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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
戦後六〇年と政治報道
山口 二郎
 
 

1 戦後政治システムと政治報道

 言うまでもなく、日本の政治において新聞は大きな役割を果たしてきた。たとえば、日本政治のテキストとしてベストセラーとなった京極純一氏の『日本の政治』(東京大学出版会、一九八三年)では、マスメディア特に新聞の役割についてかなりのスペースをとってその特徴がモデル化されている。京極氏は次のように述べている。新聞は世論を規定し、政党や官僚と並ぶ第三の政治勢力である。そして、「明治藩閥政権に対して権勢の腐敗を糾弾した大新聞(おおしんぶん)の昔から、また強硬な対外路線さらには非戦論を唱えて政府を当惑させた昔から、新聞は政権に批判的な野党性を伝統としてきた。」さらにその伝統の上に戦後においては、五五年体制において新聞は「保守と革新の対決」という政治ドラマを構成し、「革新の政治」、「ハト派」路線を擁護してきた。同時に、日本の全国紙は特定の地域や階層を読者とする欧米の新聞と異なって、一般大衆に一定水準の質の情報を伝えることから、公平中立を旨として党派的主張を控えるという特徴も持っていた。

 こうした特徴は日本の新聞に関する常識であろう。京極氏の日本政治論の面白いところは、政治秩序に関する「正論−俗論」という二重構造の中に権力者(保守政治家)と野党・新聞の役割分担を見出す点にある。近代日本の政治は、旧来の共同体(ムラ)秩序の上に議会、官僚制など西欧起源の制度を接ぎ木して形成された。権力を動かす官僚と保守政治家は公式制度の上にムラの政治を融合させて、融通無碍な政治運用を行った。重要なことは、正論と俗論の担い手が固定されていた点であった。日本の新聞が野党性を伝統としてきたということは、実現不可能が含意されている正論が新聞紙面の基調をなしてきたことを意味する。

 正論発信機関としての新聞は、決して政治において無力だったわけではない。日本政治において野党は政治を担う不可欠の主体としては認知されてこなかった。権力に連なることによって実利を得ることが政治という営みの主たる中身であった日本において、野党を支える社会的基盤は乏しかった。戦後政治においては、政権交代の現実的可能性が存在しない状態が続く中で、新聞が野党の役割を代替したということができる。

 戦後日本の成功したパラダイムである「軽武装+経済成長」という路線は、平和憲法に対する国民の強い支持なしにはありえなかった。自民党・官僚の統治者連合は最初から明確な国家戦略を持っていたわけではなかった。アメリカ製の高邁だが非現実的な憲法を捨てて、軍事力を使って権益を追求できる国に戻ろうという俗論が保守政治家の中に存在したとき、新聞が平和憲法という最大の正論を擁護し、国民の意識を啓蒙したことがその後の成功パラダイムを形成する上での不可欠の力となった。本来政治の緊張感は与野党の競争によってもたらされるべきであるが、日本においては戦後日本においては野党が少数派であることに満足し政権交代の可能性を追求しなかったため、権力と新聞の言論との対立の中から緊張感が生まれた。その意味で、新聞は五五年体制の一翼を担っていたのである。

2 五五年体制の崩壊と政治報道

 九〇年代前半、五五年体制の崩壊と平行して政治報道は大きく変化し始めた。冷戦の崩壊、経済的グローバル化の進行によって戦後日本のパラダイムが崩れ、自民党・官僚の統治能力の不全が露呈された。バブル崩壊以後の経済政策の無力、アメリカからの安保再定義に対する徹底して受動的な対応などがその典型である。それと同時に、権力と批判の分業体制も崩壊したのである。政治論議の空間において、五五年体制下の批判は自民党・官僚の統治者連合が権力を動かすことを自明の前提として、これに反省とある程度の軌道修正を促すという意味を持っていた。しかし、統治者連合の無力が明らかになったとき、反省を求めるのではなく、権力の担い手自体を入れ替える必要に迫られたのである。

 そこで明らかになったのは、野党とマスメディアの構想力不足であった。九〇年代に政治改革から始まって様々な改革が政治課題に上ったのは決して偶然ではなかった。戦後日本のパラダイムが崩壊した後の新たな政策枠組みが必要とされていた状況において、権力を批判してきた側は批判するという位置取りに慣れすぎていたため、プラクティカルな正論とも言うべき構想を準備していなかった。五五年体制における最大野党社会党は選挙制度改革についても自らの案を準備できず、結局小選挙区比例代表並立制という新しい制度の中で事実上解体していった。憲法九条と自衛隊・安保の整合性についても、主体的に構想を立てることができず、村山政権時代の政策転換は、結局既成事実への屈服という印象を国民に与え、信頼性を失っていった。

