目下の政局における最大の争点は、来年度予算編成において三位一体改革をどのように具体化するかという問題である。なぜ今地方分権が必要なのか、そしてどのような方向に分権を進めていくべきかを改めて考えてみたい。
従来の国から地方への財源再配分は、国土の均衡ある発展を旨とする日本的平等主義と密接に結びついてきた。今回の三位一体改革でも論じられているとおり、地方交付税と補助金がそのような財源移転の二本柱であった。こうした移転の仕組みは、都市と農村の間に社会資本や所得水準について大きな格差が存在していた時代には、大きな役割を演じた。地方における生活環境が整備されたことは、こうした財源再分配の成果である。
このうち政治においてとりわけ重要だったのが補助金である。地方交付税は、人口、面積など複雑ではあるが、一応客観的な基準に基づいて算定され、配分されたのに対して、狭義の補助金(国の責任で行う事業について費用を国が負担する義務教育費国庫負担金などを除いたもの)は、裁量的な経費であった。つまり、それらを配分する基準はなく、補助金は財源・権限を持った官僚の裁量によって左右された財源である。また、補助条件については厳しい統制が存在し、地方は全国画一の基準に合わせるために無駄を強いられることとなった。地方は霞ヶ関詣でをして補助金の陳情を強いられ、政治家はブローカーとしてあっせん、口利きに励んできたのである。裁量的補助金こそは、政治腐敗をもたらし、地方自治体の自主的努力や個性ある政策展開を阻害した元凶である。
今日、道路、下水道、学校など社会資本の整備はかなり行き届き、ハードの面だけから見れば国土の均衡ある発展は達成されたと言ってよい。地域開発の時代はほぼ終わった。問題は、こうした整備の過程で地域経済が公共事業依存体質に陥り、中央からの財政的てこ入れに対する依存度が一層高まっているという点にある。また、それと並行して、ダムや農業基盤など一部の社会資本には過剰な投資が続く一方で、たとえば介護問題のように少子高齢化という社会変化に起因する新しい政策需要に対しては政策的供給が追いつかないというミスマッチ現象が見られる。財政面での地方分権とは、開発主義の終了に対応し、内発的な発展の地域経済を作り出す、社会構造の変化に対応して政策に関する需要供給のミスマッチを是正するという目的のために必要なのである。したがって、補助金削減の眼目は、地方に対して政策形成の裁量を広げることにある。これが実現すれば、日本の政治は浄化され、行政の無駄も大幅に削減できるに違いない。こうした改革を、自らの失業問題としてしか捉えない中央官僚や族議員のなんと身勝手なことか。
補助金削減を進める上で、義務教育費国庫負担のように額の大きなものをまず削減の対象にすることもやむを得ないことかもしれない。補助金廃止の本丸はあくまで裁量的補助金にあるのであり、今回の削減はあくまでその第一歩に過ぎない。この際、補助金行政がもたらした害悪を国民に知らせ、補助金廃止こそが日本を変える鍵であることを、地方の側から強く訴え、補助金改革をめぐる政治的対立劇を国民に対する政治教育の素材としなければならない。
三位一体改革を進める上でやっかいなのは、財務省の存在である。財務官僚は歳出削減につながることなら何にでも賛成する。その意味で、三位一体改革の背後にも財務官僚の思惑が潜んでいる。財政再建は避けて通れない課題ではあるが、財務官僚の、自らの責任を棚上げにした財政再建至上主義が、かえって財政改革に対する地方の協力をむしろ遠ざけているという現実がある。
地方交付税特別会計の累積赤字が四〇兆円を超え、交付税改革が必要なことは明らかである。しかし、こうした惨状をもたらした張本人は誰なのか。先ほど私は、地方交付税は客観的な算定基準に基づいていたと述べたが、実はバブルがはじけた九〇年代以降、地方交付税は大きくゆがめられた。バブル崩壊後の景気対策において、中央政府は地方に対して起債(自治体の借金)による単独事業を奨励した。そして、その借金の償還についてはあとで地方交付税によって補填すると約束したのである。本来ナショナルミニマムを保障するための地方交付税において、そのルールが恣意的にゆがめられ、当座の景気対策の道具とされた。その結果、多くの自治体で単独事業によるハコモノづくりが進められ、借金残高がふくれあがった。これは当時の大蔵省と自治省が敷いた路線の帰結である。
今になって、中央政府は地方財政の放漫を非難し、交付税削減や市町村合併に躍起になっているが、あらゆる改革の前に財務官僚が自らの不明を恥じるのが先ではないか。谷垣禎一財務相は地方交付税が七、八兆円過大に計上されていると述べて地方の猛反発を浴びたが、こんな不見識な話はない。今まで地方交付税を野放図に運用してきて、今になってナショナルミニマムの確保さえできなくなるほど交付税を切り込むというのは、財務官僚の無責任、場当たり主義の現れでしかない。
もはや右肩上がりの時代ではないことを、自治体も国民も理解している。多くの自治体において職員給与や議会など見えやすい所から減量経営の努力は始まっている。財政面での分権を求める地方の声は、財源確保を要求しているのではないと私は理解している。全体として歳入は減っていく。その中で資金を有効に使うためには分権が必要なのである。今後中央から受け取る移転財源が減っても、補助金の縛りがなくなり、自治体の工夫によって自由にその金を使えるようになれば、少ない予算で同じ水準の政策を維持できるはずである。
地方分権は財政再建の便法ではない。地方分権は、ローカルデモクラシーの政策能力を向上させ、その結果として財政面での合理化も進むのである。今まさに、三位一体改革について筋の通ったリーダーシップが求められる。
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