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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
三位一体改革に現れた日本政治の問題と希望
山口 二郎
 
 

 三位一体改革と呼ばれる財政面での地方分権――税源の地方移譲、補助金の削減、地方交付税制度の改革――こそは、日本の政治を変える切り札である。これが実現すれば、財政の無駄を省き、政治腐敗をなくし、住民の需要に見合った政策の供給を可能にするといいことずくめの結果が期待できる。むろん、制度改革がそうした結果をもたらすためには、住民の意欲、努力が不可欠の必要条件であるのだが。だからこそ、旧来の政治や行政の秩序を守りたいと思う官僚や政治家は三位一体改革に猛烈に反対した。改革をめぐる一連の動きから、日本政治の深い病理が見えてくる。

 第一の病理は、政党政治の不在である。自民党の最高指導者である小泉首相が国民に訴え、先の参議院選挙でも公約した三位一体改革について、与党の政治家は寄って、たかって骨抜きを図った。これはまともな政党政治ではない。政党政治とは、基本的な政治理念や政策を同じくする政治家が党を作り、国民に約束した政策を実現することによって成り立つものである。今の自民党は政党政治を破壊している。小泉改革対抵抗勢力という芝居にうつつを抜かしていては、国民に愛想をつかされる日も近いであろう。

 第二の病理は、官僚支配である。この病理は、権限・財源の地方移譲に抵抗する各省にも、地方分権を財政赤字の責任転嫁としてしか考えない財務省にも当てはまる。

 前者について、日本において政策はすべて国土交通省、文部科学省など政策を作る中央省庁、すなわち供給側によって規定されている。この供給の仕組みの骨格は明治以来の強い継続性を持っている。近年、少子高齢化、日本的経営の崩壊など社会経済側が大きく変化し、それにともなって介護、若者の雇用対策など新しい政策需要が急増している。しかし、供給側が自らを守るために政策の供給を続けるために、需要との間に大きなずれを生み出している。介護施設や保育施設に入所待ちがある一方で、車の走らない道路、船の入らない港を造るといった過剰投資が行われる。こうした政策に関する需要供給のミスマッチを解消するためには、地方分権が必要である。身近な自治体で政策を作れば、住民の需要がより的確に反映されるからである。

 後者の財務省の責任も重大である。近い将来財政再建のための負担増も避けては通れまい。しかし、国民が納得してこれに協力するためには、問題をここまで悪化させた理由を突き止め、その責任の所在を明らかにすることが不可欠である。財務省は地方分権を、赤字負担の地方への転嫁の手段として利用しようとしているように思える。たとえば、地方交付税に無駄が多いというキャンペーンを張っている。しかし、バブル崩壊後、地方単独事業による景気対策を推進するため自治体に借金を奨励し、その償還は地方交付税で面倒を見ると言ったのは当時の大蔵省と自治省だったではないか。財政基盤の弱い地方自治体を悪者に仕立て、交付税の削減をねらうという安易なやり方を認めてはならない。

 地方分権とは、地方に自前の権限と税源を与えることによって地方の民主主義を強化することを意味する。財政赤字の累積の中で、人口減や高齢化という難題に直面する今、このような分権は不可欠である。従来の集権体制においては、中央の予算は地方にとっては他人の金であり、だからこそ地方にもらい、たかりの感覚が定着したのである。そして、その結果が今日の財政状況である。公の金を自分たちの金と認識し、大切に使うためには、身近な政府で税を集め、予算を決定できる仕組みが必要である。

 多くの自治体首長や職員は、時代に厳しさを認識した上で、身を切る改革の覚悟のもとに分権を要求している。三位一体改革を骨抜きにした官僚や政治家には、危機感が欠如しているのである。この問題の決着に、小泉政権の本質が現れるといっても過言ではない。

(山陽新聞12月5日号)