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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
イギリス総選挙の意味
山口 二郎
 
 
 
 1 選挙に勝利した最も不人気な首相

 私はイギリス政治の専門家ではない。しかし、議会や内閣の制度改革を考える際にも、グローバル化時代における社会民主主義や平等の可能性を考える際にも、イギリス政治を一つの鑑として見てきた。一九九七年にはちょうどイギリスに留学し、ブレア政権の輝かしい出発を目の当たりにした。ここに二一世紀の民主主義の一つのモデルがあると魅惑され、以後イギリス政治を観察してきた。そして、今回もイギリスに滞在し、選挙戦を観察することができた。選挙戦の分析を通して、八年間に及ぶニューレーバーの実験が新しい政治のモデルを切り開いたかどうかを検証することとしたい。

 トニー・ブレアは、選挙に勝利した史上最も不人気な首相として記憶されるに違いない。労働党は政権運営に必要な安定多数を確保したが、得票率、議席数ともに圧勝した前二回の選挙とは程遠い結果となった。三回連続の総選挙の勝利は、労働党にとっては初の快挙である。しかし、労働党にはそうした勝利の喜びは存在しない。今回の議席減で、ブレアは早晩ゴードン・ブラウン蔵相に首相の座を譲るだろうとの観測がもっぱらである。選挙戦では政策論争よりもネガティブキャンペーンが目立った。その意味では、むなしい選挙という論評もよく聞かれた。

 しかし、私には、グローバル化時代の福祉や平等という政策課題についても、ポピュリズムを乗り越えるという政治手法の面でも、今回の選挙は、二一世紀の民主政治を考える上で教訓に富んだものだったように思える。

 ここで、選挙戦の構図を簡単に振り返っておこう。労働党の苦戦の原因は、イラク戦争に尽きるといってよい。あの戦争から二年経った今でも、イギリスでは戦争の正当性、合法性をめぐる論争が続いていた。とりわけ労働党支持者の中には、ブレアはブッシュの不法な戦争に荷担したという批判が、特に労働党支持者の間に渦巻いてきた。そして、投票日の一週間前に、これまで政府が一貫して公開を拒んできた機密文書が暴露され、イラク戦争は選挙の大きな争点に再浮上した。この文書は、ブレア首相の諮問に対して、法務長官が新たな安保理決議なしの武力行使は国際法上大きな疑義があるという見解を示したものである。(法務長官はこの文書を作成した十日後に、イラク戦争は合法的であるとの公式見解を示し、開戦にお墨付きを与えた。この間にどのような政治の圧力が働いたかは、選挙後の議会で追及されることになるであろう。)

 この文書の公開を契機に、ブレアは議会と国民を欺いて、不法な戦争にイギリスを参加させたという怒りが国民の間で沸騰した。イラク問題に限らず、ブレア政権は、少数の取り巻きによる政策決定、野党のみならず与党の一般議員の声を無視した政権運営というイメージで不評を買っていた。独裁者ブレアに対する不満を募らせていた労働党支持者の間には、指導者としての政治責任を果たさないブレアを痛い目にあわせようというムードが広がった。

 しかし、ともかく安定多数を確保できたことは、国民が指導者は誰であれ、労働党政権の継続を望んでいることの表現である。実際、この八年間の政権の下で、経済は安定した成長を続け、雇用や所得も上昇してきた。また、保守党政権時代に削減された医療や教育などの公共サービスに対しても財政資金の投入が進み、改善が実現している。このように、政策面での実績に関しては、国民は労働党に及第点を与えたということができる。三十年前の、インフレや財政赤字という労働党政権のイメージは払拭され、労働党の政策能力に対する国民の信頼は定着した。

 2 マニフェスト選挙の虚実

 近年、日本でもマニフェスト(政党が発表する政権綱領)に対する関心が高まっている。マニフェストとはもともとイギリスの政党が総選挙の際に作ったものであり、イギリスはマニフェスト選挙の本場である。マニフェストは一冊五百円程度で、新聞売店などで市販されている。日本からは、各党のホームページからダウンロードできる。

 今回のマニフェストは各党の性格をよく反映していた。労働党のマニフェストは赤い表紙の新書サイズの冊子で、二〇一〇年のイギリスの経済社会像を描いていた。この五年間に医療や教育などの主要な政策について、どの程度の財源を投入し、サービスの水準をどのように引き上げるかが具体的に示されている。政策能力を訴えたい労働党は、あえて視覚に訴えず、言葉と数字で政策を提示した。これに対して保守党のマニフェストは、白い表紙に筆記体の文字で、公約を簡潔に並べていた。また移民や犯罪などの恐怖をあおるような写真を多用していた。こちらは視覚に訴え、労働党政権の失政を訴えようというものである。

