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「大都市圏と地方における政治意識」世論調査報告
 
 
見当はずれの政治論争
山口 二郎
 
 
 
 六月中旬に三か月ぶりで帰国して日本政治を見ていると、出来の悪い映画を途中から見るようで、話の筋がさっぱり分からない。現下の最大争点は郵政民営化法案の帰趨だが、郵政事業を民営化することが国民にどのような恩恵をもたらすかはまったく分からない。他方で、自民党内の反対派も法案の修正で矛を収めたいという姿勢が見え透いていて、民営化法案の審議は空騒ぎにしか見えない。内政、外交の両面にわたって、今の日本政治からは国の直面する重要問題について明確な理念に基づいて政策を提起し、議論するという機能が欠落しているように思える。

 六月二五日の新聞には、国、地方を合わせた財政赤字が千兆円を超えたという記事が載った。ついこの前までは七百兆円といわれていたように記憶するが、坂道を転げ落ちるように借金残高が増えているようである。日本の個人金融資産は千四百兆円あるから大丈夫などと呑気なことを言える時代ではなくなろうとしている。同じ頃、政府税制調査会は所得税の増税を基調とする報告書を発表した。確かに財政再建に着手することは急務であり、現在の国際的に見て低い水準の国民負担率を引き上げることは、長期的には不可避の課題であろう。

 しかし、借金がたまったから所得税をすぐに、消費税を近い将来に引き上げると言うだけで問題は解決するのだろうか。また、東京都議会選挙の選挙戦の中で各党が言ったように、安易な増税はけしからんというだけで事態が好転するのだろうか。政党や政治家というものが何のために存在しているのか分からなくなる。

 最大の問題は、政党が政策論議の前提となる価値観を提起できていないことである。今の日本の政策決定においては、経済財政諮問会議や政府税調が政策の枠組みについての議論を行い、それが以後の政策形成においてあたかも自明の前提であるかのように扱われる。それが問題に関する的確な分析に基づいた提言ならばまだしも、根拠不明の思いこみから政策論議が進むことも多い。

 たとえば、小泉首相は「骨太方針」の策定において公務員の純減を指示した。国民が政府の仕事ぶりにある程度不満を持つのは健全なことである。しかし、人口に対する公務員(特殊法人等も含む)の比率を国際比較すると、日本のそれは先進国中最低である。一九六〇年代の国家公務員総定員法の施行以来、日本は公務員の定員管理を世界で最も厳格に行ってきたと言ってよい。公務員をさらに減らしたいならば、政府のサービスを縮小、廃止することと結びつけなければ不可能である。また、小さな政府という目標を正当化する理屈として、租税・社会保険の負担率が五〇%を超えると経済に悪影響が及ぶという議論があるが、負担率が五〇%以上で日本よりも高い経済成長を達成している国はいくつもある。根拠のない命題から出発するから政策論議は不毛なものになるのである。

 国民がどの程度の税金を払い、どのような政府サービスを受け取るかというのは国民の価値観に基づく選択の課題である。官僚が国民に対して押しつける話ではない。財政再建や増税をどのように進めるかについても、国民自身が基本的な路線を選択し、はやりの言葉で言えばインフォームド・コンセントに基づいてこれを進めるというのが民主政治である。そして、政党こそが国民に対してそのような基本的な選択のためのメニューを用意しなければならない。

 第二の問題は、政党が官僚の責任転嫁を追及できない点である。財務省は自らを被害者に見立て、財政再建のための正論を唱えようとする。しかし、財政赤字悪化の原因を少しでも深く検討するならば、財務省が被害者ではなく、加害者であることは明らかとなる。バブル崩壊後の景気対策の中で公共事業の大盤振る舞いが繰り返されたことが、今日の財政赤字の大きな原因である。中には事業費を消化することが目的のようなものも少なくなかった。役に立たない公共事業予算を査定し、予算をつけたのは他ならぬ財務省(当時は大蔵省)主計局である。壮大な無駄をもたらした従来の予算編成システムについて反省することなく、被害者づらをして国民に財政再建の説教をするというのは言語道断である。

 また、経済産業省では幹部職員が裏金を使って株取引をしていたことが発覚し、諭旨免職された。霞ヶ関の事情に詳しい元官僚の解説によれば、他に同罪の官僚がいて、特定の官僚だけを罰するのが気の毒な場合には諭旨免職となるのだそうである。このような乱脈を放置しておいて、増税が必要だといわれれば、怒るのが当たり前である。

 官僚の傲慢を放置しているのは政治の責任である。財政再建に当たっての理念と道筋を提起すること、そして失敗や無駄を作り出した官僚組織の構造にメスを入れることにおいてこそ、政治主導は発揮されなければならない。こうした重要な役割に対する責任感が伝わってこないところに、政党不信の原因がある。

 七月三日に行われた東京都議会選挙では、自民党の後退、民主党の大幅な議席増という結果になった。国政における二大政党化が都議会にも反映された形となった。民主党の躍進は、自民党政治に飽き足らない市民が民主党に投票した結果と見ることができる。選挙戦の中で増税論議が注目を集めたことも、民主党に対する支持の増加につながったのであろう。この選挙結果は、今の煮え切らない政治状況をそのまま現していると思える。投票所に足を運ぶ有権者で特に政党に対する結びつきを持っていない人は、とりあえず政治の変化を期待して民主党に入れる。しかし、争点を明確にできず、投票率が低いままであれば、自民と公明の連合軍が選挙に勝利できる。民主党はそこそこに議席を増やしはするが、多数派の交代にまでは至らない。

 民主党の岡田執行部は都議選の結果に胸をなで下ろしていることであろう。しかし、この結果は民主党の限界を示すものでもある。国民にとって最も重要な政策課題について、民主党自身の価値観と政策の大枠を示すことがなければ、政権交代の展望も見えてこない。国会の会期も残っている。本来の政策論争を期待したい。

(週刊東洋経済7月11日号)