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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
橋本派の凋落と自民党政治の危機
山口 二郎
 
 

 日本歯科医師連盟の一億円献金事件以来、自民党橋本派の混迷が深まっている。橋本龍太郎元首相の会長辞任のあと、後継会長さえ決まらない。先日の党、内閣の人事でも橋本派は徹底的に冷遇された。往年の田中派、竹下派(経世会)の権勢を知る者にとっては、無常観さえただよう光景である。私も今まで、金権腐敗の元凶として経世会を批判してきた。しかし、このようなていたらくを見ると、橋本派よしっかりせよと激励したくなる。

 経世会の政治には、腐敗、派閥政治など様々な弊害もあった。だが、経世会が自民党の屋台骨を支え、日本政治に責任を負ってきたことには、一定の評価が必要である。橋本派が抵抗勢力の烙印を押され、理念なき小泉改革に対して有効な反論や対案の提起ができない現状は、政党政治の危機でもある。この派閥は歴史的役割を終えたのか、あるいはまだになうべき役割が残っているのか、この問いはこれからの日本政治を考える上で重要な意味を持つ。

 経世会政治の功罪を整理すると、次のようになるだろう。功績としては、全国隅々にまで政策的恩恵が行き渡るような再分配の仕組みを整備したことがあげられる。かつて田中派は総合病院と言われ、あらゆる分野の政策に関して、様々な地域や業界の要望にこたえて公共事業、補助金、税制上の優遇、業界保護のための規制政策などを推進した。経世会は建設省、農水省などの官僚組織と二人三脚で、地域や業界に向けた政策を整備し、利益配分を行ったのである。その結果、農村部の生活も便利になり、建設業を中心に地方での雇用が拡大され、多くの人が中流だと思えるような平準化された社会が出現した。このことは、日本政治の一つの達成として評価しなければならない。

 しかし、功と罪は表裏一体である。経世会の政治家はボランティア活動家ではない。地域や業界の陳情を受けるとき、必ずコミッションを受け取った。実際、選挙や派閥の権力闘争には金が必要であり、政治家は地域や業界に対する恩恵の配分に対する対価を徴収していたわけである。そのことが金権腐敗政治を生んだ。また、経世会の利益配分政治は、官僚の権限、予算の拡張をともなっていたため、経世会の政治家は規制緩和、地方分権、予算配分の変更などの改革に対して常に抵抗するという役割に回った。経世会の発想は政策の供給側のそれであり、政策の効率化、無駄の排除といった納税者の発想と大きくずれていた。一九九〇年代以来グローバル化の進行やバブル崩壊などの大きな環境変化に対して、日本の政策がうまく対応できなかったことの理由の一つは、既得権にしがみつく官僚を与党の政治家が一緒になって後押しした点に求められる。

 小泉首相が就任以来橋本派を敵に回し、これを攻撃することによって人気を博してきたのも、経世会政治の持つ負の側面――腐敗や非効率――に対する国民の不満が鬱積していたことに起因する。実際、郵便貯金を利用した財政投融資の仕組み、その中の一部である道路公団による高速道路建設のシステムが限界に達し、根本的な改革を必要としていたことも確かである。小泉首相は、経世会と官僚の連合軍が営々と築いてきた日本の行財政システムが今日露呈している病理をさらけ出すという点では、大きな役割を演じた。

 昨年秋の自民党総裁選挙の時、経世会政治の破綻は既に明確になっていた。経世会政治は中選挙区を前提としたものであった。後援会や業界を固めて数万の票を取れば当選できるという仕組みであればこそ、経世会の政治家は選挙で強かったのである。しかし、小選挙区制においては、党のブランド、党首のイメージがものを言う。一般選挙民は地元のために働いた政治家に恩義を感じるのではなく、テレビで見た政治家のイメージに反応する。また、財政悪化が進む中、利益配分の原資も枯渇しつつある。かくして、経世会の若手は小泉ブランドに頼ることになり、経世会は分裂した。以来、小泉首相にとって自民党内には敵はいない。今回の党、内閣の人事も彼の自信の現れであろう。

 私の見るところ、郵政民営化は小泉改革における陽動作戦である。政治家やマスコミが民営化の是非という組織形態に関する議論に躍起になっている間に、日常的な政策形成において大きな変化が進行している。特に重要なのは三位一体の地方分権で、地方交付税や補助金の削減によって財政危機の地方への転嫁が進んでいる。(地方に対する税源移譲はこうした削減を埋め合わせるに十分なものではない。)こうした転換は、義務教育に対する国庫負担削減のように、実体的な政策の水準低下につながっていく。こうした重要な資源配分の変更について、国民に対して明確な理念も方向性も示されることのないまま、事実だけが進んでいく。このまま小泉改革が党内論議のないままに進んでよいはずはない。対抗する理念を持った反対派によって鍛えられることがないというのは、小泉改革自体にとっても不幸な話である。

 経世会政治は、日本社会における平等という価値を追求してきた。橋本派(あるいはこれと政策を共有する他の抵抗勢力も含む)の政治家は、そのことに誇りを持ち、罪の面を反省した上で、小泉改革に対抗する自らのビジョンを示すべきである。魚住昭氏の名著『野中広務 差別と権力』は、この権力者の内面に弱者に対する共感や差別に対する怒りが存在していたことを描いている。こうした政治家魂は今でも必要なはずである。

 橋本派にとって、総合病院という手法に戻ることはできない。個々の地域や業界の面倒を見るという意味での政治の必要性は低下している。しかし、高齢化、競争の激化などの趨勢の中で、社会保障、雇用、教育などに関して平等を確保することの必要性は従来に増して高まっている。腐敗や既得権に結びつかない形でいかに平等を確保するか。自民党で権勢を極めた橋本派の政治家が、小泉政治の中で負け組に回る経験をふまえ、この問いに対する答えを出すことを期待したい。

(週刊東洋経済10月30日号)