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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
民主党の課題と政策論議のあり方
山口 二郎
 
 

 民主党の岡田代表が無投票で再選を決めたものの、小沢一郎氏および旧自由党系との確執がうわさされ、政権交代に向けて挙党一致というわけには行かないようである。秋の政局では、郵政民営化問題や小泉政権の人事が大きな焦点になり、野党の出番は少ないであろう。党の内紛で見出しをとるというのは、これから政権を取ろうとする野党として失格である。小沢氏は、今までの失敗を真剣に反省し、自民党政治の打倒という大目的の達成を何よりも優先する決意を固めたはずである。ここで民主党に対する不信感を招くような行動をとるとすれば、政治家としての見識を問われるであろう。日本の政治を次の段階に進めるには政権交代が不可欠であり、政権交代を起こすには民主党が自民党を凌駕しなければならないのである。

 政権を取るために不可欠な重要政策に関して論争することは必要である。しかし、岡田-小沢論争の種になったのは、憲法九条と海外における軍事力行使という、今の日本にとってほとんど緊急の具体性がない問題である。こうしたテーマをめぐる論争にエネルギーを費やすのは、民主党の分裂を待望する自民党の思う壺であり、民主党にとっての自殺行為である。以前に本欄でも述べたとおり、憲法問題は落ち目の自民党が民主党の自滅を誘う格好の武器である。自民党からボールを投げられれば民主党も憲法論議をしなければならないことは確かだが、その際にはずるがしこさが求められる。

 いわゆる国際貢献と自衛隊の役割については湾岸戦争以来論争が続いているが、PKOへの自衛隊参加については広範な国民的合意ができた。アメリカがイラク戦争で泥沼に陥り、一極主義的軍事行動に代わる国連を中心とした集団的安全保障システムの展望はまだ見えていない。アメリカ大統領選挙ではブッシュの優勢が伝えられており、アメリカが多国間主義的協調の態度に立ち戻ることは、近い将来期待できないであろう。たとえば、今スーダンで起こっている大量虐殺に国際社会が介入するとしても、それはPKOという伝統的な手段を通したものとなるであろう。これに対しては、日本は従来の方針に則って協力すればよいだけの話である。PKOに参加する自衛隊員が自分や行動を共にする他国人を守るための武器使用については、集団的自衛権不行使という原則に基づき抑制的な解釈を取ってきた従来の方針を再考する必要はあるだろう。しかし、それは国家間の軍事同盟における集団的自衛権とはまったく別の範疇である。自民党がもっぱら日米関係を念頭に置いて叫んでいる集団的自衛権論議と差異化することは容易なはずである。

 岡田や小沢が語る自衛隊の武力行使という話も、具体性を欠いた理論的な問題でしかない。理論的な可能性について議論することが無意味、不必要だというのではない。私自身は、日本国憲法と国連憲章とは成立の経緯から強い結びつきを持っており、将来国連による警察活動が実現すれば、日本も憲法改正をしないでもこれに参加できると考えている。しかし、それには国連、とりわけ安全保障理事会の改革、アメリカの改心などいくつかの条件が必要である。この種の安全保障論議は、十年の幅で考えるべき問題である。

 二、三年後の国政選挙で政権の帰趨を問うという日本政治のタイムスパンを考えたとき、政権交代に成功した民主党にとってできること、しなければならないことを明らかにする必要がある。九条の改正や自衛隊の武力行使をともなう集団的安全保障への参加は、政権交代直後の民主党にとって実現できるテーマではない。いつ必要になるか分からない政策を真っ先に議論するというのは賢明な政党のすることではない。また、この夏の参議院選挙で示された民意も、決して憲法改正や日本の軍事的役割を拡大することを求めたものではない。この点は、たとえば蒲島郁夫氏の分析に明らかなとおりである。

 日本のみならず多くの国で、人々は広い意味のセキュリティに大きな関心を持っている。ただし、切実なセキュリティは、国際社会における軍事的なものではなく、社会のセキュリティである。雇用や年金など本来の社会保障が重要なテーマであることは言うまでもない。関西電力美浜原子力発電所の蒸気爆発や三菱自動車のリコール隠し、BSEに代表される食の安全問題は、工業であれ農業であれ、短期的なコストダウンのために安全確保に必要な措置をおろそかにし、かえって長期的な大きな犠牲や損失を生み出しているという同じような構図の事件である。グローバル化にともなう競争の激化の中で、セキュリティに対する十分な投資が削減され、社会経済システムは全体として巨大なロシアン・ルーレットの様相を呈するようになった。ドイツの社会学者ウルリヒ・ベックはこうした現象をリスク社会と呼んでいるが、各分野でリスクを管理するための政策が求められている。

 民主党が政権政党に脱皮するためには、こうした新しい政策的挑戦に応えることが必要である。そして、そのことは民主党に急速に増えた若手議員の能力を引き出すことと関連している。政治の世界に入ったばかりの政治家の能力を引き出し、党としての政策論議のレベルを上げることが急務である。自民党の場合、政務調査会の部会が若手議員を鍛える場となってきた。族議員には弊害もあるが、政治家のトレーニングの仕組みとしてはよくできたものであった。

 与党に比べて、野党の議員は暇である。暇をもてあまして憲法論議などの空理空論にふけるというのは、最悪の展開である。民主党の執行部は若手議員を専門分野に分け、政策面での宿題を出す必要がある。民主党には、既存の永田町・霞ヶ関に絶望し、変革を求めて政治家になった元官僚もいる。弁護士として社会正義のために戦った経験の上に政治家になった者もいる。それらの政治家からは新たな発想が生まれるかもしれない。そうしたまじめな政策論議が、国会における鋭い質問につながり、さらに斬新な政権構想につながるならば、野党の側にいても政権担当能力を示すことができるであろう。

 これから二、三年の間、与野党は今の体制のままで国会において対決し、次の選挙の際の判断材料を国民に提示することとなる。民主党は、政権交代に向けて争点をどのように設定し、政治家をどのように使いこなすかが問われているのである。

(週刊東洋経済9月21日号)