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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
協同組織金融機関の現代的意義
濱田 康行
 
 
 
 はじめに

 昨年の11月26、27の両日、札幌であるシンポジウムが開催された。それは、「協同組織金融機関の現代的意義とガバナンス」と題し、協同組織金融機関の関係者が一同に会し、各組織の持つ諸問題を協同組織という共通土俵の上で議論しようという試みであった。

 数字の上では成人人口の4分の1は何らかの形で協同組織の組合員であるというのが日本の現況だが、それはまさに形式・うわべだけのことで、各組織はやや希薄化している。こうした傾向の中で各組織とも組織強化の努力をしている。しかし、協同組織人が集合して、共通の問題を討議するという場はこれまで設けられてこなかった。欧米等のように、協同組織間の連携が当然のこととしてあり、数年に一度は大きな会が開かれる現状を見ると、日本の状況はやや遅れているようにも見える。

 こうした状況を少しでも打開しようと、このシンポジウムを発案し各組織に呼びかけたが、そこで、ある事実に突き当たった。それは、各組織間が案外に疎遠なことであった。信用金庫と信用組合と言えば歴史的にはひとつであった組織であり、親近感があるとみていたが、実はそうではなかった。農協組織も協同組織の金融機関として重要なものだが、他の組織とはほとんど連携がなかった。

 存在意義

 日本で初めての試みということでもあったので、テーマは各組織共通のものを探し、その結果、現代的意義とガバナンスの二つを掲げることにした。前者は、発達した資本主義の段階で経済主体としての協同組織が必要なのかという、よく聞かれる問いにどう答えるかである。今日では資本主義的市場主義への万能信仰が隆盛であり、協同組織など不要というのはかなり多くの人々の本音なのである。協同組織に属する人々が議論するのだから、不要論を肯定することはないにしても、それには積極的な存在必要論を打ち出す必要がある。協同組織が過去と同じように現代にも将来にも必要だと言うなら、どうしても現時点で答えておかねばならぬ問題がもうひとつある。それがガバナンスという後者の問いである。周知のように、この10年、協同組合は不祥事続きであり、世の中の信頼を得ているとは到底言えない現状にある。戦後日本経済の大激震となった金融危機の引き金を引いたのは1995年に発生した信用組合の破綻であった。以来、信用組合は疲弊の一途を辿り、組合数は半減した。

 信用金庫も無傷ではなかったし、農協組織の不良債権も各地で取りざたされた。なにより、住専事件で世間に与えた悪い印象は未だぬぐい切れていない。

 今回はテーマが金融であったため参加呼びかけをしなかったが、生協組織も大いに傷つき、評判を落とした点では同じである。どう見ても、世間は協同組織をよい目で見てくれていないのだが、そのひとつの原因は、協同組織の統治機構が外部から見てわかりにくいことにある。

 これがいわゆるガバナンス問題である。株式会社については株価という外部から見てわかり易いモニター指標があるが、協同組織ではこれに相当するものがない。株価が形成されない点では非公開・未公開会社も同じであるが、彼らには株主が存在し、これへの情報開示(ディスクロージャー)は義務付けられている。協同組織にも組合員がいて総会もあるのであるが、“組織のゆるみ”もあって“曖昧”なのである。総代会が事実上機能していない協同組織が多くあることは否定しようもない。破綻した信用組織を見てみると、多くのケースで組織上の問題が見られるのであり、存在意義が認められたからといって、自らの統治をどうするかを外部に示すことはまさに存在の条件になっている。

 農協金融

 シンポジウムでは、以上の二つの主要議題をめぐってそれぞれの立場から多くの討議がなされたが、本稿では農協の金融事業に限定して議論しよう。1)

 2002年の農協法の改正によって農協の事業の中での金融事業の位置づけが変更された。つまり第一位の地位を降りることになった。これまで主要な事業の中でも“いの一番”の地位を営農指導事業に譲ったのである。そして、これに伴って、信用事業は従来型の三階建て組織から、二層構造のJAバンクとして再編されつつある。

