実偽り企業を優遇 弱者切り捨ての構造―
小野 有五
 
 

 六月十三日まで、北大学術交流会館(札幌市北区北八西五)では、北海道で初めての水俣展が開催されている。広島・長崎の原爆が人類初の被爆体験であったとすれば、水俣病は、人類が初めて体験した大規模な化学汚染であった。それまで、私たちは、胎盤がすべての害毒から胎児を守ってくれると信じていた。そのゆるぎない常識すら崩れ去ったのである。

 水俣展のポスターに写っているのは、成人式を迎えた胎児性水俣病の患者さんだ。話すことも、歩くこともできずに二十歳になった彼女は、父親に抱かれたまま、その日だけ晴れやかな着物をまとい、ふしぎに明るい謎のような笑顔を残して、その翌年に亡くなった。

 妊娠すれば、女性は生まれてくるわが子のために、ふだんよりも栄養をとろうとする。漁民にとって、それはさらに魚を食べることであった。しかし、まわりの女性たちが重い水俣病になっても、妊娠した人だけはそうならなかった。胎児がすべてのメチル水銀を吸収してしまったからである。母親にとってこれほどの悲劇があるだろうか。

 その母親の心を思いやるたびに、水俣病という大量殺人事件を引き起こしたものへの怒りがわいてくる。毒を流し続けながら、最後まで知らぬ顔をして患者への補償を逃れようとした企業。それを助け、最も弱い立場におかれた子どもや母たちをないがしろにしてきた行政。また企業や国からの研究費を使ってチッソの責任を否定する学説を並べ立て、患者たちの救済を妨げた科学者たち。水俣病が初めて報告されたのは昭和三十一年(一九五六年)のことである。水俣病を過去のもの、すでに解決ずみの公害とみなす人も多いが、いまなお、水俣病で苦しむ患者があり、また、その多くは水俣病の患者として認定すらされていないのが現実である。年を追って、認定の基準が厳しくされてきたのだ。

 チッソという会社は、最も先端的な技術をもった日本を代表する企業であった。高度成長期を迎えていた国もそれに期待し、だからこそ真実を偽ってまで企業を守り、社会的弱者である漁民たちを切り捨てたのである。裁判に負け、多額の負債を抱え込んだチッソは、国や県からの援助で倒産をまぬがれる。それは今となっては日常となった、税金をつぎ込んでの不良債権の肩代わり、弱者としての中小企業や年金生活者の切り捨てを、まさに先取りするものであった。BSEやエイズ血清、最近では三菱トラックの問題でも、利益の追求だけを優先する企業と、それを監督すべき行政や科学者の姿勢が問われている。

 私たちはこれを「水俣病の構造」とよぶ。それは今ますます強固になって、私たちを脅かしている。魚に蓄積したメチル水銀は、数年にして猫を狂わせ、人を水俣病にした。しかし、それよりずっと濃度的に低い環境ホルモンや化学物質は、おそらく数十年、あるいは何世代かを経なければ、目に見える影響をもたらさないであろう。しかし、その影響が出たときには、もう取り返しがつかないのである。高レベル放射性廃棄物もまた、数万年後でなければ、安全なレベルにはならない。それほど長い間、この危険きわまりない物質を周囲への汚染なしに保存できる技術を私たちはもっていないのである。

 水俣病と長くつきあってきた医師、原田正純さんは、「水俣病は鏡である。この鏡は、みる人によって深くも、浅くも、平板にも立体的にもみえる。そこに社会のしくみや政治のありよう、そしてみずからの生きざままで、あらゆるものが残酷なまでに映し出されてしまう」と述べられた。水俣展の目的は、水俣病の鏡に映して、今の社会や科学のありかたを問いただすことにある。原田さんをお呼びしての北大でのシンポジウムのほか、水俣展では、患者さんや水俣病に関わる多くの人々の講演、映画などがあわせて企画されている。ぜひ北大の会場に足を運んでいただきたい。

(北海道新聞夕刊2004年06月04日)