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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
ポスト戦後政治体制の形成へ
山口 二郎
 
 

 本稿は、二〇〇四年の最初の号に掲載される予定である。そこで、少し長い時間軸で日本政治の方向性について考えてみたい。九三年の政権交代から十年余り、冷戦構造の崩壊からはおよそ十五年が経過し、そろそろ新たな政治の枠組みが形成されてもよいころである。軽武装・経済成長優先という戦後保守政治のパラダイムが形成、定着したのは、敗戦による民主化から十五年たった一九六〇年のことであった。戦後政治の大枠は五五年体制と呼ばれるが、政策の中身にいたるまで一つの枠組みが完成したのは、六〇年安保と池田政権の誕生によってであった。環境の激変によって一つの体制が崩壊してから、次の体制ができるまでにはこのくらいの時間が必要だということであろう。だとすると、冷戦構造の崩壊とグローバル化の全面展開という大きな変化によって戦後政治の大枠が動揺し始めて十五年たつわけで、いまは新たな政治体制が生まれる時期のはずである。

 戦後政治の枠組みは、政治家にも国民にも快適な環境をもたらした。対外政策に関してみれば、憲法九条は専守防衛の自衛隊とそれを補完する日米安保条約を正当化する根拠となった。つまり、憲法によって過度の軍事化は禁止されているので、日本の安全を守るためには日米安保が必要という理屈で、九条と安保は両立した。そして、日本は軍事的に積極的に動かないことこそ、アジアの安定に寄与するという都合のよい状況が続いた。また、内政面では、自民党の得意とする利益配分政策によって、地域間格差の縮小や社会の平準化が進み、国民は生活の向上を謳歌した。

冷戦構造の崩壊以後、この枠組みは内政、外交の両面にわたって動揺し始めた。冷戦終了後、日米安保はアメリカによって再定義され、日本を守るためのものから、アメリカの世界戦略を支える装置になった。また、資本主義経済のグローバルな展開の中で、日本国内の調和だけを志向した経済政策は次第に実行困難となっていった。

この十五年間、政治はこれらの課題にどのような答えを出すかを問われてきたのである。九三年の政権交代は五五年体制の左側が崩れただけであって、自民党と官僚が担ってきた政策の仕組みはその後も持続した。市場開放に対する農業対策に象徴されるように、むしろグローバリゼーションによる被害者に対して損失補填を行うという点に、政治家、官僚は新たなビジネスチャンスを見出すという逆行現象さえ起こった。だが、それから十年たって状況は大きく動き始めた。

 昨年秋の総選挙では、中曽根康弘、宮沢喜一、野中広務の各氏が引退し、土井たか子氏が社民党党首を退いた。この変化は、単に名物政治家が後景に退いたというエピソードにとどまらない。野中氏の引退と橋本派の混迷は、内政における開発主義や利益配分政治の破綻を象徴している。また、宮沢、土井、中曽根各氏の引退、挫折は、憲法九条をめぐる帰依と怨念の両面の風化を意味している。意図してかどうかは分からないが、小泉首相は、崩れかけていた戦後政治の枠組みの崩壊を加速するという役回りを演じている。小泉政権の唱える構造改革は作為としては成果を挙げていないが、競争原理の浸透や公共事業費の削減による地域経済の衰弱という事実としての構造改革は進みつつある。そのことが地方における自民党の支持基盤を破壊している。もはや自民党は公明党の助けなしには第一党の座を守れないほど落ちぶれた。

 また、対外政策に関しても、自衛隊のイラク派兵が決定され、戦後政治の枠組みは大きく変更された。憲法九条は事実上意味を失ったのである。結果だけ見れば岸信介や中曽根の宿願が達成されたように見えるが、小泉による転換の手法は岸や中曽根が目指していたものとまったく異なる。旧世代の改憲論者は、憲法改正を提起した上で、条文の改正が間に合わなければせめて集団的自衛権に関する政府見解を変更した上で、派兵を行ったであろう。しかし、小泉はイラク派兵に当たって、かつて改憲論者が「敗戦国の詫び証文」と見下していた憲法前文を引用してこれを正当化した。石破防衛庁長官のあのうつむいた視線からは、国是を転換するというダイナミズムは伝わってこない。もはや憲法は政治家がおのれの信念をかけて論ずべき崇高なテーマではなくなった。小泉によって意味を奪われた憲法は、改正の必要すらなくなったといってもよい。

こうした政策転換がそれを導く新たな理念とともに提示されているわけでもないし、また国民が自覚的に選択しているわけではない。対外政策に関しては小泉首相の開き直りと説明拒否の姿勢によって、経済政策に関しては構造改革という意味不明なスローガンとともに、戦後政治の枠組みは切り崩されているのである。

 そして、もはや自民党の中からはこうした転換に対抗する理念やリーダーは現れてきそうにない。自民党政治、あるいはある時期からは戦後政治そのものを担ってきた橋本派の混迷は、それを物語っている。石橋湛山や三木武夫のように、理念を貫くために反主流にとどまるという気骨のある保守政治家はどこにもいない。宮沢や野中が引退した後に残るのは、政治家という生業に没頭する二世、三世政治家と、戦争の悲惨さを知らない平和ボケしたタカ派の政治家である。

 このような重大な路線転換が、ほかに選択肢のない状態で、なし崩しに進められることは、日本の民主主義にとって取り返しのつかない打撃となる。ここで問われるのは野党の姿勢である。民主党の中にも、小泉が進めているような戦後政治の転換に賛成したい政治家がいるであろう。しかし、民主党が小泉政権を倒したいのならば、戦後政治の転換について小泉とは異なった方向での新たな枠組みを示すべきである。本来であれば、既成の政党の枠を超えて、ポスト戦後政治の理念を分水嶺にした再編成が望ましいところである。しかし、政党を作る作業は、実験室における物質の合成とは異なる。まずは、民主党が野党の役割と割り切って、強者優先の構造改革と無際限の対米追随に対する別の選択肢を提示しなければ、議論は前に進まない。

 今年は参議院選挙が予定されており、自衛隊のイラク派兵の展開しだいでは、小泉政権が窮地に陥ることもありうる。これから両三年は、戦後政治からポスト戦後政治への移行に向けた政治の再編過程が続くであろう。与野党を超えた政治家の奮起と熱い論争の展開を期待したい。

(週刊東洋経済2004年01月)