 現実政治において責任を取る必要のない新聞において、この種の準備不足がすぐにその存亡の危機につながるということはなかった。しかし、九〇年代においてメディア全体の中でテレビのニュースショーやワイドショーが政治に影響力を及ぼした反面、活字メディアが影響力を失ってきた背景には、改革の時代において的確な問題分析と説得力のある改革提言という時代の要請に対して十分応えることができなかったという事実を指摘しなければならない。たとえば、政治改革論議が盛んであったとき、新聞は政治腐敗を糾弾することには熱心であったが、腐敗を引き起こす根本的な原因であった官僚による裁量行政、補助金配分を核とする中央集権体制の問題性について十分掘り下げた議論ができなかった。

 九〇年代の日本政治には改革の競り上げという現象が起こった。九〇年代初頭において、最初に政治腐敗が国民の憤激を招いたとき、政治家の存在にとっての土台である選挙制度を変えれば政治がよくなるという議論が広がり、政治改革という名の選挙制度改革が行われた。しかし、選挙制度を変えても政党政治の体質は変わらなかった。九〇年代中頃、薬害事件や金融スキャンダルがあいついて露呈するに及んで、結局日本を毒しているのは官僚だという話になり、官僚の存在にとっての土台である中央行政機構を変えればよいという話になり、省庁再編成が行われた。しかし、官僚支配の弊害は一向に改まらない。そこで、最期に国の最高法規である憲法を変えれば日本の停滞、閉塞状況をいっそうできるだろうという議論が高まっている。日本の直面している問題について客観的な因果分析を行うのではなく、より根本的と思われる制度の変革に国民の耳目を集め、制度を変えることで政治が責任を果たすふりをしてきた。一つの制度をかえるとよりセンセーショナルな制度を標的にして次の改革論を展開するという繰り返しである。こうした改革の空虚な連鎖を改革の競り上げと呼ぶ。

 実は新聞も改革の競り上げを演出した重要な存在であった。日本の新聞は、何か大きなスキャンダルが起こると、それに関して集中的に情報を伝え、世論の怒りを喚起する。もちろんそのこと自体、新聞の役割の一つである。しかし、政治腐敗にせよ官僚支配の弊害にせよ、根本的な原因を冷静に分析し、的確な処方箋を書くという作業について、十分な役割を果たしたとは言えない。たとえば、鈴木宗男元代議士の利権政治が世間の顰蹙を買ったとき、新聞には斡旋口利き政治の実態に関する情報があふれた。しかし、人々がこの話題に飽きてくるとともに、新聞の追及も少なくなった。小泉政権のもとではより巧妙かつ隠微な形で利権政治が生き延びていると私には思えるのだが、その実態についての情報は極めて乏しい。熱しやすくさめやすい新聞が改革の競り上げを後押ししたのである。

 

 野党的新聞の構想力不足に対する欲求不満は、たとえば九〇年代における読売新聞の提言報道の動機となった。社論として改革の具体案を提起することは一概に否定すべきではないであろう。また、新聞はいわゆる革新陣営の路線に沿った主張をすべきというわけでもない。しかし、社会的に大きな影響力を持つ新聞がなんらかのキャンペーンを張る以上、その提案が問題解決につながる的確なものかどうかが厳しく吟味されなければならない。

 その点で、読売新聞の憲法改正キャンペーンは、改革の競り上げをあおっているだけである。筆者は九条改正の主張を出すことがけしからんと言っているのではない。条文をどう変えるかという主張は各社の自由である。しかし、政府は常に憲法および法律を遵守しなければならないという立憲主義の原則自体は憲法論議の前提として共有されねばならない。大新聞が憲法論議の重要性を説く一方で、総理大臣による「イラクのどこが戦闘地域か分からない」とか「自衛隊のいるところが非戦闘地域だ」などというふざけきった発言、法の支配や立憲主義の原則を無視した言動を放置しているのは、まさに戯画としか言いようがない。そうした憲法論議からは党派的な思惑が伝わるだけで、日本政治に対するまじめな問題意識は見えてこない。

3 小泉政治とメディア

 小泉政権の発足によって、新聞の批判能力の低下は一層顕著になった。小泉首相に対する空前の高支持率は、テレビや新聞の応援なしにはありえなかった。小泉の主張は部分的な正論であった。特に、日本政治を牛耳ってきた橋本派(かつての田中派)への攻撃、官僚や族議員の既得権に対する攻撃、利益配分政治の転換と国民への覚悟の要請。どれをとっても従来の政治家にはない発言であり、政治の転換への期待が高まったことも当然であった。今まで国民が知らなかった利権政治の実態を露見させたという教育効果は大きい。しかし、小泉の最大の欠陥は、スローガンの羅列を脱することなく、政策の中身について自らの言葉で語らないことであった。

