昨年12月ロンドンで発行されている著名な経済雑誌(The Economist)が北海道に関する記事を載せ話題になった(2004年12月11日号)。欧米の有名雑誌に日本の地方の記事が載ることはめったにない。私の記憶では北海道拓殖銀行の破綻以来のことである。
日本人は世界地理に関しては最も良く勉強している民族だと思う。つまり、欧米人はあまり日本の地理を知らない。まして日本の最果て北海道のこととなるとなおさらである。
今回の記事は、「甘やかされている辺境の地」ということでタイトルは刺激的だが、よく読んでみると自然の美しい住み易い地域とも(掲載された写真は丹頂鶴の姿)紹介されており悪い印象だけではない。東京駐在の特派員が駆け足で取材したのだから、多少の誤りがあっても仕方がない。取材の動機は、小泉政権の地方切捨ての実例ということだから、“ひどい目に遭っている”事実を書いてもらうことはむしろ歓迎だ。今後は、グローバル時代にふさわしく、北海道が世界に発信される機会を増やさなければならない。次の機会までに、甘やかされた坊やから自立した青年になっているようにするのが北海道の課題である。
2003年の秋から日本経済には薄日が射した。いわゆるCD景気だ。Cとはチャイナで、中国向け輸出が伸びた。中国はここ数年、高成長を続けているが、日本もこの恩恵を受けた。Dはデジタルで、この方面の製品の売上好調を反映して設備投資が伸びた。ところが、これらの影響をほとんど受けなかった地域がある。それが北海道だった。2003年4月の各地財務局の発表では各地が↑印であったのに北海道だけが→の「下げ止まりつつある」の判断だった。
北海道の遅効性は以前から指摘されていた。景気がテイクオフする際には最後に地面から離れ、悪くなる際には最初に着地することから“ジャンボの後輪”と言われて久しい。しかし、今回は事情が違っている。しかも悪い方に向ってだ。ひとつは、日本経済に占める北海道経済の重みが質量ともに低下し、とてもジャンボジェット機には見えないことだ。ここで量といっているのは、北海道のGDPが全国比で3.5%程度に縮小していることに象徴されている。また、質とは北海道経済の存在意義が低下していることだ。
北海道にある産業の多くが日本経済にとって不可欠であるなら量的にはともかく質的重要性を主張できるのだが、残念ながらその度合いはむしろ下がっている。
そしてなにより重大なのは、全国に少し遅れて景気回復過程に入るという遅効性さえもが疑わしくなっていることだ。実際の航空機にはありえないが、後輪を地面に残したまま日本経済全体が離陸してしまう“危険”もあった。
もっとも、北海道にとっては幸いだったかもしれないが、離陸したかに見える全国の景気も、短期間に失速してしまった(2004年秋以降)。つまり、ジャンボ機は再び地上に降り、今現在では後輪の上に乗っている。そこで北海道経済の課題は次の離陸のときには置いていかれないように準備することである。これも北海道にとっては幸いだが、2004年秋からの景気後退は大方の予想とは違って長引きそうなのである。つまり、北海道は時間稼ぎができるのである。
世の中には、構造不況教信者という人々がいる。経済の具合の悪い原因を構造問題に帰する人々である。今日の不況が単に循環性のものではないという一点では合意するが、基本的にこれに組することはできない。最も困った点は、時と場合によってこれらの論者の問題とする「構造」が異なることだ。規制緩和であったり、財政危機であったり、はたまた地方分権やグローバリズム対応だったりする。行政改革も不良債権も構造で、そしてついに最近では民営化、特に郵政事業の民営化が構造だと主張している。しかし、日本のデフレと長期不況が郵政事業の民営化によって解消されるとは思えない。どう考えてもその筋道がみつからないのである。しかし、大方の国民は首相のカッコ良さと構造改革という念仏に幻惑されている。
日本の不況が長期化しているのはひとつの大きな背景といくつかの理由がある。大きな背景とは資本主義が成熟しているということである。それは大人になれば背が伸びないのと同じである。成熟の仕方は各国様々であり、成熟の時期もそうである。さらにこれ以上の成長を止める“構造”に環境問題がある。これを概念的に書いたのが図1である。タテ軸は世界のGDP総計、ヨコ軸は歴史的時間で画面に実線で資本主義経済、破線で社会主義経済の発展経路を示した。詳しい説明は他に譲るとして注1)、図の要点は“将来に向けての人類の出口が狭い”ということである。その主な原因は、社会主義の失敗、資本主義(特に日本)の停滞、協同組織運動の停滞、そして環境制約線の下降による成長制約である。経済が成長すれば、よほど気をつけない限り世界的な規模で環境は悪化し悪くすれば絶滅問題が生じる。CO2問題のように、どこかの国が排出し続ければ、他の国はその分成長を制御しなければならない。