 一般有権者がマニフェストを読んで投票態度を決めるというのは神話であって、マニフェストを読むのはマスコミ関係者や政治によほど関心のある人である。しかし、マニフェストは政党の政策的な立場やその信頼性を量る重要な材料である。新聞はもちろん、様々なウェッブサイトで各党のマニフェストを厳しく点検し、その実現可能性について厳しい論評が行われていた。こと政策の信頼性に関しては、保守党の政策は具体性に欠け、財源の裏づけも不十分という批判が強かった。

 マニフェストはあくまで道具である。その根底にあるよい社会のイメージこそ、政治を動かす原動力である。労働党は、政策に関する知的な蓄積をマニフェストに発揮するとともに、機会の平等や社会的正義という理念がマニフェストから伝わってきた。これに対して保守党は具体的な政策よりも、移民問題を前面に掲げ、労働党政権の失政がもたらす破綻や混乱を暗示することに重点を置いていた。それはそれで、現在の保守党の価値観を反映しているといえよう。

 3 ポスト新自由主義時代における左右の対立軸

@リスクの三層構造と政治的対立軸

 政策論争が深まらなかったという不満はあるが、今回の選挙はポスト新自由主義時代における政治的競争のモデルを暗示するという点で、きわめて興味深いものであった。新しい対立軸について論じる前に、それと密接に関連するリスクの構造変化について説明しておきたい。人間は生きている間に様々な危険や困難な課題に直面する。これらをまとめて広い意味のリスクと呼ぶ。リスクにはいくつかの段階がある。第一は、戦争、テロ、犯罪など人間生活の基本となる秩序を破壊し、生命や身体に対して脅威となるリスクである。これを生存のリスクと呼んでおく。第二は、社会経済的なリスクである。人間らしい生活を送るためには雇用、医療、年金、教育などの制度、システムが必要であるが、こうしたシステムの安定を脅かすものが第二のタイプのリスクである。グローバル化にともなう経済的競争の激化、それにともなう雇用の流動化、財政赤字の累積や年金制度の破綻などがこうしたリスクの例である。第三は、地球環境問題や資源枯渇のように短期的には実感しにくいが、長期的には人類の生存を脅かすリスクである。人類が地球社会を維持するためには長期的なリスクへの対応が不可欠であるが、変化が緩慢であるためにこれを政策争点化することは難しい。多くの国では緑の党など、脱物質的な価値観をもつ新しい社会運動がこの問題を追求している。

 従来の社会民主主義と新自由主義の対立は、もっぱら第二のレベル、生活のリスクをめぐるものであった。社会民主主義は文字通り生活のリスクを社会全体で引き受け、医療保険、年金、公教育、公営住宅など生活の基盤を国民全体(とりわけ富裕層や企業)の負担によって提供した。こうした仕組みは一九七〇年代末から八〇年代にかけて財政赤字、インフレ、経済活力の低下などの問題をもたらし、新自由主義を標榜する保守政権がリスクの個人化に向けた政策転換を図った。即ち減税により個人や企業のインセンティブを高めるとともに、規制緩和、民営化によって自由競争を基調とする経済社会への移行が図られた。こうした政策転換には国によって時間差がある。イギリスはサッチャー政権によって八〇年代に徹底的な政策転換が行われたが、日本では郵政民営化問題に象徴されるように、小泉政権のもとで今でも新自由主義路線をめぐる対立が続いている。

 イギリスでは新自由主義的な転換が最も早く行われたがゆえに、今回の選挙はポスト新自由主義時代の対立軸のイメージを示すものとなった。イギリスでは、その対立は、保守政治の混迷と社会民主主義の不十分なイノベーションという形を取っている。

A保守党のアイデンティティ危機

 まず保守政治の側から見てみよう。新自由主義は自らの追求するプロジェクトを実現したときにアイデンティティ危機に陥るという矛盾した宿命を持っている。つまり、新自由主義的改革は玉葱の皮むきのようなものであり、「官から民へ」を推し進めた終着点で、政府が一体何をするのかについては何も語っていない。サッチャー以後の保守党の混迷はその現れである。現在の保守党には、減税と歳出削減を徹底すべきだと考える急進派と普通の人々の生活に不可欠な医療や教育などのサービスには力を入れるべきだと考える穏健派が混在しており、対立が時折噴出する。マイケル・ハワード党首の下では、労働党政権の医療や教育政策の不十分さに対する批判を前面に掲げ、大学授業料の大幅引き上げを公約違反と非難しているわけで、保守党は社会経済政策については穏健路線を取っていた。しかし、選挙の序盤戦で、ハワード・フライト副党首が政権を取ったら現在の公約よりももっと徹底した歳出削減を行うと発言し、労働党から保守党は国民へのサービスを大幅に削減するとの攻撃を受けた。そこでハワードはフライトを副党首から解任し、さらに選挙の公認も取り消すという決断を下した。