 これまで、信用事業は農協事業の稼ぎ頭であり、ここで上げた利益で他の事業を支援する資金を捻出してきた。こういうことがごく普通にできるのが協同組織の特徴だが、もうひとつの背景は信用事業が“いの一番”に位置づけられていたことがある。それは、一家の主としての地位にある者が、他の家族構成員の扶養をする義務を負うのと同じ発想だろう。

 ところが、信用事業はその地位を降りた。それはなぜか。ひとつは金融界共通のことだが、貸出先が伸びず収益が低下したことである。これに、超低金利という利鞘を取りにくい全体的状況が加わったのである。

 表1は農協の三事業の収益を見たものである。1997〜2002年の6年間でみると、信用事業収益は1999年がピーク(それまで増加というより横ばい)、その後急速に低下している。費用を差し引いた利益でみても5年間低下傾向にある。この間、預金が増えていることを考慮にいれれば、信用事業の厳しさがうかがえる。これに対して共済事業は横ばい、購買は減少しているが、どちらの収益も信用事業には及ばない。

 預金と貸出

 預金が伸びたことは一見、組合員の経済状況がよくなったと思わせる現象だが、そうでもない。大きく預金を伸ばしたところは三大都市圏や中核都市を含む都府県である。2)都市化による耕作放棄→土地売却による預金形成がかなり含まれている。では貸出はどうか。まず農協金融貸出の特徴は長期信用であるということだ。表2で計算してみても、いずれの年も80%以上であり、その比率は年々上昇している(2002年は90%弱になった)。その上で、預貸率を計算すると6年前の1997年で46%と既に50%を割っていたものが2002年には42%に低下する。

 預貸率については様々な見方があるのも事実である。これが減少したからといって、金融機関としての評価が下がるとか、収益性が低下するということにはならない。現実に、信用金庫業界では預貸率平均65%程度だが、預貸率の低い方が収益率ランキングで上に来るという現象もある。貸出で収益が上らなくても、有価証券等の運用で収益を上げる方法もある。しかし、農協組織の場合は、有価証券保有額は預金額の10分の1程度(2002年では8%以下)である。しかもその中身は、大方が国債、地方債であるから高収益のポートフォリオとはとてもいえないのである。

 組合は、組合員の資金を預かるのだから“安全第一”はどの協同組織でも一応の原則である。しかしこのスローガンがゼロ金利時代にも適合するかどうかは考える余地がある。ペイオフが行われる時代には、預貯金も絶対安全ではない。反面、金利はゼロに近い。いわばノーリスクではないが、ノーリターンなのである。預金者の立場から見ると、ゼロ金利とは所得のひとつの源泉が閉ざされていることを意味する。これは、現役を引退した層には大きな意味を持つ。農協預金はかなりの部分を引退層が保有している。となると、預金者の側からの“運用”期待は大きいはずである。この一見、矛盾した状況を打開していくのが、これからの金融機関の役割である。大事に預かります、そして、安全に運用しますという従来型の対応だけでは済まされない。表3を見て明らかなように、農協預金における定期性預金の比率は高い。他の金融機関に比べて異常に高い水準になっている。その分、決済用としてよりも運用対象として農協預金が期待されていることを示している。資金を預かる側の問題もある。金融機関の収益を見れば分かる通り、改善してきているのは主にコスト削減によるものである。合併・再編・統合によって人件費、店舗費の削減が収益改善に貢献している。しかし、大手金融機関と違って、協同組織系機関は、そこに組合員がいる限り、不採算だけを理由に店を閉められない。また、働く人々にも“やさしい”職場でなければならない。経費削減努力は当然だが、それにも増して収益向上に一層の努力を傾ける必要がある。

