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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
人質殺害事件について
山口 二郎
 
 

 今回の人質事件に関して、罪のない若者を残虐に殺したテロリストを非難することは、あらゆる議論の前提である。しかし、アメリカの後についてテロとの戦いを続けるという政府の意思を確認することでこの事件を終わりにすべきではない。

 人質の救出に努力すると言った政府首脳の言葉には嘘はないだろう。また、交渉の相手が分からず、努力の手がかりもなかったのであろう。しかし、一連の政府の対応から「一人の軽率な若者のために日本の方針を変えることはない」という冷淡さを感じたのは、私だけではないはずだ。ここで問われなければならないのは、自衛隊のイラク派遣という日本政府の政策が、一人の日本人の生命を犠牲にしてまで貫徹するほどの価値があるのかという点である。

 イラク戦争の理由とされた大量破壊兵器は存在せず、この戦争が大義名分を欠いていたことははっきりした。イラクが戦争終結や秩序回復から程遠い状態であることも明白である。サマワでも自衛隊宿営地にロケット砲が打ち込まれ、現地の安全という自衛隊派遣の前提が揺らいでいることがうかがわれる。アメリカによる戦争を支持し、自衛隊をイラクに派遣したという日本政府の政策が本当に正しいものであったのかどうか、今は真剣に再検討すべき時なのである。しかし、小泉首相には、一連の対米協力がかえって日本国民に危険を招き寄せているのではないかという懐疑の念は存在しないようである。今回の人質事件に際し、自衛隊派遣を継続すると言明した時にも、若者一人の命を犠牲にしてでもこの政策を継続しなければならない大義名分について、国民に説明しようとする意欲に欠けていた。

 今回非業の死を遂げた若者を平和ボケと笑う人もいるだろう。しかし、国民の命運を左右する重要な政策決定において熟考することもなく、国民を説得するために自らの言葉を発することもないような政治家もまた平和ボケである。アメリカに追従さえすれば権力は安泰だという思考停止状態こそ、日本政府に横溢する平和ボケの中身である。

 自分たちの身の上に等しく降りかかりうる危険や災難を予防し、乗り越えるためにこそ、我々は政府なるものを持っているはずである。人間の生命を守ることは、政治の原点である。個人の尊厳よりも国家の威信を重視したい人々にとっては、犠牲者の発生にもかかわらず国策を貫いたというイラクでの結末は歓迎すべきものであろう。確かに、「人命は地球より重い」と唱えるだけでは、政治は立ちゆかない。しかし、それへの反動で、「国策は人命よりも優先する」という考えにこの国の権力者が転向するとき、我々はどのような生き方をさせられるのだろうか。国策に逆らった者の生命は救わなくても当然だという国にしてはならない。

(朝日新聞11月2日付)