 七九年から一八年続いた保守党政権の下での新自由主義的政策の結果、医療、交通、教育などの公共サービスは劣化し、一般国民は生活面でのリスクの社会化がある程度は必要だと感じている。保守党はその意味では左に転換しなければならないが、党内対立のために明確な方針を打ち出せない状態である。

 アメリカのブッシュ政権の存在のせいで、世界的に新自由主義が優勢というイメージがある。しかし、内政面に関して新自由主義は成果をあげていない。それどころかアメリカにおける所得格差や医療の貧困に現れているように、社会経済の矛盾を広げている。新自由主義が支持を得ているのは九一一以後のテロや戦争の中で、生存のリスクに対する不安が高まっているからに他ならない。新自由主義勢力は、社会経済問題の矛盾を棚にあげ、もっぱら生存のリスクを強調することによって支持を得ているのである。この場合、生存のリスクを客観的に測ることには意味がない。人々が主観的に恐怖を覚えることが政治的には重要である。また、宗教が重要な社会においては、中絶や同性愛といった道徳的問題が信心深い人のアイデンティティを脅かすため、生存のリスクとして受け止められる。

 そこで保守党が取ったのが、恐怖の政治という手法である。つまり、生存のリスクを強調し、国民の恐怖感をあおり、それを保守党への支持につなげるという戦術である。保守党は今回オーストラリアからリントン・クロスビーという選挙コンサルタントを招聘した。この人物はオーストラリアの選挙で難民や移民の流入を争点にすえ、難民が沿岸警備隊の救助を得るために子供を海に投げ捨てているというデマを吹聴したことで悪名高い。彼は、イギリスで二匹目のどじょうをねらって、中絶や移民問題を争点にしようとした。しかし、この戦術は成功しなかった。保守党は議席を増やしたものの、得票率の増加は〇・五ポイントにとどまり、今回のキャンペーンが国民の共感を呼んだとはいえない。イギリスはすでに多民族国家であり、文化は世俗的である。保守党の戦術は、社会の主流から非人道的、反自由主義的という反発を招いた結果に終わった。また、労働党政権はテロや治安対策について、議会やメディアから人権侵害という反発を招くほど強硬な政策を取っており、この問題は政治争点になりにくかった。総選挙三連敗のあと、党をいかに再建するか、保守党の自分探しの模索はこれからも続く。

Bアングロ・ソーシャルモデルの模索

 次に、労働党における社会民主主義のイノベーションについてみておこう。

 ブレア政権の内政面での最大の成果は、グローバル化時代における福祉国家や社会的公正に関して新しい可能性を開いたという点にある。生活のリスクを社会化するという時、二〇世紀に確立した年金、医療保険、無償の公教育、失業保険などの仕組みをそのまま維持するだけでは、二一世紀を生きる人間のリスクに対応することはできない。若者が職業を見つけ自立すること、配偶者を見つけ子供を育てることなど、かつては当たり前であったことが社会経済的、文化的環境変化の中でかなり難しい課題になってきている。普通の人間にとって生きにくい社会の中で、個人の自立した生活を支えるためには、経済的基盤だけではなく、個人の能力を強化する支援策が必要となる。こうした難問に答え、労働党は小さな政府のアングロサクソン資本主義から、社会的英国経済モデル(Anglo Social Model)の構築に向かっている。

 八年間の労働党政権の下で、経済構造の脱製造業化はいっそう進んだ。選挙戦の最中にイギリス最後の自動車メーカーであるMGローバーが破綻したが、これも政府にとっては大きな打撃とはならなかった。今はもっぱらサービス業において雇用が生まれている。

こうした経済構造の変化を前提としながら、労働党政権は働くための福祉という政策を展開している。そこでいう福祉とは、少数の弱者、貧者を救済する政策ではない。二一世紀を生きる普通の人々は様々な意味での脆弱さを抱えた存在であり、彼らの自己実現や社会参画を後押しする政策が、働くための福祉である。

 たとえば、かつては犯罪に走っていた職のない若者に対して、教育と訓練を提供し、社会に参画する道筋を示すための雇用政策、子供たちに放課後課外活動や補習授業を行うための仕組み、若い母親の出産や育児を支援する仕組みなどについて、労働党政権は国レベルで新しい政策を打ち出し、徐々に効果を上げている。また、生まれた子供に対して政府が最大五〇〇ポンド(約十万円)を支給して預金口座を開き、親などがその子のために無税で貯金できる制度(チャイルド・トラスト・ファンド)も始まった。十八才の時点で若者に自立に必要な資金を準備しようというわけである。このように、今を生きる普通の人々が直面する子育て、就職などの難題について、政府は周到な支援策を用意している。犯罪対策、教育問題、少子化などは先進国に共通するものであるが、イギリスにおいては精神論ではなく、具体的な裏づけをともなった政策が展開されている。

