養老孟司氏の『バカの壁』(新潮新書)は、いまだに売れ続けているようである。グローバルな政治から身近な職場に至るまで、我々は皆バカの壁に囲まれていると不満を持ちながら生きている。もちろん、バカと思うのはお互い様で、人から見れば自分もバカの壁の一部ということになるのだろうが。
政治の世界でも、つくづくバカの壁を感じるこのごろである。アメリカ大統領選挙では、ブッシュの支持率が上昇し、ケリーとの差が開いている。パウエル国務長官がイラク戦争の口実となった大量破壊兵器を見つけることは断念したと公式に表明したにもかかわらず、誤った戦争を引き起こした張本人であるブッシュが大統領に再選される形勢である。先日、アメリカ、リベラル派の経済学者ロバート・ライシュ(クリントン政権の労働長官)のReason(理性)という本を読んだら、アメリカ人が世界情勢や国内経済について常識的に考えれば、民主党が勝つはずだと力説していた。私もライシュの主張にはほとんど賛成なのだが、結局多数のアメリカ人は考えたくないからブッシュを支持しているのだろう。
日本では、国民生活に直接深刻に関係するとも思えない郵政民営化が秋の政局の最大争点とされている。郵政問題の本質は、郵貯・簡保の資金運用にあるのであり、本当の改革はそれらの資金を杜撰に運用してきた無責任な官僚を断罪するところから始まるべきである。日本でも、考えたくない人々がたくさんいるから、小泉政権がまだ、ある程度の支持を受けているのだろう。
論壇においても、壁の存在を感じる。ブッシュの戦争を擁護する議論があってもよい。しかし、議論はすべて事実に基づいて行うというルールが守られなければ、論争は成立しない。戦争を擁護したメディアや学者・評論家は、パウエル発言をどう受け止めているのだろうか。保守派のメディアや学者は、進歩派のメディアや知識人がかつて社会主義を擁護したという前歴をことあるごとに非難している。では、自分たちはどうなのか。大量破壊兵器の脅威という見え透いた情報操作に踊らされて、戦争を肯定したついこの間の発言をどうするのか。このまま口をぬぐって知らぬ振りというのでは、自分たちに都合の悪い事実をすべて隠し、無謬性を貫いた社会主義体制の権力者と同じである。
バカの壁を嘆くのは簡単だが、嘆いてばかりでも始まらない。少しでも壁を崩す努力、人々にものを考えてもらう仕掛けが必要である。そんな気分で、映画「フォッグ・オブ・ウォー」を見て、教えられた。この映画はベトナム戦争時のアメリカ国防長官ロバート・マクナマラへのインタビューを元にした記録映画である。
彼は、一九六一年のキューバ危機を振り返り、世界は核戦争の寸前までいったのであり、核戦争を防いだのは偶然だったことを強調する。冷戦対立というバカの壁の中で、政治家や軍人が思いこみで行動したことが、地球を破滅の一歩手前まで押しやったのだ。そして、戦争は絶対に避けるべきだという強い信念を持ち、相手の立場に自分を置いてものを考える理性を持った指導者がいたおかげで、核戦争は回避された。
核戦争を回避したマクナマラは、ベトナムでは大失敗した。ベトナム人が民族自立のために闘ったベトナム戦争を彼は冷戦の構造の中で捉え、泥沼にはまったのである。ベトナムにおいては、彼も相手の立場に身を置いて考えることができなかった。それから四〇年、アメリカはまた同じ間違いを繰り返している。
バカの壁に囲まれて理性的にものを考えることは、実に疲れる作業である。時々、議論することがいやになる。しかし、マクナマラの証言にあるとおり、理性的思考によって人類は破滅を免れてきた。「アメリカ対テロ」というバカの壁の中で同じ愚行が繰り返されようとしている今、理性的な議論を投げ出してはならない。
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