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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
「独立」希求バンドン会議から50年 アジア・アフリカ 次の自画像は -存在感増した日本 魅力ある未来 共に描け-
宮城 大蔵
 
 

 先月、インドネシアに小泉首相を含め、アジア・アフリカ100か国あまりの代表が参集した光景は、日本が「アジア・アフリカの一員」だという久しく忘れ去られていた一面を思い起こさせるものであった。今回の会議は、1955年のバンドン会議50周年記念である。半世紀をはさんだ二つの「アジア・アフリカ会議」を重ねてみるとき、この間のアジアの巨大な変容と、その日本にとっての意味を見て取ることができる。

 半世紀前、「アジア・アフリカ」の意味は明白であった。それは何よりも西洋の支配から「独立」を勝ち取ろうとする人々を意味した。ネルー、スカルノなど独立の栄光を担った指導者が結集したバンドン会議は、西洋列強が世界を支配した時代の終焉を鮮烈に知らしめた。

 だが会議の成否は相当に危ういものであった。参加国はインドや中国など共産主義・中立主義諸国と、パキスタンなど親西側諸国で二分されていた。会議は、ソ連の東欧支配は「共産主義下の植民地主義」かなどで紛糾し、一時は決裂やむなしとされた程であった。会期延長と根気強い討議でかろうじて採択されたのが「バンドン宣言」だったのである。

 一方バンドン会議は、戦後日本にとって初の国際会議であった。だがその立場は微妙であった。米国の意を汲んで反共アジアの参加国と歩調を揃えるのか。それとも日本の国民感情を重んじ、対米関係を損なってでも冷戦に距離をおく中立主義諸国に近づくのか。結局日本は政治問題になるべく関わらず、経済問題に専念する方針をとり、ネルー、スカルノ、周恩来らが集まる中、経済審議庁長官・高碕達之助を代表に送った。当然日本は影の薄い存在であったが、それは冷戦で引き裂かれたアジアの一方を選択することを避ける方途でもあった。

 「独立」は20世紀の根底をなす世界史的潮流であった。次々と独立を果たす国々の行方をめぐって左右の体制モデルが提供され、「革命」と「冷戦」が世界を覆った。だが「独立」が力を持つのは植民地支配という現実があればこそである。押しとどめようのない脱植民地化の波によって、70年代までに植民地は世界からほぼ消滅した。それとともに独立を担った建国以来の指導者は、アジアでは「開発」の遂行を求心力とする指導者にとって代わり、「独立」の一点で結ばれた「アジア・アフリカ」は漂流をはじめる。

 アジアの「開発」の時代の到来は、日本の関与の急速な深化と軌を一にする。東南アジアから南アジアへと海で繋がれたアジアは、なによりも大英帝国の勢力圏であった。50年代の日本で「東南アジア」とはインド、パキスタンも含む地域を指したが、それはロンドンからインド、シンガポール、豪州へという大英帝国の広がりに重なるものであった。それが60年代を経て今日の「東南アジア」へと固まっていったのは、「独立」のうねりの中でアジアの大英帝国が解体し、それに代わって日米から東南アジアへという東からの「開発」の軸が圧倒的な意味を持つに至ったことの反映である。

 今回の50周年で、日本はおそらく最も存在感を持つ参加国のひとつであった。「開発」と「経済」が中心課題であれば日本は雄弁に語り得る。それはまた、20世紀のアジアとアフリカで繰り広げられた「独立」「革命」「冷戦」が、いずれも過去のものとなったことの裏返しである。だが開発と経済成長のみで21世紀のアジアとアフリカを語ることができるだろうか。

 「新しいアジア・アフリカよ、生まれ出よ」。スカルノはこう述べてバンドン会議開会を宣言した。バンドンに参集したアジア・アフリカ諸国は、自分たちがイデオロギーによって引き裂かれているのではなく、「独立」の希求という共通の命運の下にあることを「発見」した。今回の50周年を契機に21世紀の「アジア・アフリカ」が新たな自画像を「発見」できるかは定かではない。だが、そこに新たな生命を吹き込む作業は、その「一員」であろうとするならば、日本がともに担うべき責務である。「地域」の未来を魅力あるものとして説得力をもって構想することは、その中に日中関係など消耗戦に陥りがちな二国間関係の困難を包摂し、生産的な出口をもたらす方途でもありえるはずだ。

(読売新聞夕刊2005年5月2日)