長期不況の理由としては、所得配分の問題、新産業の未発達がある。この数年、大企業の決算は良好であるが、その主要な要因は売り上げ増ではなく経費減であり、その内容は固定費としての人件費の削減である。つまり、かつて佐高信氏が主張した社富員貧(会社は金持ちだがそこの社員は貧乏)が再びこの国で生じているのである。図2は、日、米、独の三国の労働分配率を示したものである。2000年からの日本の低下は目立っている。
総需要の6〜7割は消費であり、消費は人々の所得が決定するのだから、人々が豊でない消費回復はない。その分を輸出で売ってしまえばよいというのが日本経済が以前から使ってきた手段だが、これにも日本の生産性の低下と円高という壁に阻まれつつある。
もうひとつの原因としてよくあげられるのが新産業の不活性だがこれについては本稿ではふれない。
今ではあまり評価されなくなったが、マルクス経済学の遺産のひとつに「経済の寄生的構造」というのがある。寄生という言葉は寄生植物、寄生虫などと使われるが、他の何かに吸着して生存する様子を言う。さて、寄生性の反対語は創造性である。実は資本主義が発展した内的原動力はこの創造性である。人々を自由にし、利潤という目標に向って障害なく進めるように解き放った事がすべてであった。このことで人々はあらゆる方面で創造性を発揮してきたのである。ところが、この資本主義にも内在的な問題があった。それは、あまり創造的でない部分が創造的な部分に寄りかかって生きていくという傾向である。資本主義の初期にはこうした傾向はあまり目立たなかった。階級対立という問題を抱えつつも、資本主義が社会主義を上回って成長し続けたのは創造性が寄生性を凌駕していたからである。私達は、ちょうど逆の結果が旧社会主義国で生じたことをみている。生き残った社会主義国である中国のスローガンが改革解放であることは象徴的である。
ところが資本主義経済の成熟とともに寄生性が社会の表面に現れる。それがある限界を超えると経済は成長しなくなる。寄生性が世界市場を舞台に最高度に展開したものが帝国主義・植民地体制であるというのはロシア革命の指導者かのレーニンの主要な論点であった。ここではある国が他の国に寄生する。少数の国が高利貸し国家となり、他の国は下請け生産国になる。そして、帝国のイスを列強が争い、ついには世界戦争になる。この不幸にして二度も現実となってしまった最悪シナリオの根源に寄生性があったのである。そして、社会主義は崩壊したのだが、資本主義の寄生性は“健在”でむしろ深化しているように思われる。
今日でも寄生性は様々に展開している。職場の中でもそれはある。多くの日本の職場を観察している太田肇氏は“仕事をするフリをしているぶら下がり族”の存在を発見している注2)。働かない上司、働かない部下への不満は日本中にある。無数の会議のどれだけが本当に創造的なのか。書類の上の無数のハンコのどれだけが本当に必要なのかを考えてみるとよい。さらに企業が企業に寄生するというケースもある。中小企業に大企業が寄生するという日本的な下請構造もある。また、途上国の貧困は解消していない。
寄生性は経済現象なのだがそれは進行して社会現象・文化現象になる。もちろん政治・行政の分野にまで及ぶ。いったん、こうなってしまうとなかなか創造的な社会への復帰は難しい。そこで、なんとか経済現象に留まっている間に流れを止める。これが真の構造改革である。
経済の様々な分野で創造性を発揮し寄生性を排除する。これがスローガンなのであるが、北海道に適用したら何ができるのか以下に考えてみよう。
創造性の発揮とともに重要なのは寄生性の排除なのだが、こちらの方は別の機会に譲ろう。
創造性に関してここでは「三つの立つ」を提案したい。ひとつは自立である。北海道は依存経済であるとよく批判される。言い古されたことだが域際収支は2 兆円の赤字であり、その分を中央財政に依存しているのだが、これがなかなか難しくなっている。もはや自分の足で立つより仕方ないが、問題はそのタイミングだ。
中央政府は、明治政府以来の国土政策としての北海道開発政策をやめようと考えている。北海道開発庁の廃止はその象徴である。現に開発予算は年々減少し、かつて一兆円あったものが平成17年度は7500億円である。こういう状況下で、北海道の側から自立を口に出してしまうのは作戦として良くない。またタイミングも悪い。国が地方を見捨てる口実を与えるようなものだ。そこで、自立のために必要な事項を示し、そのためには公的な予算がどれだけ必要かを示し、国と地方との分担をはっきりさせることである。