 しかし、不思議なことに労働党自身も選挙戦でこうした政策実績を誇ることはなかった。もちろん、労働党が平等の理念を捨てたわけではない。しかし、労働党の語る平等は、すべての人がその才能を開花させることが可能となるという機会の平等であり、機会(opportunity)という言葉は頻繁に使われているが、平等(equality)という言葉自体はほとんど聞かれなかった。また、労働党は格差の縮小を政策目標には掲げておらず、労働党政権の下でイギリスにおける所得格差がわずかながら縮小に転じたことについても、特に政府の功績として誇ることはなかった。マニフェストの税制に関する政策では、所得税の最高税率を引き上げないことが約束され、かなり逆進的になっている地方税(council tax:日本の固定資産税に相当する)の改革については具体的に触れられていない。

 この点は、労働党の本来の支持者の不満の種である。ニューレーバーはこの八年間、保守層や中間層を取り込もうとするあまり、本来の理念である平等を前面に出さなかった。しかし、その結果として、これらの福祉政策の受益者やこれらの政策実施に携わっているスタッフやボランティアも、これらを労働党の政策と認め、評価するという姿勢をとっていない。彼らの持つ正義感や理想主義は、むしろ独裁者ブレアに対する反感となって現れ、労働党苦戦の大きな原因となったというこちらのメディアの指摘は、的を射ている。

 労働党はサッチャリズムの影におびえながら、福祉国家の再生を進めている。三期目の労働党政権が政権維持を自己目的にせず、ダイナミズムを保つためには、今後人々に対してより率直に、自らの理念やイデオロギーを訴えることが必要である。この点は、ポスト・ブレアの指導者の課題ということになるであろう。

 4 日本にとっての教訓

 最後に、日本にとってどのような教訓を読み取れるか、考えてみたい。九〇年代の政治改革から近年のマニフェストにいたるまで、イギリス政治は日本政治の向かうべきモデルとして引照されてきた。しかし、日英の距離は依然として大きい。

 まず感じるのは、政治における理念やイデオロギーの重要性である。政党間の政策対立の距離は昔に比べればかなり小さくなった。しかし、何を重要争点として取り上げるかに政党の理念が反映される。その点で、イギリスの古い社会構造を打破し、二一世紀のイギリス社会に進歩の理念を埋め込むという労働党のメッセージは、恐怖をあおる保守党のメッセージよりも明確であった。日本でも、新自由主義と社会民主主義という理念の対立に基づいて政党の対立図式ができることが望ましいのは、言うまでもない。

 そして、政党というものは基本的な理念や重要政策については一致して推進しなければ、選挙民に対して責任を果たせない。この点は先に触れた保守党の副党首解任劇でも示された。自民党では郵政民営化をめぐって首相と多くの議員の対立が続いている。首相が最重要課題と唱える政策について与党の幹部が対立するというのはまともな政党の姿ではない。党の重要政策に反対なら、内閣や党の役職を降り、ヒラの議員(イギリスではバックベンチャーという)として発言するのが、政党政治の筋道である。労働党では議席減を契機に、党内の反ブレア派から早期退陣を求める声が出ていて、こうした政治家の行動はどこの国でも同じである。しかし、ブレア側は、この選挙をマニフェストの下で勝ち抜いた以上、重要政策の実現に労働党議員は協力しなければならないと釘を刺している。

 そして最後に強調したいのは、政治における論理の重要性である。保守党による恐怖の政治が不発に終わったのは、今回の総選挙の最大の収穫である。その背後には、扇動手法に対する他党やメディアの断固とした姿勢、国民の正義感が存在した。もっとも、イラク戦争に関しては、ブレアは、ジョージ・オーウェルの『1984』に出てくるビッグブラザーのスローガン、「戦争は平和である」を実践している。ただし、そうした矛盾を追及し続けるのも、イギリス民主主義の底力である。制度面でイギリスを模倣しても、日本政治からは論理が失われる一方である。政治家の言葉、国民に対する約束を記憶し、虚偽や矛盾を追及し、政治家に責任を果たさせるという民主主義の基礎を確立することは、日本ではこれからの課題である。

表 総選挙の結果(2005年5月5日)

政党名 議席数(前回との比較) 得票率(%)
労働党 356(−47) 36.2(−5.8)
保守党 197(+35) 33.2(+0.5)
自由民主党 62(+8) 22.7(+3.9)
その他 30 7.9

注 本稿執筆時点で、1選挙区において、候補者死亡のため選挙が延期されている。

(論座7月号)