 森政権、小泉政権のもとで、日本の政治は劣化を続けた。政治から言葉が失われ、論理がまったく捨て去られたことこそ、この時期の政治の劣化の中身である。かつて、ジョージ・オーウェルは未来の独裁国家を描いた小説『一九八四』の中で、その独裁国家を支配する政党のスローガンとして「戦争は平和である、自由は隷属である、無知は力である」という三か条を上げた。オーウェルは独裁国家の専制支配が成立する条件として、言葉が意味を失い、人々が矛盾を矛盾として感じられなくなる状態に陥ることが重要であることを見抜いていた。この一見矛盾するスローガンが人々に浸透し、その矛盾について人々が違和感を持たなくなったとき、ファシズムは貫徹する。

 こうした矛盾の日常化は決してオーウェルが描く小説の世界にとどまるものではない。二一世紀の日本でも権力者が平気で矛盾したことを言い、メディアはそれを追及しない。アメリカのイラク戦争に荷担するために自衛隊を派兵することを人道復興支援と呼び、国旗国歌法は国民に何らの義務を課すものではないという政府答弁にもかかわらず、公立学校では君が代を歌わないものを処分し、思想統制が行われている。「自衛隊のいるところが非戦闘地域」という小泉の開き直り発言は、まさに権力者が論理を無視し、一切の法的コントロールを受けないという状況を意味する。小泉は人気の陰で、ルールに基づく政治という民主主義、法治主義の大原則を破壊しているのである。

 小泉政治の下で進んでいるもう一つの問題は、何が重要な政策課題であるかという問題の取捨選択(agenda setting)におけるメディアの判断力の低下である。構造改革の中で道路公団や郵政事業の民営化が政権の最重要課題として扱われてきた。しかし、それらの民営化が日本経済の閉塞、停滞を打開することとどう関係するかについて、小泉は何も語っていない。その一方、一年の自殺者は三万四千人を越え、経済的動機による自殺も一万人近いと言われている。小泉は「痛みに耐える」と言うが、痛みに耐え切れず死を選ぶ人が交通事故の死者よりも多いのである。しかし、政府はこれを政策課題として認知しておらず、メディアもまた大きな関心を払っていない。国民が抱える問題について日本のメディアはきわめて鈍感であり、権力者の目くらましに簡単に惑わされる傾向がある。

4 これからの政治報道

 日本の新聞は、政治的中立という言葉の意味を再考する必要がある。戦後日本のいくつかのシステムが崩壊している今、新たなシステムに関する構想が求められている。新聞が自らの構想を唱導することも、それが十分練られたものであれば有益であろう。その意味で、新聞の主張が何らかの党派性を帯びることも不可避である。むしろ、それぞれの新聞がどのような価値前提に立って構想を提示するかを自ら明らかにすべきであろう。

 しかし、新聞やテレビはオピニオン雑誌ではない。マスメディアの最も基本的な役割は事実を報道することである。党派的な主張に躍起になるあまり、事実を無視したり、権力者にとって都合の悪い事実に対して権力者と一緒になって弁明したりというのでは、メディアとして失格である。イラク戦争の理由となった大量破壊兵器が存在しないことが明らかになった時の読売新聞や産経新聞の対応、二〇〇四年四月のイラク人質事件の際に自作自演説を流した産経新聞のその後の姿勢などは、新聞が事実の報道と言う基本的な役割を放棄している例である

 これからの新聞が持つべき政治的中立とは、自らが支持する政治家や立場にとって不都合な事実を冷静に認識、報道すること、事実から目を背けようとする政治家に対してはそれが日ごろ支持している政治家であっても厳しく批判すること。このように、政治的立場に関する選択と事実認識を厳格に区別することこそ、中立的な態度である。こうした中立性の確保については、メディアの相互批判が必要である。

 また、政府やアメリカのメディアから流れてくる情報を単に流すことで満足するのではなく、読者の代わりに当たり前の疑問をしつこく追いかける姿勢も求められている。たとえば、二〇〇四年一一月、アメリカはイラクのファルージャで大規模な掃討作戦を行ったが、そこでイラク人は何人犠牲になったのか、難を逃れた市民はどこでどのような生活を送っているのかといった当然の疑問に答える報道は極めて少なかった。この点では、フリージャーナリストによるメールマガジンのほうがマスメディアよりも情報量が多い場合もある。

 自民党、官僚という今までの権力の担い手はかなり衰弱しており、大きな政治の再編成も近いうちに予想されている。その中で、メディアの果たすべき役割はいっそう大きくなるに違いない。新聞は質の高いオピニオンを提起することも重要だが、事実の報道という原点に戻ってもらいたい。

(新聞研究2005年2月号)