次の立つは、目立つことである。地方のための予算が全然なくなった訳ではない。それは少なくなったのだから、その獲得を目指して地方間の競争が生じる。それに勝つためには目立つことが必要である。目立つ事例に共通するのは、北海道発で全国初であるということだ。
しかし、この目立つをやみくもに行えばよいのではない。そこには自ずと規範がある。ここに第三の立つがある。それは、日本の役に立つということである。北海道は環境の保全・保護という点で常にリーダーであった。また、これからは将来の日本を支える新産業の創造という面で、従来型産業が少ない分、有利である。
以上を総論として北海道の課題を個々に考えてみよう。
北海道の未来を支える産業として期待されているのは、次の三つである。つまり、農林水産業、観光業、そしてハイテク・IT関連を中心とするニュービジネスである。
農林水産業については法形態の導入を促進するべきである。食の安全や食料自給率など利潤原理にすべて任せては危い面もあるのは事実だが、後継者不足の深刻さを考えれば、能力、意欲のある人々のこの分野への新規参入は不可欠である注3。もちろん、農村コミュニティを守るための様々な慣習・組織を無視することはできないが、新規参入者に“自由”を保証することは、創造性の面から重要である。建設技術協会が主催した新規参入農業法人の報告会では、農地取得が様々な障害にあって困難なこと、農家なら得られる補助金・低利融資が得られないこと、そして系統農協を利用できないことによる販路確保の困難性など、いずれも根本的な問題が指摘されている(北海道新聞、2005年1月22日付)。
北海道は、全国程ではないが、農業の放棄が続いている。放棄地は数年で草地に、さらに原野に戻るが、こうなると復元は難しいので草地に留める措置が必要である。後継者問題について重要なのは教育である。農業高校の充実(施設、教員)、農科系大学・学部の授業料の減免などを考慮すべき時に来ている。また、新規に農業に参入する人のためのオリエンテーション、参入者の知識・職歴などを考慮した教育コースなども用意されねばならない。こうした措置には国の予算を必要とするが、それを要求するためには日本の食料自給率は北海道が守るという旗を掲げる必要があろう。
観光については、大きな期待がある。JTBの調査によれば北海道は“行ってみたい観光地”の第一位である。しかし、実際の観光客数は第三位である。距離のハンデ、運賃コスト高などを克服するには、人々に安らぎを提供する諸要素の質の向上が求められる。国内観光の将来のあり方は滞在型と言われて久しいが、その内容についてはまだ試行の段階である。相変わらず一泊二日の慌しい旅行が一般的だが、長期滞在するためのメニューが工夫されねばならない。
観光に関する大問題は、増加し続ける外国人観光客への対応である。特にアジアからの顧客にどう対応するかである。国際観光振興機構が行った日本のどこを訪れたいかについてのアンケートによれば、北海道は台湾と香港で第一位、韓国と中国で第二位である。しかし観光地の一部では、彼らと日本人観光客との間に摩擦が生じていることが伝えられている。施設によってはこれを恐れて“お断り”を出すところもある。外国人客に最低限のマナー、日本の慣習等を事前に学習してもらうことは必要である。外国人にとっても、ただ景色を鑑賞し食事を楽しんでいくだけでは日本に来る意味は半減しよう。同じことは私達が海外に出た場合にも言えるが、その国の人々と少しでも交流することは観光の深みを増すのである。
新産業については大学発のベンチャーに期待が集まっているし、現に北海道では一定程度の進展が見られる。これらについては、ここで詳しく論じられないが、大学発ベンチャーの中には株式公開も夢ではないところまで来ているものもある。
北海道は日本に先駆けて様々な分野で創造性を発揮するべきだが、その際、方向性として二つの確認をしておこう。
4)北海道エンパワーメント研究会「旭川市中心街の事業所の経済活動に関する実態調査」、平成16年6月、(財)北海道開発協会。
環境を重視する。いかに創造的な試みでもこれに抵触する試みには慎重であるべきだろう。食の安全なども同様である。もうひとつは平和である。苫小牧東部地区の利用に関して米軍基地の誘致などの提案も一部から聞かれたが、やはり目指すべきは平和への貢献であろう。環境と人々に優しい平和な北海道こそ不変のスローガンである。
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