 競争

 大手の金融機関は、数年に亘る大リストラ時代を終えて、収益向上を次の目標に掲げ動き出している。大手銀行の多くは、億単位の預金を持つ人々を優遇し始めている。様々な手数料の割引もそうだが、特に注目されるのは、これらの富裕層の資産運用のためのコンサルタントサービスである。もはや、預金金利はゼロですが、安全ですというだけでは預金者のある部分は引き止められない。そこで、銀行はいわゆる“銀証の垣根”を超え、証券業務へ進出する必要があったのだ。多くの証券会社が金融再編の過程でいずれかの銀行グループに参加していったのは、こうしたニーズの反映でもあり、その最後の一幕が三井住友銀行(SMBC)と大和グループの提携であろう。信用金庫業界も動き出している。既に述べたが、地方の信用金庫の低い預貸率はそれだけ大きな資金が中央で運用されることを意味している。安全だけをスローガンにしていればよい“楽”な時代は終わり、信用金庫業界でさえリスクの高いベンチャーキャピタル(信金キャピタル)を設立している。農協組織も早晩、こうした世界に足を踏み入れざるを得ないし、そうしなければ組合員のニーズは満たされないであろうし、大口の預金者を大手金融機関や仲間であるはずの他の協同組織に奪われかねない。

 農外から員外へ

 農協預金の預金者別構成を見ると、最近の傾向として、農業以外の収入から形成される比率が高まっている。この背景はいうまでもなく、食管制度の廃止、兼業化、そして員外預金である。このことは、農協の信用事業が他の金融界との競争に晒されざるを得ないことを示している。農家が組合員でも、その構成員の数人はサラリーマンである。運用成績が悪く金利が低いのは貸出先の組合員農家の収益が低く貸出金利が高くならないからだと言っても通る話ではない。まして、員外預金者となれば組合内で通る仲間内の理屈は通用しない。

 こうした状況に対応しようというのが、JAバンクの二層構造ならば、それはそれで意味がある。事態がうまくいけば、貸出のコストを減らせる、つまり、貸出案件の審査コスト等の低下が期待できる。それと客観的な審査基準での貸出がやり易くなり、その分不良債権化を未然に防止できる。一般に言えることだが、貸出の申込みは近くで受け、審査は遠くでした方がよいのである。

 農外・員外の比率が増えてくると、外部へのディスクロージャーはより必要となる。今回のシンポジウムでも聞かれたが、同じ協同組織といっても農協は別だという意識が農協内部にも、また外部にも強いようだ。外部から見れば何をしているのかよくわからないという印象なのである。この不透明さが閉鎖的と見られる要因になっている。

 時代に合わせてリスク運用するなどというのは、農協組織にとっては革命的なことであるから、どこかの地域で実験的に試行するという方法もある。中央組織と信連の持つ運用能力に磨きをかけ、グローバルな視野で運用をする。そうすることを事前に周知し合意を得、責任の所在を明らかにした上で(責任の取り方を決めておく)。各期毎のディスクロージャーをしっかりやってみることは可能だろう。

 むすびにかえて

 他の協同組織との連携は今後とも推進していくべきだろう。一時は、日本中に協同組合不信が蔓延し、株式会社・市場万能論が時代の哲学となったかに見えたが、小泉政権の終了とともにそれも終わり、その時、協同組織の再評価が起こるだろう。資本主義はそれ自体不安定で完成型のない体制であり、非利潤原理の様々な理念とそれを体現した組織の併存でようやく保たれるのである。信用組合などはバブルの頃、自らの協同性を否定し、利潤原理の銀行を目標とし突き進んだのであるが、その結果は私達のよく知るものであった。農協組織も選択するべき道を誤ることなく、かつ自らの非効率に厳しく対応しつつ将来を切り開かねばならない。それこそが日本と日本の農業を守ることになるのであるから。




注1)

二日間にわたった大会で、農協金融に関して次の2つの報告がなされた。本論文はこの2報告に多くのものを負っている。

   「農協組織の信用事業−現状と未来−」 坂下明彦、山内哲人
   「農業協同組合の信用事業におけるガバナンス問題」 蔦谷栄一

注2)

1996年から2001年の5年間で農協預金は約3兆円増加しているのだが関東だけで1兆5000億円、東海で7000億円、近畿で5000億円増加している。逆に最大の農業地帯の東北は、2500億円減少している。


(農林経済2005/4/4)